シンガポール通信ー村上春樹とコミュニケーションメディア

もう一つ最後に書いておきたいのは、村上春樹と電話・インターネット・ソーシャルネットワークなどのいわゆるコミュニケーションメディアの関係である。私が彼の作品を読んでいて感じるのは、彼の作品ではこれらのメディアはあまり主要な役割をしていないように見えることである。

彼の作品における他の場所にいる人とのコミュニケーションの手段は、一貫して電話である。最近の作品である1Q84においても、電話を使った声による通話が主要なコミュニケーションの手段である。しかも携帯電話ではなくて据え置き電話が主役を務めている。

1Q84は2009年に発表された作品であるが、時代設定は1984年である。1984年といえば日本では車載型の電話である自動車電話が使い始められた頃である。現在の携帯電話の初期の形であるショルダーフォンのサービス開始が1985年であるから、携帯電話という概念は日本では一般の人たちには縁遠いものだったと思われる。そのため1Q84で主人公である「青豆」や「天吾」が使っているのは、あくまでアパートの自室に設置してある据え置き電話なのである。

前にも書いたように1995年の作品である「ねじまき鳥クロニクル」では、パソコン通信を使ったチャットが、主人公「岡田トオル」と失踪した妻「クミコ」の間のコミュニケーション手段として使われている。これはまだインターネットメールが一般にはあまり普及していない時点では、かなり時代を先取りした設定である。しかしながらこれを除くと、コミュニケーション手段の取り扱いに関しては、村上春樹はかなり保守的なのである。これはどうしてだろう。

これは憶測であるが、彼は携帯電話さらにはスマートホンによる通話やメールさらにはソーシャルネットワークなどのいわゆる最近のコミュニケーションメディアと、自分が描く村上ワールドの相性が良くないと感じているのではあるまいか。

村上作品では、現実の世界に対してその裏にある仮想の世界もしくは闇の世界を描いている事が多い。そしてその二つの世界を結ぶのは、成長に伴い主人公が持つようになる不思議な力によるところが大きい。そして、幼い頃のかけがえのない友人だった女性との再会、また親しい女性の突然の失踪などがストーリーの核として扱われる事が多い。

二つの物理的に離れたもの間に感じる距離そしてそれをいかに埋めるかは、彼の小説では重要なポイントなのである。携帯電話に代表される最近のメディアは、ある意味でそのような距離を簡単に埋める事が出来る。

例えば「国境の南、太陽の西」では、主人公が小学校時代のかけがえのない女友達であった「島野さん」と再会し、家族を捨てて島野さんと駆け落ちをする事を決心する場面が出てくる。ところが彼女を連れて箱根の別荘に駆け落ちをした翌朝、島野さんは忽然として消えてしまっているのである。そして主人公はもう永遠に彼女に出会えないであろう事を予感する。

ところが携帯電話を持っていたらどうだろう。彼女に電話をしてなぜいなくなってしまったのかを問いつめる事が簡単にできるではないか。しかしそれではこの場面の持っている情感が消えてしまうだろう。ちなみに言い添えておくと、「国境の南、太陽の西」が発表されたのは1992年である。1992年はすでに日本では携帯電話は発売されていたが、まだ重さが1Kg近くするものであり、一般の人が手軽に持ち運べるものにはなっていなかった。

また1Q84の主人公天吾と青豆は、小学校時代に放課後の教室で手を握り合った記憶をお互いにずっと持っており、再会したいと願っている。そしてそれが二人が宗教法人「さきがけ」に追われているという状況の中である日突然実現する。

ところが二人がFacebookを使っていたらどうだろう。そうすると二人は何の苦もなくFacebookの中で出会い、近況を知らせ合い、そしてさらにはつまらない会話を毎日のようにする事になることが予想できる。こうなると本来1Q84のストーリーが持っていたある種の神秘性のようなものが消え失せてしまうではないか。(もちろん1984年の時点では、電子メールすら研究者の間の通信手段としてやっと使い始められた頃なのでソーシャル・ネットワークなどという概念は存在しないが。)

その意味では、村上春樹の小説の持つ幻想性・神秘性は、最近のコミュニケーションメディアもしくはディジタルメディアとは相性が良くないと言えるだろう。今後の村上春樹の小説におけるコミュニケーションメディアの取り扱いはどうなるのだろう。幻想性・神秘性をた保ために、あくまでも最近のコミュニケーションメディアを取り扱う事は拒否するのか、それともそれらを取り入れつつ、新しい村上ワールドを展開して行くのだろうか。興味のつきないところである。

とまあ一応のおちのついたところで、長々と書いて来た村上春樹の小説の感想を一旦打ち止めにしたい。