シンガポール通信-和辻哲郎「孔子」2

論語孔子自身の言葉、孔子の弟子との会話、さらには孔子と弟子たちとの会話などを集めた語録である。世界四大聖人の中で宗教の創始者となった孔子・釈迦・キリストの教えは、いずれも本人自身が書き残した書物の形で残っているのではなくて、その弟子たちがまとめさらには後世の人たちがそれをさらに整理したものが現在に残っている。しかしながらそのなかでも孔子の教えは、釈迦・キリストの教えとは異なる形で残っていることに特徴がある。

それは、論語のなかに記されている孔子の教え、言い換えれば上に述べた孔子自身の言葉、孔子の弟子との会話、さらには孔子と弟子たちとの会話が、論語のなかではいずれも1行〜数行の短いフレーズとして記されていることである。いわば論語は格言集的な性格を持っていることになる。

釈迦の場合はその教えは膨大な経典の形にまとめられており、またキリストの場合はそれは聖書の形にまとめられている。いずれも釈迦やキリスト本人が語った言葉が弟子や後世の人たちによってまとめられ整理され、ひとつの物語のような形にまとめあげられている。

それらに比較すると、論語の内容はいわば雑然と並べられているという性格が顕著である。論語は全体が十巻からなり、かつ各巻が二つの編から構成されており、それらにそれぞれタイトルが付いている。例えば第一巻は學而編と為政編から構成されている。例えば學而編は有名な次のフレーズで始まる。「子の曰わく、学びて時にこれを習う(學而時習之)、またよろこばしからずや、ともあり遠方より来たる、また楽しからずや、人知らずしてうらみず、また君子ならずや」

この「學而」の部分をとって學而編と読んでいるわけである。それ以降の編の名付け方も同様である。いわばそれぞれの編の名前はその編に収められている最初の格言から適当に名前をとったという言い方もできるわけである。

それは孔子の教えがあくまでも、社会のなかで他人との関係で人がどのように振る舞うべきかを説いたものであるからである。それは倫理学といいかえることもできるし、和辻哲郎がいう「人間学(じんかんがく)」ということもできる。ここに孔子の教えが、釈迦やキリストの教えと決定的に違う点がある。

それに対して釈迦やキリストが説いたのは生とは何か・死とは何かの問題、魂の不滅の問題、そして人と神の関係の問題である。釈迦は神の存在は説かなかったが、釈迦自身も含めて悟りに至った覚者は神のような存在と解釈することもできる。いずれにせよこれらの教えは現世と共に死後の世界という考え方と結びつきやすい。輪廻思想はその代表的なものであろう。

それに対して孔子の教えはこのような考え方とは全く無縁である。上記の「子の曰わく、学びて時にこれを習う」云々も人生の楽しみ方を説いているわけで、全く死という問題とは無関係である。別のよく知られている教えとして以下のものがある。「子の曰わく、吾れ十有五にして学に志す、三十にして立つ、四十にして惑わず、五十にして天命を知る、六十にして耳順う、七十にして心の欲する所に従って、矩を踰えず。」これもある意味で理想的な人生の行き方を説いているのであって、人間とは何か、生とは何か死とは何かという宗教的なテーマを説いているわけではない。

死という言葉が出てくるものとして以下のフレーズがある。「明日に道を聞かば、夕べに死すとも可なり。」これも道という究極の倫理を追求することが重要であると説いているのであって、死んだ時にその人の魂が救われるのか否かという宗教的な問いかけをしているのではない。

それがより明確に現れているのは以下のフレーズである。「季路、・・・・・曰く、敢えて死を問う。曰く未だ生を知らず、焉んぞ死を知らん。」ここでは孔子の弟子で一本気な季路(子路)が、死とは何かという宗教の中心テーマとでもいうべき問題を孔子に問いかけている。ここで「敢えて」という言い方がされているのは、孔子に「死」の問題を問いかけることがいわば孔子と弟子の間の議論のタブーだったことを暗示している。一本気な子路だからこそ敢えて聞くことができたのであろう。

そしてそれに対して孔子は「生きるとは何かがまだわからないのに死についてわかるわけがない」と突き放した答え方をしている。ここにまさに孔子の教えが倫理学であって、いわゆる宗教ではないということが明白に現れている。