シンガポール通信-アニメ「君の名は」:2

前回述べたように、アニメ「君の名は」は基本的には若い男女のラブストーリーである。しかしその背景として、主人公である立花瀧宮水三葉のラブストーリーが時間を隔てたものであること、また三葉の住む飛騨地方の架空の町である糸森町に隕石が落下する危険が迫っているというSF的な設定がされている。

前者はSFでいうとタイムトラベルものというSFの定番の設定である。また後者はこれもSFの定番である隕石落下や大洪水といった大災害ものである。さらには瀧と三葉の恋愛がそれぞれの体が入れ替わることがきっかけとなるというこれもSF的な設定がなされている。

つまりこのアニメは、SFアニメ(例えばエバンゲリオンなどのような)として見ることもできるわけである。しかしこのアニメを鑑賞する側は、これをSFアニメとしてみているわけではないだろう。複雑な背景のもとではあるが純粋のラブストーリーとして鑑賞していると考えられる。だからこそSFファンというよりは一般の人たちに広く受け入れられているのであろう。

映画を鑑賞していて気づくのは、SF的な複雑な背景設定がされているにもかかわらず、それを観客に意識させず、純粋の若い男女の間のラブストーリーとして楽しめるように作り込んであることである。言い換えると、複雑なSF的な背景はあくまでもラブストーリーを楽しむための舞台設定に過ぎないように、綿密に作り込んであるのである。

映画の批評を見ても、このアニメをSFアニメとして分類してそのSF的な設定を批評しているものはほとんどない。あくまでも若い男女がすれ違いを重ねながら相手を探しあい、そして最後には二人が現実の世界で出会うことができるというハッピーエンドに終わる映画として批評している。複雑なSF的背景設定をしていながら、観客にそれをあまり意識させない、このあたりが新海誠監督の力量であり、このアニメが広い範囲の観客に受け入れられている大きな理由であろう。

もう一つの理由として、これが日本的な文化を背景としておりそれを観客に意識させることをめざして作られたアニメであることも、海外も含めて多くの人に受け入れられている理由ではないだろうか。主人公の一人立花瀧が住んでいるのは現代の東京である。瀧やその周囲の人たちのライフスタイルは、欧米式のライフスタイルであり欧米の人たちにも容易に受け入れられるものになっている。しかしそれと同時に、瀧やその友人が交わす会話の内容、そして彼らがアルバイトで働くレストランの風景は極めて日本的であると感じられる。

つまり日本の若い人たちの表面的には欧米化した東京での生活の裏には日本的な文化の香りが色濃く漂っていることが、映画から読み取れるのである。このあたりは海外の人たちからすると日本という国そしてその文化を理解するのに大いに役立つのではないだろうか。

そして東京に住む瀧の生活に対比されるのは、飛騨地方の糸森町という地方の町に住む三葉とその周辺の人たちのライフスタイルである。糸森町はいわば過疎の町であり、喫茶店はなく一軒だけあるコンビニも夜には早々と閉店してしまう。そこに住む若者たちは三葉も含めてこのような過疎の町の狭苦しい生活から脱出して東京などへ出ていきたいと願っている。三葉が妹や友人たちと交わす会話からは、このような日本の地方が抱えている問題が浮き彫りにされ、私たち日本人にとっては馴染みやすい設定がなされている。

また三葉の生家は神社という設定がなされており、三葉やその妹である四葉は神社のイベントの際には巫女として舞を舞ったりする。このあたりは現在に住む一般の日本人にとっては馴染みのある設定ではないけれども、私たちが持っている記憶やメデイアによって伝えられる情報から、現代の私たちにも容易に理解できまたある種の懐かしさを私たちに呼び起こすのではなかろうか。

つまり現在の日本において、東京と過疎の町という異なった場所では表面的には極めて異なった生活スタイルが存在しながら、その底には日本の文化・伝統が色濃く流れており都会でも地方でも人々の考え方・感情などに共通点が多いことが映画から読み取れ、その結果として私たちに共感を引き起こすのではなかろうか。

