シンガポール通信-トランプの「政治のビジネス化」は行き過ぎている

トランプ米国大統領が、シリア難民を含む難民の受け入れを停止するとともに、イスラム教徒が多数を占めるシリア、イラク、イランなど7カ国からの入国を禁止するという大統領令を発令した。この大統領令は即日実行に移されるために、すでに米国入国を拒否されたり、米国行きの飛行機への登場を拒否された人たちが300人近くにのぼっているという。

改めて米国大統領の持つ大きな力を認識するとともに、トランプも人騒がせなことをする人物であることを再認識した。入国拒否対象となる7カ国の人たちは、たとえ米国在住ビザを持っていても米国入国を拒否されることがあるため、一旦米国外に旅行などで出かけると米国へ戻れない可能性が出てくるというやっかいな法令である。

私のシンガポール国立大学時代に博士論文の指導を行った学生の中にもイラン人の女性がいるが、彼女は博士号を取得したのちにイギリスの大学を経て現在はカナダの大学で研究員として働いている。カナダの大学なので今回の米国の措置とは関係ないが、彼女はカナダと同時に米国の大学で働く可能性も探していたので、もし米国の大学を選択していたら、今回の大統領令の影響を受け国外に出ると戻れないということになっていた可能性が大きい。

シリア難民の受け入れに関しては、欧州の各国も難民の数の多さのために当初は無条件に受け入れていたのが、最近では受け入れを渋るようになってきた。とは言いながら民主主義国家の最大の理念は前回も書いたように人々の自由と人権の保障であるから、そう簡単には難民受け入れに対してノーということはできない。

そのために欧州各国もいろいろと苦労しているわけであるが、トランプはそれを一刀両断でシリア難民受け入れ禁止を実行したのである。さらにそれに加えテロの可能性のある国家としてシリア、イラン、イラクなどの中東の7カ国の国々からの入国を禁止したのである。

これこそが、前回述べたトランプが政治をビジネス化しようとしていることの実施例の一つである。政治をビジネス化すると何が起こるかというと、国家を豊かにすることを第一の目的とするため人々の自由や人権が保障されないということであることを述べたけれども、まさに米国ファーストという考え方の基に本来受け入れるべき人たちの自由と人権を抑圧しているわけである。

これまでの民主主義を至上とする国家の政策としては許されないことであるが、トランプの政治をビジネスとしてみるという立場からすると、理にかなっているのかもしれない。さて問題はそれを米国国民はどのように考えるか、そしてさらには大国である米国の影響力を考えると日本も含めて米国以外の国々の人々がどう考えるかということが問題になってくる。

先にも述べたように民主主義国家の最優先の理念は人々の自由と人権の保障である。政治にビジネス感覚を持ち込み、政治を効率的に進めることが政治のビジネス化であると書いたがそこにはおのずから限界がある。テロリストを入国させる可能性があるからという理由だけでイスラム諸国からの人々の入国を拒否するというのは明らかにその限界を越えている。

確かに米国内でのテロの可能性を完全に排除するためにはテロリストを生む可能性のあるイスラム諸国からの入国を拒否するというのは一つの考え方である。トランプ政権もそのような説明をしている。しかしテロリストを入国させる可能性という極めて小さい可能性を排除するために、大多数のこれらの国々の人々の「移動の自由」という基本的な人権を奪うことは政治のビジネス化の限界を越えていると考えられる。

ここに理念の追求と効率の追求のいずれを取るかという境界があるのではあるまいか。効率を追求するビジネスマンであるトランプからすると非効率的な考え方であろうが、リスクをとっても人々の自由と人権を守るという考え方は民主主義的な考え方が身についている世界の人々の基本的な考え方であろう。それが今回のトランプの政策が大きな非難を生んでいる理由である。
しかしどうもトランプはそして彼の取り巻きもそれをわかってはいないようである。米国の友好国の首脳はトランプに説得を試みるべきである。すでに英国首相、ドイツ首相はそのような立場を明らかにしている。ここは日本政府もトランプにそして米国政府に対して、リスクを冒しても自由と人権を守ることの大切さを説くべきである。