シンガポール通信ー村上春樹「1Q84」:リトルピープル

ここまで読んで来てわかったように、1Q84に出てくる人物にはどうも「邪悪な存在」はいないようなのである。さきがけからリーダーを殺害した犯人を追跡する事を依頼された「牛河」や、リーダーのボディガードをしている黒服に身を包んだ二人組などの小悪とでもいう存在は出現するが、彼らもいわば指示に従って悪を行っているだけであって、自らの意思で世界に悪を加えようという「邪悪な存在」がこの小説には見当たらないのである。

通常の小説・映画・ゲームなどにおけるシンプルなストーリーは、善と悪が最初から明確に決まっている。そして善が多くの困難を乗り越えて悪を倒すというのが、映画やゲーム(特にロールプレイング・ゲーム)の定番である。そしてその際に善の活躍にハイライトを当てるためには悪はあくまでも悪である、つまり「邪悪な存在」であることを必要とされるのである。

たとえば「ロード・オブ・ザ・リング」などはその典型例であろう。魔法使いガンダルフを頂点とするホビット達などの善の側に対して、邪悪な存在であるサウロンに率いられた悪の集団がある。そして善と悪の壮絶な戦いと最後の善の勝利を描くのが「ロード・オブ・ザ・リング」である。

それでは、「ロード・オブ・ザ・リング」におけるサウロンもしくはそれに率いられる悪に対応するのは、1Q84ではなんだろうか。当然のことながら、リトルピープルがそれにあたるのであろうと読者は予測し、そしてそのような流れでストーリーが進む事を期待して読み続ける。

さてそれではリトルピープルとは何だろうか。最初の方で述べたように、このネーミングはジョージ・オーウェルの小説「1984」に出て来るビッグブラザーを意識している事は明らかである。ビッグブラザーは、人々が反政府的な思想を持ったり反政府的な行動に出たりしないよう常時人々を監視している存在(いわばコンピュータ)であり、邪悪な政府を具現化した存在として描かれている。

それではリトルピープルはどうだろうか。確かにリトルピープルは時には邪悪な行為を行い、邪悪な存在であるかのような雰囲気を読者に与える。たとえば、青豆がさきがけのリーダーを殺害する場面では、雷鳴を轟かせて青豆に警告を送るとともに、殺害を思いとどまらせようとする。またその後雷鳴に伴う雨によって地下鉄を停止させ交通網を混乱させる事によって、青豆の逃走を妨害しようとする。

また青豆の友人の婦人警官(この婦人警官と青豆の関係はなかなかシュールである)がさきがけに探りをいれようとしたことから、誰かにこの婦人警官を絞殺させる。また天吾のセックスフレンドの年上の女性をこつ然と消してしまったりする。そしてその後その女性の夫と名乗る人物から「彼女は失われてしまった」という不気味な電話を天吾が受ける。これらはリトルピープルが直接手を下したというより、リトルピープルがさきがけを使って実行したと見なす事が出来るだろう。

ところが実際にリトルピープルが現れてみると、その外観は「ロード・オブ・ザ・リング」におけるホビット(小人)に似ており、邪悪な存在という印象は与えない。彼らはたとえば眠っているふかえりの口から出現し、夜の間に空中から紡いだ糸を用いて「空気さなぎ」を作る作業を行う。いってしまえばそれだけの存在である。

空気さなぎとは半透明の繭のようなもので、一種の孵化器のような役割を果たす。そこで孵化させるのは実際に存在しているある人間(マザと呼ばれる)の複製(ドウタと呼ばれる)であり、その複製人間はリトルピープルの意思を人間に伝える役割をする。複製される人間はそれ自身がある種の超能力・霊感のようなものを持っている必要があり、たとえばふかえりなどがその代表例となる。

しかしまだ宗教法人さきがけが社会に対して具体的な悪事を働いていない以上、リトルピープルが人々に悪をもたらす邪悪な存在と決めつける事は出来ない。上に書いたように実際に現れるリトルピープルは単なる小人であり、その言動や行為は単純ではあっても決して邪悪さを感じさせるものではない。

どうもこの辺りにこの小説の少しつかみ所の無い部分があるのではないだろうか。もちろん読者の目の前に現れるリトルピープルは単なる下っ端であり、その背後には1Q84の世界を支配しようとする邪悪な存在であるリトルピープルの親玉がいるのかもしれない。しかし少なくともこの文庫本6冊の「1Q84」を読む限りでは、私にはそのような雰囲気は感じられないのである。とするならば村上春樹はこの小説で一体何を描きたかったのであろうか。