シンガポール通信-トランプのメキシコ国境の壁の建設は愚策か

トランプ米国大統領が、シリア難民に代表される難民の受け入れ禁止およびイスラム教徒が多数を占める中東の7カ国の旅行者の米国入国を禁止する大統領令を発令し、世界的な混乱を生じていることを述べた。

トランプが行おうとしていることが、政治のビジネス化いい変えれば政治にビジネス感覚を持ち込み、効率という観点から政治を実行しようとしていることであることを述べてきた。そして同時に、人間の自由と人権を守るという民主主義国家の理念からすると、政治のビジネス化にはおのずから限界があることも述べた。

そのような考え方からすると、人間の移動の自由という基本人権に制限をかけることは、政治のビジネス化の限界を越えていることになる。すでに多くの国の首脳がこのトランプの政策に反対や憂慮を表明している。残念ながら日本政府はまだ態度を明らかにしていない。安倍政権はトランプ政権と良好な関係を築くことを第一の目標としており、そのためトランプ政権の今回の政策に対して反対の態度を表明することに二の足を踏んでいるのかもしれない。しかしながら米国の友好国であるからこそ、米国の行き過ぎた政策に対してはそれをたしなめるという毅然とした態度が求められるのではないだろうか。

もう一つ気になるのが、トランプがイスラム諸国からの旅行者の米国入国禁止という政策を取った理由として、「キリスト教徒優先」という説明をしていることである。これは政治に宗教を持ち込むことを意味している。政治に「効率」というビジネス感覚を持ち込むというトランプの政策に関しては、今回のような行き過ぎには注意すべきであるが、政治のビジネス化自体は新しい政治の進め方として注目すべきであると私は考えている。

しかしそこに宗教を持ち込むのは賛成できない。宗教はビジネスの対極にあるものであり効率の対極にあるものである。その背後には人間の長い歴史的・文化的背景がある。それを政治に持ち込むことは、政治のビジネス化という基本的な考え方を壊してしまうことになる。

また同時に考えなければならないのは、歴史的に見るとキリスト教は他の宗教に対して非寛容的であったことである。キリスト教徒であるトランプも無意識にそのような考え方を持っており、イスラム教徒に対してある種の差別感を持っているのかもしれない。これは極めて危険である。

一方イスラム教は比較的他の宗教に対して寛容的であったことに気づくべきである。イスラム教を掲げて領土を拡大した過去のイスラム国家は、支配下の人々にイスラム教への改宗を強要したことはなかった。他の宗教を信じることも認めたのである。それが、21世紀になって政治の世界でトランプというキリスト教徒がイスラム教徒に対して米国への入国禁止という非寛容な態度をとるというのはいかにも皮肉である。

クールなビジネスマンとして米国政治を実行していこうというのがトランプ的政治であると私は理解しているのであるが、違うのだろうか。それともクールなビジネスマンとしてのトランプの表の顔の裏には、熱心なキリスト教徒としての別の顔が潜んでいるのであろうか。米国の政治の実施にあたって、熱心なキリスト教としての裏の顔を混在させることは極めて危険である。今後のトランプの政策において、この面に関しては私たちは注意深くチェックしていく必要があるだろう。

さて難民受け入れ禁止、イスラム諸国からの入国禁止という政策が極めて大きな反響を生んでおりそれ以外のトランプの政策が一時的にせよ忘れられている感がある。それを少し考えてみよう。たとえば米国とメキシコとの国境にメキシコからの不法入国を防ぐための巨大な壁を気づくというトランプの主張はどのように理解すべきだろう。

この政策があまりにも突飛なために、選挙期間中も彼のこの政策は米国民にとってはいわば冗談としてしか受け入れられなかった節がある。しかしトランプが大統領になって最初に署名した大統領令の中にはこの壁の建設の大統領令があった。彼は本気で壁を建設しようとしているのだろうか。

(続く)