シンガポール通信-領土拡大政策と宗教

さて現在の中国に対する外交政策の取り方を考える際に、これまで述べてきた中国の歴史を知ることは大きなヒントになる。これまで述べてきたように中国はそれだけでも広大な領土を抱える大国であり、まだ不安定な国内の情勢を安定化することが最重要課題であって、それ以上領土を拡大するという覇権主義を本気で考えているわけではないと考えられる。

マスコミ等では、現在の中国の行動を中国の覇権主義によるものであり、中国が自分の側につくか米国側につくかの決断を周辺国に強要しているかのように記述しているが、それは必ずしも正しくない。中国が求めているのはアジアの強大国としての中国の地位を認めよということであって、米国との友好関係を破ってまで中国との友好関係を築くことを求めているわけではない。

中国が求めているのはアジアの盟主国としての象徴的な地位であって、自分たちが世界のリーダーとなることを望んでいるわけではないと考えられる。したがって例えば日本が米国との安全保障条約を保持したまま中国との友好関係を築くことは可能である。多くの人口と広大な領土を有する中国を日本にとってはマーケットを有する製品の輸出先すなわちお客様として接し、また文化的には日本の多くの文化をもたらした文化の流入元としてその歴史と文化を尊重する。そして政治的には従来通り西側諸国の一員として米国との友好関係を維持する。これがこれからの日本が進むべき道であろう。

かっての中国の歴史を見ると、漢の時代には西方にはローマ帝国という漢に並ぶ広大な帝国が存在し、漢もその存在を知っており貿易関係の樹立などを図ろうとした。また唐の時代には欧州には東ローマ帝国、中東にはイスラム帝国という強大な帝国が存在した。唐はその初期において領土拡大政策をとり西方に進出したが、タラス河畔の戦いにおいてイスラム軍に大敗したことによってその領土拡大戦略は挫折する。このことはそれ以降の中国の歴代国家の対外政策に大きな影響を与えたのではなかろうか。

以上のことから、漢民族によって設立された中国の歴代帝国(漢、唐、宋、明など)のとった対外政策が基本的には領土拡大などの覇権主義ではなかったということがいえるのではないか。もちろん、全く覇権主義がなかったと言えば嘘になるが、欧州や中東の歴代の大国の極端な覇権主義に比較すると、温和なものであったということができる。

それに対して欧州や中東では事情が異なる。欧州ではローマ帝国が領土拡大政策をとり地中海世界を含む欧州の広大な部分を帝国の領土とした。もっともローマ帝国のとった政策は占領地域を武力で押さえつけるのではなく、それまでの政治体制を保持したり出来るだけ現地の人材を活用したりするという同和的な政策であった。

ところがキリスト教が普及して以降は欧州の国々の対外政策は大きく変化する。武力を行使して現地の政治体制を破壊し、自国の利益を代表する政府をその後に樹立する。さらに「植民」という言葉に代表されるように、自国の国民を移民し現地の人間を奴隷として使役することによって、自国の人間が住む自国の領土としようとする政策がとられたのである。

特にスペインによる中部アメリカ、南アメリカに対する植民地政策は過酷を極めた。現地人(インディオ)を劣った人種として彼らを殺すことを罪悪とはみなさないという考え方によって、多くのインディオが虐殺されまたスペイン人が持ち込んだ病原菌により多くのインディオが死亡した。そして残された土地にスペイン人が植民し、インディオを奴隷として酷使し収益を得た。

これが欧州のもしくは白人の領土拡大政策なのである。そして過去の歴史を見てもこのような領土拡大政策がむしろ通常であって、それに比較すると中国の対外政策は温和なものであったということができるのではないだろうか。

しかもその領土拡大政策が宗教即ちキリスト教と一体となって行われたというところに、欧州の領土拡大政策の特徴がある。キリスト教の教えを広めようという使命に燃えた神父がつねに軍隊と一緒に行動し、占領地の人々をキリスト教に改宗させようとする。キリスト教を信じない人々を哀れな人々もしくは改心させるべき異教徒として考えることによって、神父には布教のための理由付けが行われ、また領土拡大のための戦いを進める軍隊には戦いを行うための正当性が与えられた。

このようなキリスト教と軍隊の組み合わせが、欧州の国々の領土拡大政策に大きな力となったのである。これはイスラム教の場合も同様であって、有名な「片手にコーラン、片手に剣」という言葉は、武力でもってイスラム教への改宗をせまりながら領土拡大政策を続けたイスラム帝国の政策を見事に表現している。

キリスト教は本来それほど先鋭的なもしくは好戦的な宗教ではないのに、なぜキリスト教と領土拡大政策が一緒になって機能するということが生じるのだろうか。それはイスラム教の「片手にコーラン、片手に剣」という過激な考え方にも共通するところがある。キリスト教イスラム教などの一神教の基本的な教義は「教義拡大主義」とでもいうべき先鋭的な考え方と結びつきやすいのだろうか。