もちろんこれは私たち日本人にとって理解しやすい状況であるが、同時に日本に対する関心を持っている海外の人たちにとっても興味を持って鑑賞してもらえるのではないだろうか。日本に関心を持ち日本を訪れたいと考えている海外の人には日本の奥の深い文化を理解してもらえるのに役立つのではなかろうか。これもまた海外でもこのアニメが幅広く受け入れられている理由であろう。

シンガポール通信-アニメ「君の名は」

昨年11月から海外を転々とする生活をしており、飛行機での移動時間が多い。したがって飛行機の中で映画をビデオで鑑賞する機会も多い。実際に映画館に足を運ぶことは最近はあまりないが、飛行機の中で過ごす長時間は映画鑑賞にもってこいである(というより疲れてくるとメールを見たり読書をしたりするより映画鑑賞の方が気楽に行える)。ロサンゼルスからバンコックへ移動する飛行機の中で、最近話題になっているアニメ「君の名は」を鑑賞したのでその感想を述べたい。

「君の名は」は新海誠監督の制作になる長編アニメーション映画で、昨年8月に公開された。公開とともに大きな評判となり、昨年12月には興行収入200億円を突破し、現時点で宮崎駿監督の「千と千尋の神隠し」に次ぐ日本のアニメーションで歴代2位の興行収入となっている。そのうちに「千と千尋の神隠し」を抜いて歴代1位の興行収入を実現することも可能と期待されている。

さらには日本に続けて公開された中国や韓国でも大人気で、中国・韓国でも日本映画としてはすでに過去最高の興行収入を実現している。それに加え、4月からはカナダ・全米でも公開が決定しており、アジア以外の海外でも多くの観客を動員するだろうことが予測されている。どうしてこれほどまでに人気があるのだろう。

「君の名は」のストーリーは基本的には、すれ違いを重ねながらも最後はハッピーエンドに終わる若い男女のラブストーリーであり、いわばラブストーリーの定番ともいえるものになっている。しかしこれだけでは、これだけ多くの観客を動員することはできないだろう。これまでのラブストーリーになかった要素を入れた新しいストーリーになっているからこそこれだけの人気を集めたのだろう。

新しい要素としては、ラブストーリーがSFの一ジャンルであるタイムトラベルものと一緒になっていることがあげられる。主人公の男性の名は立花瀧、女性の名は宮水三葉、そしてこの二人は実は異なる場所だけではなく異なる時間に住んでいる。瀧は東京に住んでおり、三葉は瀧の澄んでいる時間から3年前の岐阜県飛騨地方の架空の町である糸森町に住んでいる。この異なる時間、異なる場所に住む二人が出会い、徐々に互いに恋愛感情を持ち始めるというのが「君の名は」のストーリーの基本設定である。

さらにそれに加え、瀧の住む現代から見ると3年前に地球に接近していたティアマト彗星の破片が糸森町を直撃し三葉を含めた当時の町民500人以上が死亡していたという新しい要素が加わる。したがって実は瀧が住んでいる現在から見ると三葉はすでに死んでいるのである。したがってこのストーリーは、瀧と彼の住む時間帯からするとすでに死んでいる三葉の間の時間を遡ったラブストーリーということになる。

そしてタイムトラベルもののSFの常套手段ともいうべき、主人公が過去へ遡って過去を変えることによって現在が変わるというやり方もこのアニメ映画では取り入れられている。すなわち瀧と三葉の時間を超えた純粋な愛が過去を変え、そのことにより彗星の破片が落下した時には糸森町の住民はたまたま行われた安全訓練のため安全な場所に避難しており、町は破壊されたが町民は助かったという結果に最後にはなるのである。

そして映画の最後ではさらにそれから5年後の東京に場面が移る。瀧は同じように東京で暮らしているが、それに加えて三葉も上京して東京で暮らしている。ともにかっての記憶は消え、誰かを探しているという記憶だけが残っている。そしてある日並走している電車の窓からお互いを見た二人が相手が自分が探している人であることに気づき、電車を降りて出会うところで映画が終わっている。

このように、すれ違いを重ねる若い男女の間のラブストーリーという単純な物語が、タイムトラベルもののSFと合体することによってストーリーが複雑化し、これまでにない新しい形のラブストーリーが誕生しているのである。これがこのアニメ映画がヒットしている基本的な理由であろう。しかしこのような複雑なストーリー構成にすると、鑑賞する側からすると解りにくいという欠点が普通は出てくるものである。それがこのように極めて多くの人に鑑賞してもらえ、喜んでもらえるのはどうしてなのだろう。

