シンガポール通信-第3回京大おもろトーク
先週11月25日にシンポジウム「第3回京大おもろトーク:アートな京大をめざして」を開催し、私がその司会を担当した。
前回のシンポジウムの様子もこのブログで紹介したが、このシンポジウムは京大にアートを取り入れようとする動きの一環である。ここでいうアートを取り入れるとは、アート関係の学科や学部を設立することのみをめざしたものではない。
アートは人間の生存本能や創造本能から生まれてきたものであり、それは人間のすべての活動の基本となるべきものである。当然すべての学問もその基本には同様の本能があるべきである。しかしながら学問の発展とともに、いずれの分野でも学問領域の細分化が起こり、研究者の活動がそれぞれの分野に特化した極めて狭いものになりやすい。
もちろんそれはある意味で必然であるが、それはそれぞれの学問領域が孤立したり他の学問領域とのつながりや社会とのつながりを忘れる方向に向かいやすい。したがって学問領域の孤立化や社会との断絶を避け健全な学問の発展を求めるためには、研究者が常にその基本にある何かを創造したいという本能に耳を傾けたり、さらには人間や社会のあるべき姿を考える姿勢を保持している必要がある。
それらを思い起こしてくれるものがアートであり、アート的な考え方が常に研究者の研究の基本にあるべきだという考え方である。もちろんアートを制作する組織が京大の中にあることも望ましい。同時にそれとともにアート的な考え方に基づきそれぞれの学問の方向性を考えたり、学問間の統合を考えたりするいわば哲学を基本としたアート関係の組織こそが京大にはふさわしい。
そのような考え方に基づき京大にいかにアート的な考え方を持ち込むかを議論するのが本シンポジウムである。毎回外部から著名なアーティストを招き講演してもらうとともに、京大の中でアート的な考え方・活動に興味を持っている先生や学生にパネリストとなってもらい外部のアーティストとの議論によって「京大におけるアートとは」を考えようというわけである。
3回目の今回は外部からのアーティストとして世界的に著名な蔡國強氏を招待した。蔡國強氏は火薬を使ってアートを制作するアーティストとして知られている。火薬の爆発によって種々の形状を作り出したり、火薬を絵の具代わりにして絵を描き火薬に火をつけることによって新しい形態の絵画を制作したりしている。一般には北京オリンピックの開会式の花火がよくしられているであろう。
対する京大側は、理系に属しアートにも興味を持っている新進気鋭の2名の研究者(伊勢武史氏、磯部洋明氏)とキュレーター志望の学生1名(高木遊さん)の3名がパネリストとして登壇し、自分たちが行っているアート的な活動の紹介を行うとともに、蔡國強氏との間でアートの持つ意味や京大にアート以下に持ち込むかなどの議論を行った。
蔡國強氏は超有名人であるため、議論の進行役の司会の私としては気難しい人であると大変だと緊張していた。しかしながら案に相違して大変気さくな人で、自分のこれまでのアート制作の歴史を説明したり、京大側のパネリストとの突っ込んだ議論にも丁寧に答えてくれた。
今回のシンポジウムを通して京大の個々の教員、学生が常にアート的な考え方を持つことの必要性は参加者に理解してもらえたと確信している。今後は京大におけるアート関係の組織の具体的なあり方などの議論を行うことが必要であろう。
約200名収容の思修館の大会議室は観客で超満員。京大の教員・学生ばかりでなく京都市民さらには京都のアート関係の大学の学生など多種多様な参加者であった。
続いて蔡國強氏による講演。蔡國強氏は日本に約10年住んでいたことがあり、大変流暢な日本語で自分のアート制作の経歴を語ってくれた。作品は人を語るというが、まさに彼のアート作品の歴史を見ていると彼が何を考え何を実現しようとしてこれまでアート制作活動を続けてきたかが理解でき感動させられた。
続いて3名の京大側の教員・学生がパネリストとして登壇し、自分たちのアートに関わる活動を紹介するとともに、アートと学問の関係、京大におけるアートのあり方などの突っ込んだ議論を行った。左から伊勢先生、蔡國強氏、磯部先生、高木さん。高木さんのアートのあり方に関する直裁な質問に対してみなさん難しい顔をしているところ。
このシンポジウムの仕掛け人である山極京大総長もここというところでは議論に参加して、議論を盛り上げて頂いた。
最後に今回のシンポジウム全体の企画・取りまとめを行った土佐先生より結びの言葉。
シンポジウムが無事終わったところで、関係者で記念写真。左から高木さん、伊勢先生、蔡國強氏、山極総長、磯部先生、土佐先生、そして私。