シンガポール通信ー講談社現代新書:池田純一「ウェブ×ソーシャル×アメリカ」3

この本を読んでいてもう1つ残念なことがある。そしてそれはある意味で、この本の内容が持っているオリジナリティ・価値を自ら否定することにつながりかねないのである。

この本の最終章「エピローグ」は、次のような記述で始まる。「さて仮説的な疑問としてあったカウンターカルチャーがPC/ウェブを作ったのかという問いだが、どうやらそうではなかったようだ。.....カウンターカルチャーがPC/ウェブを作ったわけではない。むしろ2010年代以降の動きを考えるならば、宇宙開発という夢が全ての出発点にあったということに注目すべきだろう。」

これはどういう事だろう。本文中では、宇宙開発に関してはほんの一行程度の記述しか現れていない。カウンターカルチャーGoogleFacebookTwitterさらにはAppleにつながっているというのがこの本の主張であり、全編を通してそれが基本的な考え方としてあったのではないか。

それが最後の最後になって、「どうやらそうではなかったようだ」とそれまでの主張を否定しておいて、「宇宙開発という夢が全ての出発点にあった」と書く事は、読者の期待を裏切ったもしくは梯子を外したという印象をあたえることになる。しかも、本文中にはほとんど記述のない宇宙開発に原因を帰する事は、明らかに本の内容に求められるストーリー性を破綻させていることになる。

もちろん、カウンターカルチャーがPCやウェブそして最近のGoogleFacebookTwitterを直接作り出したわけではないだろう。そんな事は読者はわかっている。先にも書いたように、これらのインターネットに関わる技術・サービスが、なぜヨーロッパで作り出されずアメリカで作り出されたかという問いに対する答えとして、カウンターカルチャーのような権威に反抗する姿勢が底流にあったというこの本の記述が、説得性がありそしてこの本のオリジナリティになっているのではないだろうか。そのようなこの本の記述のストーリー性を最後に破綻させてしまうことは、この本の価値を大きく減じる事になるといいたいのである。

ところが話はそれだけでは終らない。エピローグを読み進んで行くと、先に述べたスチュアート・ブランドのWhole Earth(全地球)という考え方が底流にあり、それを技術面で牽引したのが米国が大きな予算を投じた宇宙開発であったという記述に出会う。

何の事はない、著者はカウンターカルチャーGoogleFacebookTwitterを作り出したという自らの主張を否定しておきながら、カウンターカルチャーの中心人物の一人であるスチュアート・ブランドの全地球的な視点と米国政府による宇宙開発が一緒になることがGoogleFacebookTwitterにつながっていると言っているのである。

つまり著者は、カウンターカルチャーがPC/ウェブさらにはGoogleFacebookTwitterを作り出したという自らの主張を否定している訳ではない。カウンターカルチャーはあくまでそれらを作り出した力の背後にある基本的な姿勢・考え方であり、その推進には宇宙開発という大きな予算を投じて行われた米国政府の政策が大きく関係していると言いたいのである。

しかしこのような論理展開は、読者の期待を二重の意味で裏切っており、読者を混乱させるのではないだろうか。
カウンターカルチャー的な考え方と実際の政府の政策面での宇宙開発が結びつくことが、アメリカがGoogleFacebookTwitterを作り出した源泉となったと、なぜ著者はもっと直接的に主張しないのだろうか。そのような論理展開のためには米国の宇宙開発の経緯を本文中で少なくとも一章をもうけて記述すべきであろう。なぜ著者はそれを行わなかったのだろう。

多分それは、米国政府やその政策に対する反抗的な姿勢としてのカウンターカルチャーを賛美して来た著者の、この本のストーリーとそぐわなかったからではないだろうか。宇宙開発に関して記述し、それがGoogleFacebookTwitterを作り出す実際面での大きな力となったと書く事は、カウンターカルチャー賛美のこの本の主要な記述と調和しなかったのであろう。

そしてまた、宇宙開発が米国の技術開発に対して貢献した事を記述するならば、当然ではあるが米国政府が同時に莫大な予算を投じて行って来た軍事関係のプロジェクトの意味・内容についても記述する必要があるだろう。米国国防省DARPA)が多くの予算を大学などのプロジェクトに投じ、それがアメリカの先端的な技術の進歩に大きく貢献した事は大学の関係者なども認める所である。

しかしながらそこにまで踏み込むならば、ますますカウンターカルチャーとの乖離が激しくなり、著作としてのストーリー構築が難しくなるだろう。それが宇宙開発をこの本の主要な内容として記述する事を著者にためらわせたのかもしれない。

しかし、カウンターカルチャーといういわばきれいごとの世界と、宇宙関連の技術開発さらには軍事関連の技術開発という現実世界の政治が結びついた事が、ヨーロッパ(そしてもちろんアジアも含めて)ではなくアメリカをしてPC/ウェブそして最近のGoogleFacebookTwitterを作り出させた源泉となったというのは、ある意味現実的でわかりやすいストーリーである。この本のストーリー展開をそのような書き方にしても良かったのではと私自身は感じるのだがどうだろうか。