シンガポール通信ー講談社現代新書:池田純一「ウェブ×ソーシャル×アメリカ」2

最近メディアやインターネット上で生じている出来事(それはGoogleに代表されるWeb上の知識の集積・検索技術であったり、Faceboo・Twitterなどのソーシャルネットワーク技術であったり、AppleiPhone・iPhadなどのメディア端末技術であったりするが)がいずれもアメリカで作り出されている事の理由を、この本は1960年代のカウンターカルチャーに求めている。

カウンターカルチャーは、政府に代表される権威に対する反抗の姿勢と考えられる。これが自由を第一とする考え方を生み、それまで無かったハード・ソフト・サービスを生み出したという訳である。

さらにこの本では、それをもう1つ踏み込んで米国の建国の歴史の中に求めようとする。米国は、カソリックを中心とした保守的なキリスト教の考え方に反対するプロテスタント達が、ヨーロッパから移住して来た事によって建国された。したがって、もともと権威に反抗するカウンターカルチャーを生み出すDNAが、米国民の中に埋め込まれているという訳である。

また米国の大衆文化の源泉として、エマソン、ソロー、ホイットマンメルヴィル、ポーなどの作家の影響が大きいとしている。これらの作家も含め、米国へ移住して来た人達はヨーロッパの上層階級に属する人達ではなく、中層もしくは下層階級に属する人達である。したがって論理的な思考をベースとした考え方・行動ではなく、より感覚的・感情的な思考・行動様式をもっていると考えられる。

そのような米国人の考え方・行動様式をこの本では具体的に以下の5つの点に求めている。第1は「自然との神秘的一体感の強調」であり、第2は「市民的不服従」の姿勢である。また第3は「自然の賛美」、第4は「東洋思想の影響」であり、最後の第5は「独立独行」の姿勢である。

このうち2、5は先に述べた権威への服従に対する拒否と反抗の姿勢であろう。それは元々プロテスタントの成り立ちが基本となっている訳であり、それが米国の文化の1つの底流になっているという事事態はよく理解できる。それに対して、1、3、4は自然との一体感を基本とする考え方であり、その結果として本来古くからそれを主張して来た東洋思想への歩み寄りが生まれた訳である。

この事を認めるならば、米国の文化の源泉にヨーロッパ的な論理をベースとした考え方と同時に、感性・感情を基本とした考え方が併存しており、それこそがFacebookTwitter、さらにはiPhoneiPadのデザインに見られるような、感覚・感性をベースとしたデザイン・サービスを生み出す源泉となったということになる。これは極めて重要な指摘であり、この本の主張したい点として最も高く評価できる部分であると思う。

ただ残念な事に、新書で本としての分量が限られているという事もあって、上にあげた5点に関してはごく簡単な説明がされているに過ぎない。ここは何としてでももっと踏み込んだ考察・説明が欲しい所である。特に1、3、4の自然の賛美、自然との一体感を重要視する考え方はなぜヨーロッパでは生まれなかったのか、いや生まれたとしてもなぜ文化にまで高められなかったのかというのは大きな疑問である。

私が持って来た疑問そして多くの人が持つ疑問は、AppleGoogleFacebookTwitterが、1:なぜアメリカで生まれて日本を始めとするアジアで生まれなかったか、2:なぜアメリカで生まれてアメリカ文化の源泉であるヨーロッパで生まれなかったか、ということであろう。この本で著者が書きたかった事は2に対する回答を与える事であろう。

それはある程度成功している。私もこの本を読んでなるほどなと感心されられた部分も多い。それは特に上にあげた5点が米国とヨーロッパの文化の差異を生み出したという部分である。だからこそ上に述べたようにその部分をもう一段踏み込んで考察してもらいたかった。