シンガポール通信-アニメ「君の名は」:2

前回述べたように、アニメ「君の名は」は基本的には若い男女のラブストーリーである。しかしその背景として、主人公である立花瀧宮水三葉のラブストーリーが時間を隔てたものであること、また三葉の住む飛騨地方の架空の町である糸森町に隕石が落下する危険が迫っているというSF的な設定がされている。

前者はSFでいうとタイムトラベルものというSFの定番の設定である。また後者はこれもSFの定番である隕石落下や大洪水といった大災害ものである。さらには瀧と三葉の恋愛がそれぞれの体が入れ替わることがきっかけとなるというこれもSF的な設定がなされている。

つまりこのアニメは、SFアニメ(例えばエバンゲリオンなどのような)として見ることもできるわけである。しかしこのアニメを鑑賞する側は、これをSFアニメとしてみているわけではないだろう。複雑な背景のもとではあるが純粋のラブストーリーとして鑑賞していると考えられる。だからこそSFファンというよりは一般の人たちに広く受け入れられているのであろう。

映画を鑑賞していて気づくのは、SF的な複雑な背景設定がされているにもかかわらず、それを観客に意識させず、純粋の若い男女の間のラブストーリーとして楽しめるように作り込んであることである。言い換えると、複雑なSF的な背景はあくまでもラブストーリーを楽しむための舞台設定に過ぎないように、綿密に作り込んであるのである。

映画の批評を見ても、このアニメをSFアニメとして分類してそのSF的な設定を批評しているものはほとんどない。あくまでも若い男女がすれ違いを重ねながら相手を探しあい、そして最後には二人が現実の世界で出会うことができるというハッピーエンドに終わる映画として批評している。複雑なSF的背景設定をしていながら、観客にそれをあまり意識させない、このあたりが新海誠監督の力量であり、このアニメが広い範囲の観客に受け入れられている大きな理由であろう。

もう一つの理由として、これが日本的な文化を背景としておりそれを観客に意識させることをめざして作られたアニメであることも、海外も含めて多くの人に受け入れられている理由ではないだろうか。主人公の一人立花瀧が住んでいるのは現代の東京である。瀧やその周囲の人たちのライフスタイルは、欧米式のライフスタイルであり欧米の人たちにも容易に受け入れられるものになっている。しかしそれと同時に、瀧やその友人が交わす会話の内容、そして彼らがアルバイトで働くレストランの風景は極めて日本的であると感じられる。

つまり日本の若い人たちの表面的には欧米化した東京での生活の裏には日本的な文化の香りが色濃く漂っていることが、映画から読み取れるのである。このあたりは海外の人たちからすると日本という国そしてその文化を理解するのに大いに役立つのではないだろうか。

そして東京に住む瀧の生活に対比されるのは、飛騨地方の糸森町という地方の町に住む三葉とその周辺の人たちのライフスタイルである。糸森町はいわば過疎の町であり、喫茶店はなく一軒だけあるコンビニも夜には早々と閉店してしまう。そこに住む若者たちは三葉も含めてこのような過疎の町の狭苦しい生活から脱出して東京などへ出ていきたいと願っている。三葉が妹や友人たちと交わす会話からは、このような日本の地方が抱えている問題が浮き彫りにされ、私たち日本人にとっては馴染みやすい設定がなされている。

また三葉の生家は神社という設定がなされており、三葉やその妹である四葉は神社のイベントの際には巫女として舞を舞ったりする。このあたりは現在に住む一般の日本人にとっては馴染みのある設定ではないけれども、私たちが持っている記憶やメデイアによって伝えられる情報から、現代の私たちにも容易に理解できまたある種の懐かしさを私たちに呼び起こすのではなかろうか。

つまり現在の日本において、東京と過疎の町という異なった場所では表面的には極めて異なった生活スタイルが存在しながら、その底には日本の文化・伝統が色濃く流れており都会でも地方でも人々の考え方・感情などに共通点が多いことが映画から読み取れ、その結果として私たちに共感を引き起こすのではなかろうか。

もちろんこれは私たち日本人にとって理解しやすい状況であるが、同時に日本に対する関心を持っている海外の人たちにとっても興味を持って鑑賞してもらえるのではないだろうか。日本に関心を持ち日本を訪れたいと考えている海外の人には日本の奥の深い文化を理解してもらえるのに役立つのではなかろうか。これもまた海外でもこのアニメが幅広く受け入れられている理由であろう。