シンガポール通信-トランプが行おうとしているのは「政治のビジネス化」である

CNNを見ていると、トランプがメキシコとの国境に壁を建設するという政策にサインしたとのニュースを流れてきた。選挙期間中に公約の目玉の一つとしてトランプが主張してきたことではあるが、ほとんどの人が実現は不可能だろうと考え、いわば冗談だろうと考えてきた政策である。それがまだ何も具体的になっていないとはいえ、トランプの当初の政策の一つとして実際に取り上げられることになったのである。
CNNでも多くのコメンテーターが入れ替わり立ち替わり意見を述べているが、皆さんまだ半信半疑で、「必要な膨大な予算の措置が難しいだろう」などの枝葉の議論に終始しているようである。つまりまだトランプが実際に何をしようとしているのか、誰もわからないという段階なのではあるまいか。
もちろん私自身もトランプが何をしようとしているかをよく解っているわけではないが、ともかくも彼が行おうとしていることが、トランプの悪口を言うときによく言われる「政治を知らないビジネスマンのその場の思いつきの政策」ではなくて、ある種の基本的なコンセプトのもとに実行しようとしていることは確かなのではないかと思っている。
トランプが実行しようとしていることは、一言でいえば、「政治のビジネス化」や「政治とビジネスの融合」などの言葉で表現出来ることなのではないかと私は考えている。現在の世界を構成しているものが、民主主義を基本概念とした国家群(もちろん例外もあるが)と、自由主義経済もしくは資本主義経済を基本概念としてビジネスを展開する企業群であることは明らかであろう。そして長い歴史の中ではこれらのうち国家が上位概念であり、世界は国家間の政治的な駆け引きの場であり、ビジネスは国家の定めた規則の中で活動を行う国家に比較して低次概念と考えられてきたのではあるまいか。
しかしながら、ビジネスは国家の規制を乗り越え国境という制限を乗り越えて世界に活動の場を広げてきたというのが、これも歴史の流れを見ると明らかなのではあるまいか。つまり利益を得る、言い換えれば金のためならば人間は国家という概念を飛び越えて活動の場を広げるのである。利益第一主義こそが資本主義をこれまで成功されてきた基本的な原理である。
現在も製造業はより低賃金の労働者を求めて次々と製造拠点を変えていっている。そこには国家にしばられるというような義理人情の世界は皆無である。これがいわゆるグローバリゼーションといわれるものである。そして国家も企業が利益を求めて世界にビジネスの活動の場を広げることを認めてきたのではあるまいか。
それは当然のように、その流れに乗った勝者とその流れに取り残された敗者を生む。米国の製造業が拠点を国内から世界へと移していったことによって、米国の中間層以下の人たちの多くが職を奪われ、所得格差が広がっているというのが現在米国で(そして先進国の多くで)起こっていることである。それに対して国家はどのような対策を取ってきたか。国家が取ってきたのは、自由競争は認めておきながら、そこで取り残された人たちいわゆる敗者をいかに救うかという政策なのではあるまいか。それの一つの政策が「オバマケア」なのではないだろうか。
これはある意味で国家が上位概念でビジネスは下位概念であるという状況がひっくり返って、資本主義ビジネスが引き起こす問題点を国家が尻拭いをしているという状況が生じていることを示してはいないだろうか。
つまり国家が神聖なる上位概念で、ビジネスはそれに比較すると低俗な下位概念であるという基本的な考え方は、すでに崩れ去りつつあると考えてもいい。しかしながら大半の政治家はまだそれに気づいておらず、相も変わらず国家間の政治の駆け引きに時間を費やしているのではないか。このような状況をトランプは敏感に感じ取っているのかもしれない。そして彼は政治というこれまでビジネスに比較して高尚と考えられてきた活動を、その高みから引き下ろしビジネスとして考えようとしているのではないか。それが私が最初に書いた、「政治のビジネス化」や「政治とビジネスの融合」などの言葉で表現されることであると私は考えている。
このような観点から現在トランプが実行しようとしている政策を見ると、なかなか興味ふかいもしくはわかりやすい点が見えて来る。次にそれらを考えてみよう。
(続く)

シンガポール通信-トランプはなぜ人気がないのだろう?

