シンガポール通信ー村上春樹「ねじまき鳥クロニクル」:「岡田クミコ」と「綿谷ノボル」

「岡田トオル」の妻「岡田クミコ」がこの小説の中では副主人公的な位置付けにあるが、その割にはキャラクタが弱い事を前回指摘した。

この小説の後半に入ると、岡田トオルが、クミコの兄である「綿谷ノボル」の手先として働いている「牛河」の手引きによって、パソコン通信でクミコと会話をする場面が出てくる。(ここで出てくる「牛河」は再び1Q84でも出てくる。村上春樹はこのキャラクタが気に入っているのだろうか。しかも1Q84では、特に後半は副主人公とでもいった重要な役割を与えられている。)

パソコン通信というのは今で言えばチャットである。この小説の書かれたのは1992年から1993年にかけてである。現在でこそチャットはごく普通のコミュニケーション手段になっているが、1992〜93年といえばすでにパソコン通信という言葉はあったにせよ、メールやチャットを用いたコミュニケーションはまだ一般の人たちには普及していない時期であった。

この時期は、やっと研究者の間でインターネットを用いたメールコミュニケーションが普及し始めた頃である。そのような時代にチャットを使ったコミュニケーションを小説の種に使うというのは、村上春樹という作家はなかなか時代を先取り出来る作家であるといえるだろう。しかしながらこのチャットの内容そのものは、ごくありきたりの会話である。このチャットでは、クミコは自分が綿谷ノボルに精神的な意味で汚されているため岡田トオルの元にはもう戻れないという事を繰り返すだけである。

パソコン通信という新しい手段を使っているというだけで、この場面はその時代の読者には強い印象を与えたかもしれない。しかしチャットをごく普通に使いこなしている現在の読者からすると、この場面はそれほど強い印象を与えないのではないだろうか。多分作者である村上春樹は、クミコという登場人物に関する強い印象を読者に与えるために、パソコン通信による岡田トオルとクミコのコミュニケーションというストーリー設定をしたのであろう。しかしながら、少なくとも現代の私達に対してはその試みは成功していないといえるであろう。

作者は、クミコに関して読者に強い印象を与えるもしくはクミコの魅力を高めるために、他にもいくつかの仕掛けをしている。一つは、岡田トオルに電話をかけてくる謎の女性の存在である。この女性は岡田トオルの事をよく知っており、彼をテレホンセックス(古い言葉ですね、この辺りも時代を感じてしまう)に誘う。実はこの女性がクミコの分身、もしくはクミコの淫乱な部分を実体化したものである事が後で明らかになる。

多分クミコが、あまり性的魅力がないというよりセックスにそれほど興味のない女性のように描かれているため、それを補う意味で村上春樹はこの女性を登場させているのであろう。しかしその登場の仕方がいかにも唐突である。具体的に言うと、小説の最初の方でその女性から主人公岡田トオルに数回電話がかかって来るだけであり、また主人公は忙しいのでまともに対応しないで電話を切ってしまう。

小説の後の方でこの女性がクミコの分身である事が明らかにされるが、読者はどうしてもクミコとこの女性との間に存在しているある種の距離もしくは違和感を感じるのではあるまいか。それは他のこの小説の登場人物がいずれも多かれ少なかれ変った面を持っているのに、クミコがごく普通の人間として描かれているためであろう。そのために、クミコとこの女性が同じ実体としての人間の表の面と裏の面を表現しているという感覚を感じにくいのではあるまいか。

もう一つは、この小説の最後に近いところで綿谷ノボルが昏睡状態に陥った時に(なぜそうなるかは後で述べるが)、クミコは彼の生命維持装置のプラグを抜き取り彼を完全に殺してしまうという行為に出る。これはクミコが綿谷ノボルをそれほどまでに憎んでいる事を示したいための設定であろう。しかしながらそのことをクミコから岡田トオルへのパソコン通信メッセージとしてダイレクトに書いてしまってあるため、かえって読者にはそれが伝わりにくいということになってしまっている。

小説の書き方としては、ある事柄をダイレクトに書くのではなくて、それに関連する記述により読者に推察させるというのが重要な手法であるといわれている。ところがこの部分では作者の村上春樹はこのルールを破っていることになる。

また綿谷ノボルが昏睡状態に陥った段階で、悪の代表としての彼は善の代表である岡田ノボルに破れているのであり、小説としてはかたがついているのである。それをクミコがわざわざ生命維持装置のプラグを抜いて綿谷ノボルを死亡させるというのは屋上屋を重ねるというやりかたであり、クミコは小説としての美学に反するいわばよけいな行為をしているのである。

これらのことによって、少なくともクミコに関しては村上春樹は読者に感情移入させるのに失敗しているのではないだろうか。まだ村上春樹も「ねじまき鳥クロニクル」を書いたときは40代前半で若かったというところだろうか。

(続く)