シンガポール通信ー村上春樹「海辺のカフカ」:ナカタさんとホシノ青年2

ホシノ青年は、トラックの運転手をしているいわばどこにでもいる青年である。別に大学を出たり高い教養があるわけではない。むしろ日本の底辺層にいる人間といっていいだろう。記憶力をなくし論理的な思考力をもなくしたナカタさんとホシノ青年がコミュニケーションできるというのは、不思議と言えば不思議である。しかし徐々にホシノ青年は、一見頭がおかしいとしか見えないナカタさんの中にある何か確固とした真実のようなものを見いだし、徐々にナカタさんにひかれて行く。そして彼と行動を共にし、トラック運転手としての仕事を放り出してナカタさんと共に四国をめざす。

普通の青年であるホシノ青年と知的な思考力を失ったナカタさんとの会話は一見漫才的である。しかしそのような彼等のとんちんかんな会話を通して、徐々にナカタさんが無意識に心に持っている使命が明確になり、それをホシノ青年が理解しナカタさんがその使命を実現するのを助けようと決心して行く過程は感動的でもある。

実はナカタさんは、主人公である田村カフカや彼が働く図書館の館長である佐伯さん(実は田村カフカの母親)が冥府に下って行くのを助けるため冥府への入り口を開けるという役割を担っている。もちろん彼はそれを知っているわけではない。ただ入り口の石を探さなければという直感に従って行動しているのである。そしてホシノ青年と共に高松の市内や周辺であてどもなく入り口の石を探してさまよう。

ある晩ナカタさんが寝てしまった後でホシノ青年が一人で散歩している時に、彼はカーネル・サンダースに出会う。そしてカーネル・サンダースがホシノ青年に、探している入り口の石の在処を教えてくるのである。田村カフカの父親の別の姿(もしくは本当の姿)がジョニー・ウオーカーである事を先に述べた。田村カフカの父親はこの小説ではいわば悪魔として悪を実行する立場にある。それに対してカーネル・サンダースはナカタさんやホシノ青年を助ける立場いわばエンジェルの役割をしている。

いわばジョニー・ウオーカーとカーネル・サンダースは、人間を超越した悪と善を代表するものとして、人間社会に現れて来ているのである。それが、彼等が一般人の外観をとらずに一種のイコンの形をして現れて来ている事の理由であろう。たぶん一般の人たちには、この二人は決してジョニー・ウオーカーとカーネル・サンダースに見えるわけではないであろう。いや一般の人たちには見えないのかもしれない。ちょうど1Q84の世界に二つの月がある事が、主人公の青豆や天吾のような特殊な人たちにしか見えないのと同様に。

その意味で、ホシノ青年はすでにこの段階で選ばれた人間になっている。当初は単なるトラックの運転手をしている普通の人間であったホシノ青年が、ナカタさんとの交流を通して選ばれた人間になるのである。その意味でこの小説は本筋である田村カフカの成長物語と同時にサブストーリーとしてのホシノ青年の成長物語を含んでいるといっていいであろう。

ホシノ青年は冥府への入り口の石を見つけ、それを裏返して冥府への入り口を開けるという役割を果たす。さらには田村カフカ、佐伯さん、ナカタさんがその入り口を通って冥府へと降りて行きさらには田村カフカが冥府から戻って来た後その入り口を塞ぐという役割を果たす。ナカタさんは冥府への入り口をホシノ青年と開いた後長い眠りにつくが、ホシノ青年が気がつけばすでに死んでいる。つまりナカタさんは自分の役割を果たし終え、すでに冥府へ行ってしまっているので(死んでいるので)ある。したがって冥府への入り口を閉じるという役割を果たすのはホシノ青年が一人で行わなければならない。

しかもホシノ青年は、現実世界で田村カフカとナカタさんによって殺された悪の化身であるジョニー・ウオーカーが冥府へ戻っていくのを阻止しなければならない。彼はこれをすべて一人で実行した後で四国を離れ現実世界へと帰って行くのである。ごく普通の青年であるホシノ青年がこのような極めて困難な状況におかれた時、彼は迷わないのだろうか。

これはもちろん主人公である田村カフカにもいえることである。父親を殺し母親や姉と交わるという罪を犯した主人公が、あまり迷う事なく行動しているのは不思議と言えば不思議である。これを説得力あるようにするため、作者の村上春樹は田村カフカに彼の分身もしくはエージェントであるカラスという存在を用意して、必要に応じてこれを出現させ主人公に助言を行わせている。

もちろん普通の人間であるホシノ青年には、最初はそのような便利なサポート役は存在しない。ところが、ナカタさんと同行し彼とコミュニケーションして行き、徐々にナカタさんの真摯な行動力に打たれ同感するようになって行くと、彼にも特殊能力が付き始める。カーネル・サンダースという、普通の人たちには見えない存在が見えるようになるのもその一つだろう。

さらには、ナカタさんが持っていた能力である猫と話が出来るという能力を、ホシノ青年が持つようになるのである。ナカタさんが死んでしまいどうして良いか困っているホシノ青年は、猫と話が出来るようになっている事に気付き、猫と話をすることによってどのように行動すべきかに関し智慧をもらう。ホシノ青年は単なるトラック運転手からこのように変身して行くのである。この小説がホシノ青年の成長物語であると断言できる所以である。