シンガポール通信-2015年世界大学ランキング3:ランキング向上のこつは受験対策と同じ?

さて文部科学省も日本の大学が実力を持ちながら大学世界ランキングで上位にくる大学が少ない事に業をにやしたのか、「スーパーグローバル大学構想」というのを持ち出した。これは大学の国際競争力を高めるために、国立大・公立大・私立大から特定の大学を選んで、2023年度までの10年間に最高約4億2千万円の補助金を毎年支給するというものである。

すでにスーパーグローバル大学の選定は2014年9月に行われ、37校が選ばれている。内容は2種類に分かれており、海外から優秀な教員を獲得し世界大学ランキング100位以内をめざす「トップ型」と、大学教育の国際化のモデルを示す「グローバル化牽引型」からなっている。トップ型には東大・京大を筆頭として旧帝大を含んだ13校が選ばれ、ここには毎年約4億2千万円が支給される。またグローバル牽引型に関しては私立大学も含めて24校が選定され、こちらには毎年1億7000万円が支給されるとのことである。

やっと日本政府も国際レベルでの大学の評価の大切さを認識したか、これで大学世界ランキングの日本の大学のランクも大幅にアップするだろうと安心する向きも多いだろう。しかし事はそう簡単に進むとは思えない。それはなぜかというと、世界大学ランキングを上昇させるにはどうすれば良いかを日本の各大学はあまり分かっているとは思えないからである。

前回も少し書いたが、シンガポールの南洋工科大(NTU)が急激にランクを上昇させたのは、大学世界ランキングにおける複数の評価項目の内容を詳細に分析し、そのそれぞれをアップするために最も効率的な方法は何かを考え、大学内に専門の組織を設けその組織が各部門に対してそのような手法を徹底するよう指導したからである。(これはあくまで私の推測によるものであるが、多分当たっていると考えている。)

これはいわゆる受験をめざした受験対策勉強の仕方と同様ではないか。大学の入学試験に受かるには効率の良い受験対策をとるのがもっとも効率は良い。しかしそれが本当の意味での知力・学力向上には寄与しないのではないかというのが、受験対策を目的とした勉学を非難する立場での議論である。しかし受験生が受験対策勉強をする事はごくあたりまえのこととして受け入れられている。

ところが日本の大学は、最高学府である事を自負するあまり、上記のような受験対策的な施策をとる事をよしとしない。そのためスーパーグローバル大学構想の対象校として選定されると、大学の国際力とは何かという事を真面目に考え議論する事から出発してしまう。日本の大学はいずれもあまりにも真面目すぎるのである。

そうすると、大学の学生や教員の個々人の国際力を増すにはどうすれば良いかという議論になりがちである。それは結局のところ、教員や学生の英語力を増すにはどうすれば良いかという、どこかの企業が英語を公用語にしたというたぐいの議論になる。そこまで行かなくても、国際会議を開催する回数を増やしたり、教員を海外に出張に出す回数を増やしたり、さらには学生に対する海外研修の機会を増やしたりという施策に終わってしまう可能性がある。

毎年4億円以上の予算というのはたいした金額のように聞こえるが、その半分を教員の国際力向上に使うとして教員数が3千人いてばらまき行政をすれば、一人当たり10万円以下である。1回の海外出張もまかなえない金額にしかならないではないか。まあそこまでのばらまきはしないにせよ、大筋としてはそのような方向になるのではないかというのが、私が恐れるところである。

前回も書いたが、世界大学ランキングでは論文数などの定量的な評価に加えて、大きくきくのは外部から見た大学の評価いわゆる主観評価である。これを上げるには大学の存在感を世界の著名な研究者にアピールすること、いわゆる宣伝が重要である。特に実力を持ちながら国際レベルで十分に評価されていない大学では、そのような施策が有効ではなかろうか。そしてまさに日本の大学がおかれた位置というのは、そのようなものであると私は信じている。

自分の大学の本当の意味での実力が優れている事を示すパンフレットなどの宣伝資料を作成する事、そしてそれを用いて世界の著名な研究者、影響力のある研究者にアプローチして自分の大学の実力をアピールする事、これらが宣伝として優れている事は多くの人が認めるだろう。そして時には海外の著名な新聞やテレビで広告を打つ事も有効であろう。たとえば米国のテレビ番組で短くても良いから科学技術関係の番組枠をとることも有効であろう。

このような手法に4億円を用いればどのような効果が出るか。スーパーグローバル大学構想に選ばれた大学でその様な発想を持っている大学がいるだろうか。とてもいるとも思えないが、1つか2つの大学には乱暴かもしれないがそのような施策を文科省が強制するというのはどうだろう。これもまたとても実現するとは思えない施策である。しかしながら、世界大学ランキングのランクアップというのは、ある意味で受験対策と同じ考え方が必要であるという事は再度強調しておきたい。