(続く)

シンガポール通信-トランプのメキシコ国境の壁の建設は愚策か:2

トランプが矢継ぎ早に打ち出している、難民受け入れ禁止や中東の7カ国の人々の入国禁止などの政策と、トランプがほぼ最初に打ち出した政策であるメキシコ国境における壁の建設を比較した場合、どちらが問題であろうか。

トランプは選挙中からこの壁の建設を目玉の政策として口にしてきたが、人々の多くは馬鹿らしい政策であると考え、冗談のように考えあまり真剣には取り上げてこなかった。そのため、トランプが大統領に就任して最初の政策としてメキシコ国境の壁の建設の大統領令に署名した際には、本当にそのような馬鹿げたことをやるのかといういわば呆れたという反応が返ってきたようである。

いまだに壁の建設の件は多くの人が真面目には考えていないようである。しかもその後上記の難民受け入れ禁止や中東の7カ国の人々の入国禁止という問題の多い政策が打ち出されたので、そちらの方に人々の関心は移ってしまい、壁の建設の件は一時的なのかもしれないが人々の話題にはあまり上がっていないようである。

私自身は、メキシコ国境の壁の建設という政策はもしかしたらそれほど馬鹿げたものではないのではと考えている。まず第一に、トランプが「美しい巨大な壁」などという表現を用いたので、人々は万里の長城のように延々と続く巨大な城壁のような壁を想像したのではあるまいか。

しかし別にそのような巨大な壁の建設をトランプが考えているかどうかはわからない。現在すでにメキシコとの国境には部分的ではあるがフェンスが設置されている。これらのフェンスは定期的なメンテナンスが必要だろうし、補強の必要のある箇所も多いだろう。したがってトランプのいう壁の建設のかなりの部分は、すでに存在しているフェンスをよりしっかりしたものに取り替えるという、より現実的な案になる可能性が大きいのではないだろうか。そうであれば壁の建設は天文学的な予算を必要とするものではないことになる。

もちろん壁は部分的には、巨大で人目をひくようなものになる可能性も大きい。何しろ派手好みのトランプである。人々を驚かせるような巨大な壁を部分的に作る可能性はある。しかし米国とメキシコの国境線のすべてにわたって巨大な壁を築くというのは予算面からしても現実的な案とは考えられない。

メキシコ国境のトランプの壁を建設するというトランプの政策を、ピラミッドの建設や万里の長城の建設に比較されるような愚かな政策であり、税金などで人々を苦しめるだけの政策であるという意見を聞いたことがある。

たしかにかっては、ピラミッド建設は民衆の生活を無視しエジプトのファラオの権力を誇示するためだけに行われたものであって、当時のエジプトの一般民衆に過大な負担を強いたものであると考えられていた。しかしながらその後の研究の進展により、ピラミッド建設は農作物の刈り入れが終わり人々が仕事のない時期になどに行われ、当時の民衆に仕事を与えるという面を持っていたということがわかってきた。つまりピラミッド建設は単なる無駄で人々に犠牲を強いる建設工事ではなくて「雇用を生み出す」という積極的な面を持っていたのである。

現在トランプは米国において雇用を生み出すことに積極的である。米国の製造業に米国回帰を呼びかけ、逆に米国から出て行こうとする企業には重税を課すといって脅したりしている。これは内向きの産業保護政策であると多くの人から非難されている。しかしながら、現在の行き過ぎたグローバリゼーションの流れは、それによって米国内にその流れに乗った人々と乗り遅れた人々の間の格差を生み出しているわけであり、ある程度まで企業に米国内での雇用確保を呼びかけることは別に間違った政策とは言えないのではないだろうか。

その意味ではメキシコ国境との間に壁を建設するという一見馬鹿げた政策に見えるトランプの政策は、米国人の雇用を生み出すという積極的な面を持っているわけで、現実的な予算案で行われる限りは、評価してもいいのではないだろうか。

