シンガポール通信ー村上春樹「ねじまき鳥クロニクル」:「岡田クミコ」と「綿谷ノボル」2

岡田クミコは、別の長編小説「1Q84」のどの登場人物に対応するだろうか。主人公「天吾」の恋人でありもう一人の主人公である「青豆」だろうか。そうではなくてむしろ私は、宗教法人「さきがけ」の教祖の娘であり、小説「空気さなぎ」を書き「天吾」にそれを書き直して新人賞小説に仕上げるきっかけをあたえる少女「ふかえり」に相当するのではないかと思う。

ふかえりも、父であり「さきがけ」の教祖である人物が霊的能力を得るために利用され「汚されて」いる。そして父親の元から抜け出して天吾たち善の立場の人たちの庇護の元に入る。その意味ではふかえりとクミコのおかれた立場はよく似ている。
しなしながら、識字障害を持っているふかえりがその識字障害の故にしゃべり方などにおいて大変魅力的に描かれているのに対し、クミコの方は残念ながらそのような魅力を感じるところまではいっていない。その意味でクミコは「ねじまき鳥クロニクル」の副主人公と指名するわけにはいかないであろう。

そろそろこのあたりで、この小説で悪の立場を代表する存在である「綿谷ノボル」に関して考えてみよう。先にも書いたように綿谷ノボルはこの小説で悪を代表する立場の人間、そして善を代表する主人公岡田トオルと対決する立場の人間である。1Q84における宗教法人「さきがけ」の教祖に対応する立場の人間であると言えるだろう。

綿谷ノボルは小さい頃から学歴偏重指向の両親の元で育てられ、有名高校から東大に入り東大を優秀な成績で卒業して、経済学の研究者への道を歩む。その後彼が書いた経済学の専門書が世間で認められたことにより、彼はマスコミに出るようになりいわゆる「有名人」になって行く。さらにはそれを経て政治の世界に近づきはじめ、議員をしていた叔父の地盤を引き継ぎ国会議員に当選して、政治を通して自分の力を発揮しようと企み始める。

もっともこのように説明してしまうと、なぜ綿谷ノボルが悪を代表する立場なのかがもう一つはっきりしない。教育ママに育てられいびつに育った秀才はいわばごまんといるわけだし、東大を優秀な成績で卒業して会社に入るなり官僚になるなりして、人を見下し出世のみを目標としている人間もごまんといるわけである。

そのような経歴の人間の一人を取りあげて、彼が悪を代表する立場の人間であるように仕立て上げるのは少し無理があるのではないだろうか。つまり、そのような人間は私達の周りにそれこそ掃いて捨てるほどいるわけで、別に特別な存在ではない。そのため、1Q84における「さきがけ」の教祖に関しては、読者は悪の代表としてある程度自然に受け入れる事が出来るのに対して、綿谷ノボルからはいびつに育った人間という印象は受けても、あまり強烈に悪の匂いを感じないのである。

特に、政治家と聞くと薄っぺらな人間を想像してしまいがちな日本人であれば、なおさらであろう。宗教法人の教祖対政治家、そのような状況設定の違いだけで読者が持つ先入観ががらりと変わってしまうというのはある意味恐ろしい事ではあるが、事実である事は確かであろう。その意味では、綿谷ノボルに関しては村上春樹は悪を代表する立場としての彼の役割の設定に成功しているとは言いがたいのである。

もちろん、それが失敗していればこの小説全体が失敗作となり、彼のその後の作家人生にも大きく影響を与えた事であろう。それが失敗にならないように、村上春樹はいくつかの仕掛けを施している。これは岡田クミコに対して行ったのとよく似ているのであるが、クミコの場合はそれほどうまく成功していないのに対して、その仕掛けが綿谷ノボルの場合はうまく働いており、それが小説全体のバランスを成り立たせている要素になっている。

それは岡田ノボル、岡田クミコ、綿谷ノボルなどの登場人物が日常生活を送っている表の世界に対して裏の世界を設定するという手法である。これは村上春樹の長編小説における常套手段のようである。しかもその裏の世界は二重になっている場合もある。「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」では現実の世界である東京の地下に闇の世界が広がっているという設定になっており、さらには主人公の心の中の世界が「世界の終わり」という世界として実体化されているという意味で二重の裏の世界がある。また海辺のカフカでは主人公が降りて行く黄泉の世界があると同時に、主人公の分身と考えられる記憶を失った老人「ナカタさん」が活躍する物語が裏の物語として平行に語られる。

そして「ねじまき鳥クロニクル」では、一つの裏の世界として、主人公岡田ノボルが井戸の底を通して入って行く裏の世界がある。それはある意味で岡田ノボルの無意識の世界である。

(続く)