シンガポール通信ー村上春樹「1Q84」:ふかえりと空気さなぎ

青豆と天吾の恋愛関係がこの物語の縦糸だとすると、それに対して何本もの横糸がからまっており、それがこの物語を複雑にするとともに、同時にそれに魅力を加えている。

その中でなんといっても太い横糸は、謎の少女「ふかえり」であり、さらにふかえりとかかわっている宗教集団「さきがけ」の存在だろう。ふかえりは実はさきがけの教祖の娘であり、さきがけの宗教的行為として父親から性的虐待を強要され、さきがけから逃げ出して来て父親のかっての友人にかくまってもらっている。そしてさきがけにいた間の経験を「空気さなぎ」という未完成の小説にまとめている。

実はふかえりは識字障害を持っており、文章を書く事が出来ない。従って「空気さなぎ」も、彼女が口述した事を、かくまってもらっている家の娘が筆記して文章化したものである。それが天吾の知り合いの編集者の手に渡り、その編集者が小説としては不完全な原石の中に含まれている魅力を持った小説になりうる力を持った宝石に気付き、天吾に小説としての体裁を整えてある文学賞の新人賞に応募する事を勧めるのである。

このふかえりと天吾の関係が、この小説「1Q84」の前半の1つの中心的なストーリーであろう。ふかえりはこの小説では、いわば副主人公とでもいう重要な役割を持っている。いや前半ではむしろ彼女は、主人公と言ってもいいほどの重要な役割を持っている。彼女は美人であるが、識字障害のため複雑な文章を発する事が出来ない。彼女の発するのは常に短い単文であり、そこには疑問文もなく常に平叙文しか存在しない。このような彼女と会話する事に天吾は最初とまどうが、その奥に潜んでいる彼女のすべてを見通すような直感力に気付き、徐々に彼女との会話に魅力を感じ始める。

美しいそして胸の大きい少女がじっと天吾の目を見ながら、短い平叙文で語りかけて来る。しかも彼女の書いた未完成の「空気さなぎ」はいくつもの謎とそしてそれとともに深い魅力を持っている。これは天吾ならずとも引き込まれて行くであろう。この物語の前半は正に彼女の魅力で持っていると言ってもいいのではないだろうか。

このような魅力ある人物を設定し、その人物に生き生きとした生命力を吹き込んでいるのは、まさに村上春樹の作家としての力量であろう。しかも父親から性的虐待を受けた少女にありがちな精神のゆがみのようなものが無く、ふかえりの言動はあくまで純粋に見えるのである。さらに純粋な人物にありがちな弱さが無い。彼女は天吾のアパートにかくまってもらうが、時が来るとすっと天吾の前から姿を消すのである。

前回青豆の人物設定に関し「ハードボイルド」という古くさい表現を使ったが、ふかえりの場合もその人物設定には「ハードボイルド」もしくは「クール」という表現が適しているかもしれない。そしてこれがこの小説がインターナショナルに受け入れられるゆえんであろう。

さてそれではふかえりが描きそしてそれを天吾が完成させた「空気さなぎ」とは何だろうか。これが、この小説のもう1つの太い横糸であるリトルピープルの存在と深く関わってくるのである。「空気さなぎ」に出てくるのは、リトルピープルという不思議な存在と空気さなぎというある種の孵化器のようなものであって、リトルピープルが毎晩空気中から紡いだ糸で空気さなぎを作って行く様子が描かれている。いわば一種の幻想小説である。

ところがこの「空気さなぎ」は架空の幻想小説やSF小説ではない。リトルピープルも空気さなぎもこの1Q84の世界に実在している存在である。いやもっと言うと、「空気さなぎ」はこの1Q84の世界を裏で操っている存在を描いているのである。

その意味では小説「空気さなぎ」に描かれている内容は、現実に1Q84で起こっている真実であり、いわば「空気さなぎ」は、小説「1Q84」の中でそれ全体を要約した小説、言いかえると劇中劇のような役割として用いられている。天吾によって小説としての体裁を整えられた「空気さなぎ」は新人賞を獲得しベストセラーになる。しかしながら、1Q84の世界に生きている人達の大半はこれを単なる創作小説として鑑賞し、だれも自分たちの生きている世界との関係には気付かない。

それが真実である事を知っているのは、青豆、天吾、ふかえり、などのごく少数の人達である。言い換えると2つの月が見える人たちだけが真実を知っている事になる。この入れ子構造もこの小説に魅力を与えている要素であろう。