シンガポール通信ー村上春樹「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」2

またこれもこれらの三つの作品に共通しているのであるが、その二つの世界における主人公は同一人物である。もう少し詳しく言うと、「ハードボイルド・・」の世界における主人公「私」は人間としての主人公の総体であって、「世界の終わり」の世界における主人公「僕」は主人公の意識の核の部分(むしろ無意識といったほうがいいだろう)もしくはアイデンティティの部分であるといえるだろう。「1Q84」では、本来の世界「1984」とそれと並行した世界「1Q84」の世界を、主人公である「青豆」と「天吾」が行き来するという設定になっている。また「海辺のカフカ」では、二人の主人公「田村カフカ」と「ナカタさん」という異なる精神構造の二人から見た世界が描かれており、かつ「田村カフカ」と「ナカタさん」は実は同一人物であるといってもいいほど精神的に密につながれている。

また場面設定も、これらの作品には共通する所が多い。それはごく普通に見える現実の裏に全く異なる闇の世界もしくは悪の世界が存在していることである。たとえば本小説では、「ハードボイルド・・」の場面設定は現実の東京である。これは「海辺のカフカ」や「1Q84」でも同様に、場面設定が現実の東京もしくは日本にしてあるのと同様である。しかし「ハードボイルド・・」においては、現実としての東京の街の裏では、「組織」と呼ばれる闇の組織がすべての情報を集めそれをコントロールしようとしている。また東京の地下には闇が広がり、そこには「組織」とつながる「やみくろ」と呼ばれる怪物が住んでいる。

同様に「海辺のカフカ」では、表向きは主人公の父親であり芸術家である人物が、裏では悪の化身「ジョニー・ウオーカー」であるという設定になっている。また「1Q84」では、表向きは「1984」と同じように平和に見える世界の裏側に、世界を支配しようとする宗教法人「さきがけ」とそのリーダーがいるという設定になっている。

また本小説における「世界の終わり」は主人公の意識の核の部分を具現化した世界であり、そこは時間の流れがなく心をなくした人達や一角獣が住んでいる幻想的な世界という設定になっている。これは「海辺のカフカ」では主人公が訪れる冥府の世界がそれにあたる。また「1Q84」では、1Q84の世界は邪悪なものが住むと同時に、「リトルピープル」という小人でありかつ正か悪かが不明な幻想的な存在がいるという設定になっている。この幻想小説的な面を持っているという意味でも、これらの三つの小説は共通部分が多いと言えるだろう。

他にも、これら三つの小説に共通すると思われる何人かの登場人物が出て来る。その中でも私がもっとも興味を持ったのは、いずれの小説にも二人連れの男性が脇役として登場する事である。一人は背が高くもう一人は背が低いという漫才コンビのような二人連れである。その二人連れは、本小説では私に対して「組織」への裏切りを戒める警告を与える役割を果たす。それは単なる言葉による警告にとどまらず、主人公のマンションの家具をすべて破壊しかつ主人公の腹部に切り傷を与えるという乱暴な警告である。また「海辺のカフカ」では、冥府の入り口を守りかつ主人公を冥府へと案内する二人の日本兵として現れる。さらに「1Q84」では、宗教法人「さきがけ」のリーダーのボディガードとして、リーダーの殺害犯である主人公「青豆」を追跡する役割を担った黒服二人組が現れる。

いずれの小説でもこれらの二人連れは、脇役ではあるが重要な場面で現れ読者に強い印象を与える事に成功している。このような脇役の描写に関しても、村上直樹はなかなかの才能を発揮している。そして彼は、あたかも漫才コンビのようなこの二人連れの人物設定が大変気に入っているのではあるまいか。そしてそれがこれらの三つの小説に同じような二人組が現れる理由であろう。