シンガポール通信-統一国家が中国の科学技術の発展を停滞させた?

前回は、中国の哲学思想である儒教老荘思想が、中国の科学技術の発展をある段階で停滞させたことを述べた。もちろんこれには反論があるだろう。例えば「それではなぜ、中国は四大発明(火薬、羅針盤、紙、印刷術)といわれそれ以降の世界の歴史を変えてきた発明を世界に先んじて行うことができたのか」という疑問がおこるだろう。

これに答えるのは大変難しい。無理に応えようとすると次のようなものになるだろう。中国の四大発明と呼ばれるこれらの発明は、いずれも技術的な発明である。技術的な発明は試行錯誤の過程で生まれることも多い。中国の四大発明は、長年の試行錯誤の結果として生まれたり、また何かを発明しようとする目的追求型の試行錯誤ではなく何かの偶然で生まれたりしたものが多いと考えられる。

これに対して科学の発展には、論理思考を一つ一つ積み重ね、またそれを実証する実験を一つ一つ積み重ねることが必要である。科学の発展における一大エポックである西洋において17世紀に生じた科学技術革命は、地動説から天動説へという宇宙体系における大きな変革がその中心にある。そしてそれを成し遂げたのは、コペルニクスケプラーガリレオニュートンの四人である。かれらは先人が達成した発見・理論の不備な部分をおぎなうべく自分で新しい理論の展開を行い、またそれと並行して実験によりその理論の正しさを実証するという方法論をとった。

現在では科学技術においてごく当たり前のものとされているこの方法論は、実は17世紀の科学技術革命の際に確立されたものである。この方法論の基礎にあるのは、理性を働かせて考え一つ一つ論理を積み重ねていくという理性主義である。もちろんそこでは直感も重要な働きをするけれども、直感を裏付ける論理構築にはそれを実証する実験が不可欠とされるのである。

ここに何よりも直感を重要視し論理の積み重ねを不得意とする中国を始めとする東洋的思考と、理性主義に基づき論理を積み重ねていく西洋的思考の大きな違いがあるのではなかろうか。そして科学技術の発展には(少なくとも現在までのところ)、理性主義に基づく論理の積み重ねが重要であって、それを欠く中国が科学技術の発展においてある段階以降に西洋に遅れをとるようになったということなのであろう。

2000数百年前のギリシャ・中国における哲学の違いが、その後の西洋と東洋の発展にそこまで大きな影響を与えたのが本当かどうかということに対しては、まだこれだけの説明では十分ではなくて疑問も残る。しかしながらとりあえずこの議論はここまでにして、次の原因について考えてみよう。それは以下のようなものである。

2.中国が統一国家であったことが、科学技術の発展に不可欠な競争状態を生むのを妨げた

中国は紀元前259年の始皇帝による統一帝国である秦の成立以降広い中国大陸全土を一つの国家が統一して治める形態が続いてきた。秦・漢・隋・唐・宋・モンゴル帝国・元・明・清という中国の歴代国家は、いずれも中国全土を皇帝が治める統一国家として成立した。しかもいずれも中国全土を統一する広大な面積を有した国家であった。

以前にこのブログでも論じた歴史上の国家を面積の大きな順でランキングした表を下に再度示す。



この表からわかるようにトップ20にモンゴル帝国、元、清、明、漢と中国の統一国家が5つも入っていることに注目する必要がある。これは中国の歴代の統一国家が世界的な規模の統一国家であることを示している。私たちは西洋史を習うときにローマ帝国の巨大さを教え込まれてきたので、ローマ帝国がこれまでの世界的な統一国家の中でも大きな国家であったと考える節があるが、実はローマ帝国が中国の統一国家に比較すると小さい面積しか有していないことに注意する必要がある。(同時になんと第二次世界大戦中の大日本帝国もトップ20に入っているというのはある意味で驚きである。)

中国における統一国家の歴史が、中国の科学技術の発展の停滞の原因となったというのはどういうことだろう。