シンガポール通信-トランプのメキシコ国境の壁の建設は愚策か

トランプ米国大統領が、シリア難民に代表される難民の受け入れ禁止およびイスラム教徒が多数を占める中東の7カ国の旅行者の米国入国を禁止する大統領令を発令し、世界的な混乱を生じていることを述べた。

トランプが行おうとしていることが、政治のビジネス化いい変えれば政治にビジネス感覚を持ち込み、効率という観点から政治を実行しようとしていることであることを述べてきた。そして同時に、人間の自由と人権を守るという民主主義国家の理念からすると、政治のビジネス化にはおのずから限界があることも述べた。

そのような考え方からすると、人間の移動の自由という基本人権に制限をかけることは、政治のビジネス化の限界を越えていることになる。すでに多くの国の首脳がこのトランプの政策に反対や憂慮を表明している。残念ながら日本政府はまだ態度を明らかにしていない。安倍政権はトランプ政権と良好な関係を築くことを第一の目標としており、そのためトランプ政権の今回の政策に対して反対の態度を表明することに二の足を踏んでいるのかもしれない。しかしながら米国の友好国であるからこそ、米国の行き過ぎた政策に対してはそれをたしなめるという毅然とした態度が求められるのではないだろうか。

もう一つ気になるのが、トランプがイスラム諸国からの旅行者の米国入国禁止という政策を取った理由として、「キリスト教徒優先」という説明をしていることである。これは政治に宗教を持ち込むことを意味している。政治に「効率」というビジネス感覚を持ち込むというトランプの政策に関しては、今回のような行き過ぎには注意すべきであるが、政治のビジネス化自体は新しい政治の進め方として注目すべきであると私は考えている。

しかしそこに宗教を持ち込むのは賛成できない。宗教はビジネスの対極にあるものであり効率の対極にあるものである。その背後には人間の長い歴史的・文化的背景がある。それを政治に持ち込むことは、政治のビジネス化という基本的な考え方を壊してしまうことになる。

また同時に考えなければならないのは、歴史的に見るとキリスト教は他の宗教に対して非寛容的であったことである。キリスト教徒であるトランプも無意識にそのような考え方を持っており、イスラム教徒に対してある種の差別感を持っているのかもしれない。これは極めて危険である。

一方イスラム教は比較的他の宗教に対して寛容的であったことに気づくべきである。イスラム教を掲げて領土を拡大した過去のイスラム国家は、支配下の人々にイスラム教への改宗を強要したことはなかった。他の宗教を信じることも認めたのである。それが、21世紀になって政治の世界でトランプというキリスト教徒がイスラム教徒に対して米国への入国禁止という非寛容な態度をとるというのはいかにも皮肉である。

クールなビジネスマンとして米国政治を実行していこうというのがトランプ的政治であると私は理解しているのであるが、違うのだろうか。それともクールなビジネスマンとしてのトランプの表の顔の裏には、熱心なキリスト教徒としての別の顔が潜んでいるのであろうか。米国の政治の実施にあたって、熱心なキリスト教としての裏の顔を混在させることは極めて危険である。今後のトランプの政策において、この面に関しては私たちは注意深くチェックしていく必要があるだろう。

さて難民受け入れ禁止、イスラム諸国からの入国禁止という政策が極めて大きな反響を生んでおりそれ以外のトランプの政策が一時的にせよ忘れられている感がある。それを少し考えてみよう。たとえば米国とメキシコとの国境にメキシコからの不法入国を防ぐための巨大な壁を気づくというトランプの主張はどのように理解すべきだろう。

この政策があまりにも突飛なために、選挙期間中も彼のこの政策は米国民にとってはいわば冗談としてしか受け入れられなかった節がある。しかしトランプが大統領になって最初に署名した大統領令の中にはこの壁の建設の大統領令があった。彼は本気で壁を建設しようとしているのだろうか。

(続く)

シンガポール通信-トランプの「政治のビジネス化」は行き過ぎている

トランプ米国大統領が、シリア難民を含む難民の受け入れを停止するとともに、イスラム教徒が多数を占めるシリア、イラク、イランなど7カ国からの入国を禁止するという大統領令を発令した。この大統領令は即日実行に移されるために、すでに米国入国を拒否されたり、米国行きの飛行機への登場を拒否された人たちが300人近くにのぼっているという。