12月下旬のニューヨークでの土佐尚子のアート作品の展示に続いて、1月上旬はシンガポールでの展示を行った。それを終え、現在はロサンゼルスに来ている。ULCA(カリフォルニア大学ロサンゼルス校)での展示を行うためである。シンガポールやロサンゼルスでの展示に関してはまた別途書く予定であるが、まずは米国の新大統領ロナルド・トランプについて書くことにしよう。

トランプの米国新大統領就任式は、ご存知のように1月20日ワシントンにおいて行われた。ワシントンとロサンザルスは数時間の時差があるとはいえほぼ同じ時間帯であり、テレビで大統領就任式のほぼ全体を見ることができた。またこちらの人々の反応も知ることができた。米国大統領就任式といういろいろと話題になっているイベント及びそれに引き続く出来事の際に米国に滞在できたのはある意味幸運であると考えている。

さてこちらの人のトランプに関する意見であるが、いわゆる知識層と呼ばれる人々の間では予想以上にトランプは不人気である。いろいろな人にトランプをどう思うかを聞いてみても、だれもが「もうあの男にはうんざりだ」という口調で非難する。なかには「彼は早晩暗殺されるのではないか」などと不気味な言葉を吐く人さえいる。

なぜトランプは知識層の間でこのように嫌われるのだろう。それは多分彼の粗野・粗雑な物の言い方、表情、さらには身振りが大きく影響しているのではないだろうか。同じようなスピーチの内容でも、オバマ全大統領に代表されるような知識人はもっとソフトに衣で包んで少なくとも耳に不愉快に響かない言葉使いをする。それがトランプの場合は、よく指摘されるように小学生レベルの単語・文法を使ってダイレクトに断定口調でしゃべる。このような口のきき方がどうも知識人たちには不愉快に聞こえる、そしてときには我慢が出来ないらしい。

さらにそれに加えて、彼の顔の表情も嫌われる理由であろう。これもまた前オバマ大統領に代表されるような知識人と呼ばれる人たちは、スピーチの際には常にかすかな微笑をたたえながら、人々の心に訴えるような顔表情を作りつつ喋るのが通例である。それがトランプの場合は、苦虫をかみつぶしたような表情で、かつ議論で相手を徹底的にやり込めるときにするような表情でスピーチを行う。どうもこれも知識人の嫌う表情のようである。

さらには、彼はよく聴衆の誰かを指で指し示して「あんたそう思うだろう」とか「いやあんたは私は嫌いだ」という言い方をすることがある。人を指で指し示すというのは、欧米圏では人を物扱いするジェスチャとして大変嫌われる動作である。このような動作をしばしばすることもトランプが知識人から嫌われる理由であると思われる。

このような彼の物の言い方、そして表情作りは彼の本来のものなのか、それともある程度意識して行っているのかということも話題になっている。知識人の多くは彼の物の言い方や表情は彼本来のものであると考えているようである。だからトランプは低俗だということになり、世界第一の国である米国がそのような大統領を持つのは恥であるという結論にたどり着くのであろう。

しかし私の思うところでは、彼のものの言い方や表情は米国の中間層以下の人たちを対象に「強い大統領、マッチョな大統領」というイメージを送ることを明らかに意識していると思われる。以前にも書いたが、米国の西部開拓を含めた歴史の中では、知識を持った頭のいい優男より、少々粗野であっても強い意志と力を持ち人々を引っ張っていける強い男・マッチョな男が好かれてきたのではないだろうか。

どうも西部劇の人気後退とともに、そのような強いマッチョな男が米国を代表する男だというイメージが特に知識人の間では廃れていったのではないだろうか。もっともそのようなイメージはまだまだ米国の中間層以下の人たちの間では健在であり、そしてそれが今回のトランプ大統領誕生につながったのではないかという気がしている。

と同時に、彼がビジネスの世界で成功体験を積み重ねてきた男であることも忘れてはならない。ビジネスの世界でも、あいつは低俗なやつだなどと思われてはある程度以上の成功は望めないのではないだろうか。したがってビジネスの世界ではトランプは低俗なビジネスマンだとは思われていないということなのではないか。

私は彼を政治家というよりビジネスマンとしてみるべきだと考えている。それでは彼は米国の政治をどのような方向にもっていこうとしているのだろうか。それは一言で言えば「政治のビジネス化」ではないかと私は考えている。

(続く)

