2016-01-01から1ヶ月間の記事一覧

シンガポール通信-ミンスキーの死去と碁ソフトがプロに勝ったニュースについて:3

そして今回の碁ソフトが人間の碁のプロに勝利したというニュースである。碁の盤面はチェスや将棋に比較して大幅に大きい。このことは、可能な手の数が将棋に比較して飛躍的に大きくなることを意味している。そのため、たとえコンピュータが将棋の世界で人間…

シンガポール通信-ミンスキーの死去と碁ソフトがプロに勝ったニュースについて:2

人工知能の父と言われたマービン・ミンスキーの死のニュースと同時期に、碁ソフトがプロの碁士に勝利したというニュースが飛び込んできた。具体的には、グーグルが開発した碁ソフト「アルファ碁」が、人間のプロ碁士で2013〜2015年の欧州王者である…

シンガポール通信-ミンスキーの死去と碁ソフトがプロに勝ったニュースについて

人工知能(AI)に関して大きなニュースが二つほぼ同時に入ってきた。一つは人工知能の父と称されるマービン・ミンスキーの死去のニュースであり、もう一つはグーグルの開発した碁ソフトがプロに勝利したというニュースである。この二つのいずれも、AIの世界…

シンガポール通信-なぜ中国では近代科学が生まれなかったか?:4

中国の宋の時代に生じた経済の急速な発展が、自由経済・自由市場という中国には稀な条件のもとで実現したことを述べた。そしてまたそれは、皇帝と官僚による独裁政治が行われていた中国で、それまで経済発展という事態が生じたことがなかったが故に、商業や…

シンガポール通信-なぜ中国では近代科学が生まれなかったか?:3

11世紀初頭宋の時代に起こったことは、いわば自由経済の出現である。中国は歴代王朝の皇帝をトップとするによる独裁政治の国家であった。従ってすべての活動は政府の厳しい統制のもとに行われた。そして政治は、皇帝という独裁者のもとで科挙によって選抜…

シンガポール通信-なぜ中国では近代科学が生まれなかったか?:2

ウィリアム・H・マクニールの「戦争の世界史」を参考にしながら、紀元1000年から1500年(11世紀初頭から16世紀初頭)の間はなぜ中国が経済・技術の点で西欧を凌駕していたのか、そしてそれ以降中国での経済・技術の発展がなぜ停滞したのかを考え…

ンガポール通信-なぜ中国では近代科学が生まれなかったか?

前回まで、ギリシャ科学の知を引き継いだイスラム世界がその成果を西欧に引き渡し、近代科学を生んだ近代科学革命が西欧において生まれたのに貢献したのに、イスラム世界自身では近代科学を生むことができなかった理由を考えた。それには幾つかの理由が存在…

シンガポール通信-なぜイスラムでは近代科学が生まれなかったか?:3

ギリシャ科学を引き継いだイスラム世界で近代科学が生まれなかった大きな原因が、イスラム教が唯一神アラーを絶対視しているからであることを述べた。すべての世界の出来事はアラーが引き起こしているという考えは、世界は神とは関係ない規則に従って動いて…

シンガポール通信-なぜイスラムでは近代科学が生まれなかったか?:2

イスラム世界におけるギリシャ科学の受容が、ギリシャ科学関係の文献をギリシャ語からアラビア語に翻訳しそれに注釈をつけるといういわば理解するレベルに留まっていたことが、イスラム世界で近代科学が生まれなかった大きな理由であることを述べた。それで…

シンガポール通信-なぜイスラムでは近代科学が生まれなかったか?

前回、ギリシャの科学が8世紀頃にイスラムに伝わり、さらに12世紀頃にイベリア半島を経て西洋に逆輸入されたことを述べた。そしてそれが、16世紀に最盛期を迎える西洋の近代科学革命へとつながるのである。ということは、イスラム世界はギリシャ科学を…

シンガポール通信-村上陽一郎「西欧近代科学」2

西欧の近代科学革命が生じたプロセスを振り返って見よう。西欧の近代科学の前にあったのは、ギリシャ時代の科学である。紀元前のギリシャの時代には多くの優れた科学者・哲学者が出て、真理の追求という立場から多くの科学成果を挙げた。代表的なものだけで…

シンガポール通信-村上陽一郎「西欧近代科学」

正月休みに本棚を整理していたら、村上陽一郎著の「西洋近代科学:その自然観の歴史と構造」という本が出てきた。以前に買ったものかもしれないが読んだ記憶がないので目を通してみたが、なかなか興味深い内容だったので、紹介したい。村上陽一郎氏は193…

シンガポール通信-日本の覇権主義6

そして日本の覇権主義が露わになった三回目は、よく知られているように19世紀末から20世紀前半までの時代である。20世紀前半は戦争の世紀であるといわれているが、日本にとってもまさにそのとおりで、日清戦争、日露戦争、第一次世界大戦、第二次世界…

シンガポール通信-日本の覇権主義5

豊臣秀吉による朝鮮出兵、具体的には1592〜1593年の文禄の役と1597〜1598年の慶長の役を、西洋の大航海時代と比較すると興味深い。西洋の大航海時代は、15世紀初めにポルトガルのエンリケ航海王子が指導する、アフリカ南端を回ってインド…

シンガポール通信-日本の覇権主義4

日本の覇権主義が露わになった二回目は、豊臣秀吉による朝鮮出兵である。これはよく知られているように、1592年に始まり1593年に休戦した文禄の役と、1597年に休戦条約の決裂に伴い始まり1598年に豊臣秀吉の死によって終了した慶長の役の二…

シンガポール通信-日本の覇権主義3

海外への領土拡張を進めることによって日本の覇権主義が露わになった時期が、過去に3度あることを述べた。一つは邪馬台国から大和朝廷にかけて、日本が朝鮮半島に拠点を築き朝鮮半島への進出を企てた時期である。もう一つは豊臣秀吉が朝鮮半島を攻略し、さ…