改めて米国大統領の持つ大きな力を認識するとともに、トランプも人騒がせなことをする人物であることを再認識した。入国拒否対象となる7カ国の人たちは、たとえ米国在住ビザを持っていても米国入国を拒否されることがあるため、一旦米国外に旅行などで出かけると米国へ戻れない可能性が出てくるというやっかいな法令である。

私のシンガポール国立大学時代に博士論文の指導を行った学生の中にもイラン人の女性がいるが、彼女は博士号を取得したのちにイギリスの大学を経て現在はカナダの大学で研究員として働いている。カナダの大学なので今回の米国の措置とは関係ないが、彼女はカナダと同時に米国の大学で働く可能性も探していたので、もし米国の大学を選択していたら、今回の大統領令の影響を受け国外に出ると戻れないということになっていた可能性が大きい。

シリア難民の受け入れに関しては、欧州の各国も難民の数の多さのために当初は無条件に受け入れていたのが、最近では受け入れを渋るようになってきた。とは言いながら民主主義国家の最大の理念は前回も書いたように人々の自由と人権の保障であるから、そう簡単には難民受け入れに対してノーということはできない。

そのために欧州各国もいろいろと苦労しているわけであるが、トランプはそれを一刀両断でシリア難民受け入れ禁止を実行したのである。さらにそれに加えテロの可能性のある国家としてシリア、イラン、イラクなどの中東の7カ国の国々からの入国を禁止したのである。

これこそが、前回述べたトランプが政治をビジネス化しようとしていることの実施例の一つである。政治をビジネス化すると何が起こるかというと、国家を豊かにすることを第一の目的とするため人々の自由や人権が保障されないということであることを述べたけれども、まさに米国ファーストという考え方の基に本来受け入れるべき人たちの自由と人権を抑圧しているわけである。

これまでの民主主義を至上とする国家の政策としては許されないことであるが、トランプの政治をビジネスとしてみるという立場からすると、理にかなっているのかもしれない。さて問題はそれを米国国民はどのように考えるか、そしてさらには大国である米国の影響力を考えると日本も含めて米国以外の国々の人々がどう考えるかということが問題になってくる。

先にも述べたように民主主義国家の最優先の理念は人々の自由と人権の保障である。政治にビジネス感覚を持ち込み、政治を効率的に進めることが政治のビジネス化であると書いたがそこにはおのずから限界がある。テロリストを入国させる可能性があるからという理由だけでイスラム諸国からの人々の入国を拒否するというのは明らかにその限界を越えている。

確かに米国内でのテロの可能性を完全に排除するためにはテロリストを生む可能性のあるイスラム諸国からの入国を拒否するというのは一つの考え方である。トランプ政権もそのような説明をしている。しかしテロリストを入国させる可能性という極めて小さい可能性を排除するために、大多数のこれらの国々の人々の「移動の自由」という基本的な人権を奪うことは政治のビジネス化の限界を越えていると考えられる。

ここに理念の追求と効率の追求のいずれを取るかという境界があるのではあるまいか。効率を追求するビジネスマンであるトランプからすると非効率的な考え方であろうが、リスクをとっても人々の自由と人権を守るという考え方は民主主義的な考え方が身についている世界の人々の基本的な考え方であろう。それが今回のトランプの政策が大きな非難を生んでいる理由である。
しかしどうもトランプはそして彼の取り巻きもそれをわかってはいないようである。米国の友好国の首脳はトランプに説得を試みるべきである。すでに英国首相、ドイツ首相はそのような立場を明らかにしている。ここは日本政府もトランプにそして米国政府に対して、リスクを冒しても自由と人権を守ることの大切さを説くべきである。

シンガポール通信-トランプが行おうとしているのは「政治のビジネス化」である:3

トランプ米国新大統領が米国で実施しようとしている政治のビジネス化は、別の言葉で言うと「国家を企業としてみる」ということかもしれない。国家というのはこれまである一定の領土とその中に住む国民を持ち、国民の自由と基本人権を最大限保証しつつ最大多数の国民に最大の幸福を与えることを目的とする組織体と言えるだろう。