シンガポール通信-ワールド・トレード・センター観光

ニューヨーク滞在中訪れた場所でもう一つ印象に残っているのは、ワールド・トレード・センターWTC)である。誰もが知っているように、かってのWTCは、2001年のアメリ同時多発テロいわゆる9.11で崩壊した。私もWTCに航空機が突入するニュース映像を何回も見て、このようなことが実際に起こるのだと大きなショックを受けた記憶がある。

それ以降、ここまで大きなテロ事件は起こっていないというものの、アラブ諸国ではテロは日常茶飯事のように起こっており多くの人命が失われている。また先進諸国でもフランスでのテロに代表されるように、いつどこでテロが起こるか予測し難い状況になっている。その多くはイスラム国(IS)などのイスラム過激派によるものであるが、それ以外にも北朝鮮がミサイル開発と発射実験によって欧米諸国に対して挑発を続けているなど、世界はまだまだ不安定な状態にある。

そしてそのような状態の中で生じた、英国においてEU離脱いわゆるBrexit国民投票により決定したことと米国の次期大統領にこれも国民投票によりトランプ氏が選出されたことは、21世紀が政治的により不安定な時期に突入するのではということを予感させてくれる。

それらのことはまた別に考える必要があるけれども、そのような21世紀を予感させた事件の場所としてのWTCは私もぜひとも一度訪れたいと考えていた場所である。訪れた時間は夜も9時を過ぎていたがまだまだ多くの観光客が訪れており、この場所に対する人々の大きな関心を示していた。

かってのWTCビルが建っていた場所は、ノースタワー・メモリアルおよびサウスタワー・メモリアルと名付けられた二つの池として残されている。池の周辺には9.11のWTC崩壊に伴う犠牲者の名前が刻まれており、犠牲者への哀悼を示すとともにテロに対する抵抗の気持ちを表明しており、一つの聖地としての存在感が感じられ、感慨深かった。

ただ一つ少し違和感を感じたのはすぐそばに、大規模なショッピングセンターがあることである。REISS Westfield World Trade Centerと名付けられたセンターは、外見は広島の平和公園の「原爆死没者慰霊碑」を思わせるような形をしており、9.11の犠牲者の冥福を祈ることを目的としているように見える。また内部も照明などは厳かな雰囲気が出るように工夫をしてあり大変に美しい。しかしながらショッピングセンターであることに変わりはない。

広島の原爆ドームのすぐそばに大規模なショッピングセンターがあることを想像すると、私たち日本人は聖地にショッピングセンターを設けることに対して抵抗感を持つのであるが、これが日本と米国の文化の違いだろうか。



ノースタワーメモリアル。9.11で崩壊したWTCのビルの形をそのまま池としてある。また周囲には犠牲者の名前を刻んである。



9.11メモリアルと名付けられたミュージアム。中にはWTCの遺品などが展示されており、入りたかったが深夜にもかかわらず多くの人が入場のために列をなしており、残念ながら今回は入ることを諦めた。



ノースタワー・メモリアル越しに4ワールドトレードセンターを眺める。かってWTCビルがあった場所を取り囲んで6つの新しいWTCビルが建てられる予定であり、現在そのうち3つが完成している。



ワン・ワールドトレードセンター。新しいWTCビル群の象徴的な存在でよく知られている。現在西半球で最も高いビルである。



REISS Westfield World Trade Centerの外観。慰霊碑を思わせる外観をしている。



その内部。照明は荘厳な感じになっているが、実際にはショッピングセンターであり、WTC跡地に大きなショッピングセンターがあるのは日本人としては違和感を感じる。

シンガポール通信-ニューヨーク、タイムズスクエアでのイベント

12月末でニューヨークでの展示を終え29日ニューヨーク発31日早朝シンガポール着の飛行機でシンガポールに移動した。大晦日シンガポールで過ごしたことになるので、通常であれば年が変わるカウントダウンのイベントを見にマリーナ・ベイ・サンズあたりに出かけるところであるが、トランジットの時間も含めると24時間以上の旅に疲れ切って、マリーナ・ベイ・サンズに行ってはみたものの結局カウントダウンのイベントが始まる前に帰ってしまった。

さてニューヨークではあまり観光の時間がなかったが2箇所ばかり訪れた場所を紹介しておこう。一つはタイムズスクエアである。タイムズスクエアは誰もが知っておりかつ訪れる場所であるが、そこでミッドナイトモーメントというイベントが行われていることはあまり知られていないのではないだろうか。ミッドナイトモーメントはNPOが行っているイベントで、タイムズスクエアに数多くあるディスプレイを借り切って、午後11時57分から深夜の12時まで毎晩3分間アーティストのビデオ作品を上映しようというイベントである。

