シンガポール通信ースマートホン依存症候群は問題にすべきか2

この項目が書きかけのままになっていたので、続きを書く事としたい。ここでテーマとしているのは、最近子供がスマートホン(スマホ)を使った友人等とのコミュニケーションやさらにはゲームにはまってしまい、一日の多くの時間をそれに割いているという状況をスマホ依存症候群と称してマスコミが大きく取りあげたり問題視しているということである。しかし私がここで言いたいのは、それは大騒ぎする事だろうか、どの程度問題視すべきことであろうかいうことである。

前回書いたのは、現在スマホを使って子供たちが行っている友人とのメール、SNS、さらにはLINE等を使った頻繁なコミュニケーションは実は従来型携帯(ガラケー)が普及した当時にも生じた事であるということである。それが一旦沈静化したところにスマホが普及するという新しい事態が生じたため、そのような自体が再度活発化しているという捉え方が出来ると私は考えている。

つまりそれは過去に生じた事であって、なにもスマホの普及によって新しく生じた現象ではないのである。従来型携帯の際にも、いろいろとそれを問題視するマスコミや識者の意見はあった。中には子供たちが馬鹿になるという極端な意見もあった。しかしそれは新しいメディアが出現する際に一時的に起こる現象(いわば一種のブーム)である。少し長い目で見れば、子供を含め人々はその使い方に慣れてしまい(いいかえれば飽きてしまい)、別に目くじらをたてるような状況は生じていない。
同様にスマホ症候群に関する報告には、ゲームに関しても同様の事態が起こっていると述べてある。例えば子供がスマホ上でのゲームにはまってしまい、毎日何時間もゲームに時間を費やし、夜寝る際も寝床の中に持ち込んで、両親にわからないような形でゲームをしているというのである。

確かにそれだけを取り出せば、憂うべき事態であって何らかの対処をする必要があるという、マスコミや識者の意見に同意したくなるのもやむを得ない。しかしここでも少し冷静になって考える必要がある。

思い出してもらいたいが、ゲーム専用マシンを使ったゲームが全盛だった頃にも、同じような議論を聞いたのではなかっただろうか。特にゲーム専用マシンを使ったゲームが普及していた頃は、ドラゴン・クエストやファイナル・ファンタジー等のロール・プレイング・ゲームが全盛であった。これらのゲームは、終了するまで数百時間も要する長大なものであったが、新作が発表されるたびにゲームショップで長蛇の列をなして子供たちがこれらのゲームを買い求め、多くの子供が週末はほとんどゲームに時間を費やすというのが、普通に見られた風景ではなかっただろうか。

さらには、これらのゲームにはまるという状況が子供の脳に悪いと指摘する「ゲーム脳の恐怖」という本が出版され話題になった事は、まだ記憶に新しい。同様にオンラインゲームが出現した際にも、同じような議論が行われた事を記憶している。特に韓国ではオンラインゲームが異常な人気を集め、若者がゲームセンタ—に入り浸るという現象が生じたり、ついにはオンラインゲームにはまって食事もせずにゲームに興じたあげくに餓死者がでるという事件が起こった事もある。

ゲームセンタ—やゲーム専用機によるゲームは時間と集中力を要し、その分ゲームに入れ込む度合いも大きい(いわゆるimmersiveな状態になりやすい)のでこれらの事件は当時大きく報道されたものであるが、結局の所徐々にヘビーゲームに子供たちを始め多くの人がはまるという現象は沈静化して行ったのではあるまいか。それに対して最近起こっている事は、ゲームの楽しみ方が、ゲーム専用機を用いたものから、スマホ等を用いたものに変って行っているという事である。

スマホ等の上でのゲームは気軽に短時間楽しめ、容易にやめられる事からそれまでのヘビーゲムに対してライトゲームと呼ばれている。ヘビーゲムからライトゲームへ人々の興味の対象が移行して行っているという現象は、任天堂などのゲームメーカーにとっては重大な問題である。しかしながら、ゲームへの入れ込み度合いという立場から見ると、ライトゲームはヘビーゲームに比較して軽いわけであり、むしろ子供たちへの影響という意味からすると好ましい現象と考えて良い。

したがって、子供たちがライトゲームに興じているのは、かってヘビーゲームに何百時間も子供たちが費やしていた事を考えると、むしろ健康的な状況であると言って良いのである。子供たちがゲームに興じているという状況もこのようなコンテキストの基で論じるべきである。寝床の中でまでスマホ上のゲームに興じている子供がいるという例だけを取り出して、スマホ上のゲームが子供の精神的な健康状態に良くないと論じるのは、かっての「ゲーム脳の恐怖」の著者と同様の議論をしていることになる。

私自身はスマホ上でのライトゲームのブームというのも、新しい製品・サービスが生まれた場合に人々がそれに過剰に反応するという一過性のものであると思っている。少し時間が経てば人々はそれらの新しい製品・サービスに適応し、適度な楽しみ方をするように落ち着くと楽観的に予想している。