それに対して、企業は利益追求と組織の拡大を最大目的とし、その実現によって企業で働く人たちに富を還元することを目的とする組織体と言えるだろう。国家と企業の最大の相違は、国家が国民の幸福を追求するのに対して企業は企業自身の利益を追求することにある。国家の利益=国民の幸福であれば両者はほぼ一致するが、実際には必ずしもそうはいかない。国家が利益追求に走り国民の幸福を置き去りにすることもあるだろうし、逆に企業も利益追求以外にそこで働く従業員の幸福、いいかえれば従業員の雇用確保にも心を配る必要がある。

それ以外の大きな違いは、現在世界の大半の国家の形態である民主主義国家が国民の自由と基本人権を保証することを最大の目的としてあげているのに対して、企業は「従業員の自由と人権の保証」というのはその基本的な理念の中には含まれていないことである。もちろん通常は、自由と人権は企業の上位概念である国家が保証するものであり、企業はそれに関与しないという暗黙の了解があるのである。

しかし実はそのことは企業が「従業員の自由と権利の保証」という大きな縛りから解放されることを意味しており、企業がそれを考えなくてもすむが故に利益追求をとことん追求しがちなことを意味している。そのことがブラック企業とか過労死などの社会問題を生むことになっているのである。しかし反面「従業員の自由と権利の保証」に縛られずに利益追求を行えるということは、企業運営が単純化し効率化することでもある。

グローバル企業が安い労働力を求めて自在に生産拠点を発展途上国に移し、そのために企業の生産性を上げることができているのはそのことを示している。もっともそのために、国内における生産拠点の空洞化や雇用の縮小といった問題を生んでいるのであるが。

現在の米国で生じていることはまさにそのことではあるまいか。トランプが実行しようとしているのは、米国を一つの企業体として考え、国民をその企業の従業員として考え、米国という企業の利益追求を第一に考えることによって国民の幸福を実現しようということではあるまいか。トランプのいう「米国第一」「米国を再び偉大にする」「これまで忘れ去さられていた人たちが忘れ去られることは二度とない」という言葉は、そのことを意味していると取ることができる。これが「国家のビジネス化」の意味するところである。

このような考え方は、企業が利益追求を効率的に行えるのと同様に米国という国家が利益効率的に追求できることを意味している。トランプはそのような進め方によって「米国を再び偉大にする」ことが可能であると考えているのではあるまいか。

このような国家の問題点は、国家と企業の違いに関して上に述べたように、国民の自由と人権の保証がおざなりになりやすい点である。社会主義国家や共産主義国家も国家を一つの企業体と考えているということもできる。しかしこれらの国家は、国家の繁栄を第一として国民の自由と人権を厳しく抑えてきたが故に、国民からの反発が大きく国家の形態としては将来にわたっては存続不可能ではないかと考えられている。

国家を企業体として考え運営することに成功してきた国家としてはシンガポールが挙げられるだろう。シンガポールは、小国ながらアジアと欧米のハブという位置にあることを最大限に利用して、貿易によって富を築きそれを国民に還元することによって国民の幸福を実現してきた国家である。シンガポールは国家を企業として考えることより極めて効率的に国家の利益を追求することが可能となり、第二次大戦後の短期間の間に国民一人当たりのGDPでは日本を抜き先進国の中でも上位の位置を占めるようになってきたのは、よく知られているところである。

もちろん国家の利益を第一に考えるという政策の故に国民の自由や人権はある程度抑えられている。形式上は民主主義国家であり、国民の投票によって選ればれた議員による議会制度に基づいているとはいえ、実際には国家の独立に功のあったリー・クアン・ユーに率いられてきた「人民行動党」の一党独裁のような状況にある。政府に対するマスコミや国民の非難は厳しくチェックされており、悪い言い方をすると「明るい北朝鮮」などと揶揄されることもある。しかし国の豊かな富が還元されるが故に、国民は豊かで一見幸せそうである。

これは、豊かさを取るか自由と人権を取るかという極めて難しい問題である。トランプが「米国を再び偉大にする」という政策を強行に実行しようとすると、国民の自由と人権をある程度犠牲にせざるを得ないかもしれない。現在米国のマスコミや芸能界、学問分野などでトランプに対する非難の声が高まっているのは、これらの人々が「米国第一」という政策を実行する中で人々の自由と人権が制限されることを恐れているのではあるまいか。