すべてのディスプレイを借り切って上映できれば大変迫力のあるイベントになるが、残念ながら一部は旧来のペイントされた広告であったり、その趣旨に賛同しない企業もあったりするので、必ずしもそのイベントの際にタイムズスクエアの風景が一変するというまでには至らない。とは言いながら、かなり多くのディスプレイに一斉にビデオ作品が上映されるのはなかなかのものである。

もちろん自分のアート作品をそのような形で上映してもらいたいアーティストは多いので、NPOに申請し選考過程を経て上映が決定されることになる。選考されたアーティストのビデオ作品は一ヶ月の間毎晩上映されるので、それなりの関心を集めることは間違いない。土佐のビデオ作品を用いて申請書を提出したところ幸いにも4月の一ヶ月間上映されることとなった。

そこで今回はその下見としてミッドナイトモーメントを見学することとした。12月のニューヨークは深夜になると零度以下という日本以上の寒さである。その中で深夜にタイムズスクエアに出かけるというのもちょっとした勇気がいるものである。しかしながら、現地に行ってみると深夜というのに昼間と変わらないもしくはそれ以上の人だかりである。さすがはニューヨークという感じである。



タイムズスクエアの様子。もう深夜近いというのに車の渋滞と多くの人で賑わっている。





いよいよミッドナイトモーメントが始まった。LEDディスプレイ以外の広告もあるので、すべての広告版が使われるというわけではないが、それなりに迫力はある。



ミッドナイトモーメントの間大騒ぎしていたグループがある。多分上映しているビデオ作品のアーティストとそのサポーターのグループだろう。

シンガポール通信-トランプは大統領として力を発揮できるか?

ドナルド・トランプが次期米国大統領に選出された今回の米国の大統領選挙の特徴は、米国人がこれまで大統領などの国を牽引していくべきリーダーに求める理想とする人物像が、これまで通例であった知識層を代表する人物ではなくて、言動は上品ではないが強靭な肉体を持ち強いリーダーシップを持つ人物、いわゆるマッチョな人物を選択したことだろう。

マッチョな人物というのは、実は米国の求める理想とする人物像のもう一つのものであることは、これまでの歴史からも明らかである。マッチョの代表であるシュワルツネッガーいわゆるシュワちゃんは、カリフォルニア州の知事を無事勤めおおせたし、米国大統領でもロナルド・レーガンは、著名な映画俳優としての彼の経歴が彼を米国大統領に押し上げたことは明らかであろう。その後彼がテレビにおいて司会やCM出演で米国の人々の間で広く知られたことも、トランプの経歴と似ている点がある。

もっとも、レーガンの場合はカリフォルニア州知事を務めているから、全くの政治経験がないというわけではない。その意味ではたしかに全く政治経験のないトランプがいきなり米国大統領に選出されるというのは人々にとって驚きであったのかもしれない。もっとも日本でも、テレビタレントやスポーツ選手などの国民に広く名前が知られている人物が、何の政治経験もないままに国会議員に選出されることはよくあることではあるまいか。

もっともそれらの人々の大半が、政治経験のないために国会議員に選出された後の政党や国会での活躍の機会が制限されていることは事実であり、タレントやスポーツ選手が大臣やさらには首相になるというのは日本では難しいのかもしれない。それは日本が大統領を持たず、いきなり国民の投票で国のトップである大統領を選出するという仕組みを持たないという、システムの問題ではないのだろうか。

日本で政治のトップを選挙で選べる仕組みの代表的なものとしては、知事選がある。その代表例である東京都の都知事の選挙は、東京都が日本の中で大きな影響力を持つことを考えると、米国における大統領選挙のスモールバージョンと言えるかもしれない。

そして都知事としてはこれまでも、タレントで作家である青島幸男や作家である石原慎太郎などの有名人が都知事に選出されてきた例がある。もっとも青島幸男石原慎太郎都知事になる前は国会議員を経験しているから、政治経験はそれなりに持っている。ただ青島幸男石原慎太郎も国会議員時代は話題になる発言はあったとしても、実際の活動の機会は極めて限られていた。それが東京都知事となり、東京都を統治する大きな権限を持ってからは、東京都知事としての力を発揮し、評価されるような成果を出したことも事実である。

