シンガポール通信ー村上春樹「1Q84」:牛河

1Q84」は小説全体としては、何かしら邪悪な者が存在しており、それが1Q84の世界に種々の邪悪な事件を引き起こし、この世界を支配しようとしているもしくは破壊しようとしているという印象を読者に与える。ところが個々の登場人物を見ると、そこには邪悪な存在がいないのである。その意味ではこの小説は不思議な小説である。

作者の村上春樹は、意図してそのような構成にしているのだろうか。ただどうも読み進んでいるうちに、そのような作者の意図が見えてくる気がする。そしてそのために、この小説が前半に持っていた緊張感が徐々になくなってくるような気がするのである。

もう一人この小説の後半で副主人公とでも言うべき役割を持っている、「牛河」という人物を見てみよう。牛河は弁護士であるが、その特異な風貌のためにいわゆる表の世界の弁護士の仕事ではなくて、暴力団などの裏の世界のために働いている弁護士である。そして牛河は、リーダーを殺害されたさきがけがその殺害犯である青豆を追うために、さきがけに探偵として雇われる。

青豆が、セーフハウスの主人である老婦人によってかくまわれておりその行方がわからない事から、牛河は青豆の子供時代の経歴を調べ、そして青豆と天吾が小学校時代に同級生だったという事実を知る。そして天吾の行動を見張っておけば青豆につながる事を期待して、天吾と同じアパートの一室を借り、天吾やそのアパートに出入りする住人の行動を密かに見張るのである。

牛河はその特異な風貌の故に、子供時代にいじめられかつ結婚生活もうまく行かなかったという、暗い過去を持っている。その意味では、青豆や天吾に似た過去を持っており、いわば似たもの同士である。そのような設定になっていることは、牛河がこの小説の後半で重要な役割を持たされる事を暗示している。

実は私は、牛河がこの小説に現れてしばらくして、牛河が青豆に殺害されたさきがけのリーダーの後釜になるのではと直感的に理解できた。それがなぜかは説明しにくいのであるが、一つには小説で描写されている牛河の風貌がオウム真理教の教祖の麻原彰晃にそっくりだということがある。それだけで決めつけるのは無謀なのであるが、ともかくもそう感じたのである。

この小説は、それぞれの章が天吾と青豆の物語として交互に現れる形式になっている。ところがこの小説の後半になると、それに加えて牛河が主人公となる章がそこに加わる。そして牛河・青豆・天吾がそれぞれ主人公になる章が順に交互に現れるという構成になっている。つまり牛河は後半では青豆・天吾と同じ扱いを受けているのである。

そうなると私の直感はだんだんと確信に近くなって来る。さらに読み進むと、牛河が天吾と同じアパートに住み、そこに出入りする人々を密かにカメラで撮影する場面が出てくる。もちろんアパートに出入りする人々は、牛河が密かに彼等を監視している事は知らない。

ところが天吾のアパートにかくまってもらっているふかえりは、なぜか見えないはずの牛河の存在に気付き、牛河が密かにセットしているカメラのレンズを直視する。それは、ファインダを覗いている牛河の目を直視し、さらには心の中まで見通すような鋭い視線である。これはつまり、ふかえりが牛河を自分たちと同じ種類の人間として認識した事を示している。こうなるとますます私の確信は強まるではないか。

実は青豆が密かに隠れているマンションは、天吾の住んでいるアパートからそれほど離れていない。そのため青豆は、天吾を尾行している牛河という怪しい存在に気付き、それが自分を追っている人物である事を確信する。そして隠れ家を提供してくれているセーフハウスの老婦人のボディガードであるタマルにそれを告げる。その結果、結局は牛河はタマルに殺害されるのである。

ここまで読み進んだ私は、私の直感も間違っていたかとがっかりさせされた。しかしである、その後牛河の死体はすべてを隠密に処理したいさきがけによってさきがけの本部に密かに運ばれる。そして夜になると、さきがけの本部におかれた牛河の死体の口からリトルピープルが現れ空気さなぎを紡ぎ始める。

空気さなぎの中で作られているのは、明らかに牛河の複製である。そうするとその複製人間がさきがけの新しいリーダーになる事は、ほぼ明らかである。というわけで私の直感は正しかったわけである。同じように予測した読者も多いのではないだろうか。

しかしということは、この小説はあるところまで来ると先が読めてしまうのである。この小説をどのようなジャンルに分類するかという問題はあるが、もしミステリー小説とすると先が読めてしまうのでは失格である。もっとも村上春樹はミステリー小説として1Q84を書いたのではないだろう。そうすると再び出てくる疑問であるが、この小説はどのようなジャンルに属し、何を描きたかったのだろうかということである。