シンガポール通信-トランプが行おうとしているのは「政治のビジネス化」である:2

それではトランプ米国大統領が矢継ぎ早に表明している新しい政策の幾つかを取り上げて、彼が考えている政治のビジネス化とはどのようなものかを考えてみよう。先に結論を言っておくと、彼が表明している新しい政策の幾つかは結構まともなものであり、また他の幾つかは奇妙に見えてもそれなりに意味を持っているものであることがわかる。

まず最初に取り上げるのは、彼が自動車産業などの製造業に関わる企業に対して米国内にとどまり雇用を確保するよう強く要請していることである。前回述べたように、自動車産業などの製造業の多くは、少しでも安い賃金の労働力を求めて早くから海外に製造拠点を移してきた。これ自身は最大利益を追求する企業として当然の行為ではある。そしてその行為こそが、現在グローバリゼーションと呼ばれている地球規模の動きを引き起こしているのである。

しかしながらグローバル企業といえども、自社の利益追求ばかりではなくそれが属している国の国民を幸福にするという、より上位の使命も持っていることを忘れてはならない。ともすれば利益追求第一の掛け声の基にそのことが忘れさられ、自動車産業などの企業の多くが自国の工場を閉鎖して多くの雇用を無くしてきたというのは事実である。このようないわば行き過ぎたグローバリゼーションに歯止めをかけるという意味で、企業に対して米国内での生産拠点の確保と雇用の確保を米国政府として依頼するというのは、極めてまっとうな政策ではあるまいか。

もっとも、自動車企業に対して海外に拠点を移すようなら法外な税金をかけるというような、脅しともとれる言い方で企業に要請をするというトランプの姿勢は、たしかに彼が米国大統領という大きな権限を持っている地位にいるだけに問題が大きい。このことが彼が米国大統領としてふさわしくないという非難を生んでいるのはよく理解できる。

しかしながら、言っていること自体は極めてまともなことではあるまいか。むしろこれまでの大統領がこのような依頼を行ってこなかったということの方が奇妙に見えて来ないだろうか。つまりトランプはここでは、米国の政策の中に行き過ぎた企業のグローバリゼーションの是正を行うという、ビジネス的感覚を取り入れ政治とビジネスの融合を図っているということができないだろうか。

もちろんこれは行き過ぎれば、内向きの政策であるとか保護貿易につながるというような問題点を含んでいる。したがってどの程度まで強く要請するのかに関しては、優れたバランス感覚を要求されることは事実である。トランプを非難する人たちの多くは、彼がそのような優れたバランス感覚を持っているはずはないと思いそしてそれゆえに彼を非難するのだと思われるが、その結果が見えてくるにはもう少し時間がかかるのではないか。それまでは彼の姿勢を注視しておくというのが正しい行為なのではないだろうか。

またトランプの政策が間違っていないことは、彼の米国内で雇用を確保して欲しいという要請に対しすでに自動車産業の企業の幾つかが米国内での生産を増強するという形で対応しようとしていることですでに証明されているということもできる。自社の利益追求を第一とする企業がそのような態度をとるということは、米国政府からの優遇措置を期待していることはたしかにせよ、トランプの要請が荒唐無稽なものではなくビジネスの観点からもリーゾナブルなものであることを示しているのではあるまいか。

また日本のソフトバンクなどの米国以外以外の企業も、トランプの要請に応えて米国内に進出を計画しているという最近のニュースは、トランプのこの政策が企業からも魅力あるものに見えるということを示しているのではないだろうか。

そして何よりもニューヨークダウが2万ドルを突破し過去最高を記録しているという事実が、投資家がこのトランプの姿勢を歓迎していることを示しているのではないか。つまり人々は表向きは、トランプの歯に衣を着せぬ言い方に代表される彼の粗野な言動を不快に思い非難していても、その裏では彼がこれまでにない政治とビジネスのバランスを実現しようとしており、それをビジネスの側面から見ると大きなビジネスチャンスを生む可能性があることを直感的に理解しているのではあるまいか。

(続く)