つまりタレントや作家出身者であっても、国会議員の一員としては活躍の場が限られていても、東京都知事のようなある組織のトップになればその人がリーダーとしての力量を持っていればそれを発揮できる場合が多いことは、これまでの歴史が示しているのである。いやむしろ、まずは国会議員に当選し特定の政党に属してその政党の中で活動と成果を一つずつ積み重ね、大臣やあわよくば首相を狙おうという大半の国会議員が歩んできたキャリアの積み重ね方は、国会議員としての生き方はうまくなるかもしれないが、首相のような一国の指導者にふさわしい人物を生むには適していない可能性が大きいのではあるまいか。

これは、大企業に就職しサラリーマンとしての出世の階段を一段ずつ登って、なんとかそのトップである社長に出世した人たちの多くが、企業の舵をとる社長としてはごくごく平凡な力しか発揮できなかったり、さらには企業統治の面で大きな過ちをする例が多いことからもわかるのではあるまいか。

トランプはたしかに政治の経験はない。しかしビジネスマンとしては、親から引き継いだとはいえトランプ王国と言われるビジネス集団を継続しさらには発展させてきた実績を持っている。彼が色々と非難されることの一つは、再度いうけれども彼がビジネスマンでありビジネスでの成功経験はあるけれども、政治における経験がないことである。そしてマスコミや識者たちは「ビジネスと政治は違う」そしてさらには「トランプは政治をビジネスとして考えている」ということを理由に、政治経験のないトランプの大統領としての力量を疑問視するのである。

しかし政治とビジネスは本当に別のものだろうか。

シンガポール通信-トランプは米国でどう受け止められているか

トランプ氏の米国大統領就任まで一ヶ月をきった。色々と日本でもいい意味でも悪い意味でも話題になっている彼の大統領就任に関して、米国そしてニューヨークではどう受け止められているのだろう。

日本では、いまだに米国ではトランプ氏への反感が根強く、彼の大統領就任に対する反対運動が活発に行われているという報道がなされている。今回ニューヨークに2週間ほど滞在するので、その辺りを肌で感じてみようというのも今回のニューヨークへの旅の一つの目的でもあった。

結論から言うと、一般の人々やマスコミには、すでにトランプの大統領就任は規定の事実として受け止められているというのが、私の受けた印象である。トランプの大統領就任そのものを議論する時期は過ぎ、現在では彼が閣僚に選ぶ人たちの経歴の紹介やそれらに関する議論や、トランプがどのような政治をしようとしているのかに関する議論などがテレビ番組などを見ている限りマスコミの興味の中心になっているようである。

今回の大統領選で最も注目されたのは、彼が選ばれることを予測したメディアはほぼ皆無であったことであろう。彼の歯に衣着せぬ言い方、既存のメディアの報道に対する攻撃姿勢、そしてまたオバマ現大統領や大統領選で戦ったクリントンに代表される理想主義・知性主義をあからさまに攻撃し大衆に訴えるポピュラリズムなどは、マスコミの最も嫌うものであり、すべてのマスコミはトランプのような人間に人々が投票するわけはないと最初から決めてかかっていた節がある。

日本の大手のマスコミもそうであるが、米国の大手のマスコミも実は社会の上層部の一部の知識層を相手にし、知識層の人々の意見を反映して記事を書いてきたのが本当のところであろう。そしてそのことは、大手のマスコミの発信する情報が社会の大半を構成する中間層の人々の意見を反映したものではないということが、はからずも今回の米国の大統領選挙の結果から明らかになったのではあるまいか。

トランプがあからさまに女性を対象とした性的な発言、言い換えると女性を蔑視した発言を繰り返してきたことは、マスコミからは彼の知性の少なさ下品さであるとして攻撃されてきた。そのことが彼が米国大統領にふさわしくないという考えに結びつき、そしてそれがマスコミが反トランプで一致した理由であろう。

しかし考えてみればトランプの女性蔑視の言葉の大半はロッカールームのような私的な場所で話されたものである。トランプ自身も「それはロッカールーム・トークである」という言い方をしてきた。しかしマスコミは私的な場所だろうが下品な言葉を吐く人間は大統領にふさわしくないと決めてかかったのではないだろうか。

