シンガポール通信ーシンガポール国立大学における評価システム2

さて具体的な評価の方法であるが、まずは自己評価から始まる。日本の企業における社員の評価方法は、通常は上司が部下の日頃の行動や成果を観察しておき、それに基づき上司が部下を評価するという方法であろう。私もNTT時代は、年一回の評価の時期は数十人の部下の評価で大変だった事を覚えている。

上司が部下を評価するというシステムは、常日頃身近で観察している上司の評価が最も信頼できるだろうという仮定に基づくものであろう。たしかに、上司が偏見にとらわれず公平に評価できる人間であればその通りだろう。しかし、人間は誰しも好き嫌いがある。部下との相性が悪い場合は、どうしても評価が低くなってしまいやすい。上司とウマの合わない部下の悲劇という奴である。

それに対してNUSで取り入れている方法は、まず第一に自己評価を重要視している事である。毎年評価の時期になると誰もが、昨年1年間の活動成果に関する自己評価を行う必要がある。この自己評価が極めて詳細にわたっている。「教育」「研究」「サービス」の三大項目に関して、1年前の目標が何であったか、そしてそれに対して具体的な行動・成果が何であったかを詳細に記入したレポートを作成して提出する。

「教育」の部分は、自分が行った授業の内容や学生の指導とその結果に関して記述する。私の場合はマネジメント業務が中心で授業は免除されているが、博士課程の学生を10名指導教官として面倒を見ているので、1年間の彼等の指導の進め方そして彼等の研究の進捗状況を報告する事になる。

「研究」の項目は、いわゆる自分の行っている研究の進捗状況や成果に関して報告する。基本的には過去1年間に発表した論文の内容の報告になる。私のようにマネジメント業務中心であっても研究に関する進捗状況や成果は厳しく求められる。
現在は10名の博士課程学生を抱えており、彼等の発表論文の数がそこそこのものになるので、現在の所は研究に関する自己評価の記述はある意味楽であるが、指導している学生がいないとこの部分の記述は大変である。私と同じようにマネジメント業務でNUSに雇用されていた同僚が、指導している学生がいなかったため、毎年この時期になると「マネジメント業務で雇われているのにどうして研究成果を求められるのか」とぶつぶつ苦情を言っていたのをよく覚えている。

「サービス」の項目は、大学内におけるマネジメント業務に関して記述することになる。私の場合は所属している研究所(インタラクティブディジタルメディア研究所)のマネジメントなので、過去1年間の研究所の活動を報告する事になる。さらにそれに加え、現在私は日本企業の研究開発部門をシンガポールに誘致し、NUSとの共同研究を開始させるという業務も担当しているので、その仕事の進捗状況も記述する事になる。

日本企業の研究開発部門をシンガポールに誘致するというのはそう簡単に進む話ではない。したがってこの部分は、具体的にどの企業にアプローチしどのような議論を進め、そして現状はどのような状況であるかということを詳細に記述をして、それなりの活動を行った事を主張する必要がある。

これらを記述した報告書は、報告文章だけで10ページ以上、さらに外部に発表した論文等のリストが10ページ程度、結局20ページ程度の報告書を一人一人が書く事になる。予算数千万円〜数億円(もしくは数十億円)のプロジェクトの進捗状況の報告書並みの量だといって良いであろう。

これはかなりの作業量で、毎年評価の時期の8月には1週間ほどを報告書作りにかけることになる。とはいいながら、この報告書が自分の評価につながり、そして特に若手の研究者や助教・准教授クラスの先生方は、これが自分の将来につながるので、皆必死に報告書作りを行う事になる。

さて提出された報告書に基づき、各学科の教授・学科長が評価文書を作成し、学部長そして最終的には研究担当の副学長までその報告文書が送られて最終的な評価が確定する。学部長・副学長がどの程度詳細に評価文書に目を通すかは疑問と言えば疑問であるが、少なくとも学科長までは詳細な評価内容の文書を作成する事が求められる。

もう一つ重要なのは、暫定的な評価結果が本人に知らされ、それに対して本人が異議申し立てを行うルートが設けられている事である。8月に自己評価文書の作成が行われ、9月にそれに基づいた学部ごとの評価文書の作成が行われると、10月はその結果が本人に通知され本人がそれに対して意見を出す事が出来る。

このフィードバックのルートの存在は大変重要である。日本の企業の場合は、評価は人事秘密事項ということで、評価結果は本人には知らされないまま、ボーナスの査定さらには昇進の決定等が行われるのが通常であろう。

その点大学ということもあろうが、NUSの評価システムは極めてオープンなシステムになっている事は注目すべき事かもしれない。私自身も部下の研究者から、自分の評価結果がおかしいという苦情を何度も受け取った。そしてその度に、本人と過去1年間の活動や成果に対する詳細な議論を行い、時には私が書いた本人の評価結果を一部修正するということもあった。

つまり納得づくの評価が行われる仕組みになっている。本人の納得づくの評価というのは大変難しいというのが通常の意見であろう。しかしNUSでは、どうしても上司の評価結果に納得が行かない場合は、上司を飛び越して学部長さらには副学長に意見を出す事が認められている。

このようなことが起これば、学部長・副学長から評価者の指導能力を問われ、将来の昇進にも影響するため、部下との話し合いによる納得づくの評価というのは、NUSにおいては実際的にも実行されていると考えて良い。これは日本においては、大学はもとより企業においてもなかなか実行されていない事ではあるまいか。