しかし大半の男性は自分の欲望面では女性を性的な対象としてみており、そして女性にもてたいと考えているのではなかろうか。もちろんそれを公的な場で公にすることはその人の人格を疑われることにつながるだろう。(もっとも日本では国会議員などの中にもそのような言動に及ぶ人がいるのは事実であるが。)しかし知識階級と言われる人たちの間でも、男同士での飲み会などではそのような会話をすることは珍しくないし、労働者階級の人たちの間では日常茶飯事であろう。

それはごく普通の、人間の欲望の発露ではないのだろうか。もちろんオバマ現大統領に代表されるような本当の意味での知識階級の人たちは、そのような欲望を抑え込み私的な場でもそのような発言をしないような訓練を積んでいるのであろう。マスコミはそれが当たり前と考えてきたのではあるまいか。しかしのような欲望を抑え込むことは簡単なことではない。

抑え込むことがストレスにつながり、ストレスが高じた挙句深刻な犯罪を引き起こすというのは、私たちがマスコミのニュースでよく見かけることではあるまいか。その代表例がヒラリー・クリントンの夫でもと米国大統領のビル・クリントンがモニカ・ルインスキーと性的関係を持つという、問題を引き起こしたことであろう。これをトランプのいわゆる「ロッカールーム・トーク」と比較すると、ビル・クリントンの引き起こしたことは比較にならないほど重大な問題ではないだろうか。

シンガポール通信-ニューヨークでの展示

ロンドンでの展示がとりあえずスムースに開始され我々の仕事が一段落したところで(展示自体は年度いっぱいまで延長となり継続しているが)、次はニューヨークでの展示である。ニューヨークでは、文化庁を通して交渉しニューヨークの日本総領事館のギャラリーで行うこととなった。本音を言うと、いわゆる有名どころのギャラリーで展示を行いたかったのであるが、そこはアートの激戦区ニューヨーク、大半のギャラリーはすでに1年以上先のスケジュールが決まっており、結局比較的融通がきく日本総領事館のギャラリーで行うこととなった。

ビデオアートの展示なのでコンテンツそのものは小型の外付ディスクなどで簡単に持ち運びできるが、問題はプロジェクターである。通常の学会発表などに使うプロジェクターであれば小型のものが出回っているので、持ち運びは楽だしギャラリーにも備え付けてある。しかしながら大画面で高精細の動画を投影しようとすると、どうしても高輝度、高精細のプロジェクターが必要になる。

通常のプロジェクターがたかだか3000〜5000ルーメンの明るさであるのに対し10000ルーメンもしくはそれ以上の輝度が望ましい。となると結構大型で値段もかさばるものになりどこにでもあるというものではなくなる。また解像度も最低フルハイビジョン、できたら4Kなどの解像度を求めると結局こちらで用意する必要があるということになる。さすがに10000ルーメン以上、フルハイビジョン以上のプロジェクターは持ち運びできるものではないので、あらかじめ運送しておく必要がある。しかし何かことがあったときのためのバックアップ用のプロジェクターを持参しようということになり結構荷物が大掛かりになってしまった。ともかくもなんとかセッティングを終え、展示を開始したところである。



ロンドンからニューヨークへ移動中。ロンドンのタクシーは中が広いのでこれだけの荷物でも大丈夫だが、ニューヨークのタクシーはこれだけの荷物は載せきれない。大型のバンを探しているうちに白タクにつかまり、結局かなりぼれらることとなった。



ニューヨークの総領事館のギャラリーにおいて展示の準備が整ったところ。部屋が縦長で、壁面全体を使った大型のプロジェクションが困難なのが難点。



2台のプロジェクターを使ってなんとか、壁面全体を使ったプロジェクションを行えるセッティングができた。



入り口入ったところには、京都の建仁寺に奉納したフォトアートを展示している。



展示に来て頂いた佐藤さんというニューヨーク在住のキュレーターと、今後の土佐のアート作品の別の場所での展示の可能性を、セントラルパーク内のレストランで食事をしながら議論した。



セントラルパークからの帰り、トランプ・インターナショナル・ホテル&タワーの前をとおりかかった。日本のマスコミではいまだにトランプの大統領就任に反対する人たちの抗議活動が続いているとのことであったが、特に何事もなく通常の雰囲気である。トランプの大統領就任も既存の事実として受け止められ始めているのではないだろうか。