シンガポール通信-和辻哲郎「孔子」

久しぶりに和辻哲郎の著書を読んだ。この本を選んだのは、未だに現代日本人の倫理の基礎となっている儒学もしくは儒教に私が興味があり、孔子の「論語」を読み直そうかと考えているからというのが主な理由である。書店で岩波文庫本のコーナーを見ていたら、和辻哲郎のこの本が目に入った。岩波文庫で出版されている和辻哲郎の本もほぼ読み尽くしたが、この「孔子」はまだ読んでいなかったからというのももう一つの理由である。

1889年に生まれ1960年に没した和辻哲郎は、よく知られているように日本を代表する哲学者であり倫理学者である。日本を代表する哲学者としては西田幾太郎がいるが、西田幾太郎がめざしていたのは「善の研究」でよく知られているように、禅に根ざした純粋哲学であって、それを端的に表しているのが「絶対矛盾的自己同一」という難解な言葉である。

これに対して和辻哲郎のめざした哲学は、個人を対象とした哲学ではなく集団・社会を対象とした哲学であって、哲学というよりむしろ倫理学だと言った方がいいだろう。その記述は西田幾太郎に比較すると平易であり、私のような理系の人間にとってもわかりやすい。

和辻哲郎がなぜ孔子をテーマにした著書を書いたかは、和辻哲郎倫理学者として理解するとわかりやすい。孔子の教えは、「人とは何か、どう生きるべきか」を個としての人に問いかけるのではなくて、人と人との関係においてどのように振舞うべきか、また王侯の場合は人民を幸せにするためにはどのような政治を行うべきかなど、社会的存在としての人に対するものであって、倫理学という側面が強いからである。

さすがは和辻哲郎というべきか、彼の「孔子」は一般の孔子や彼を創始者とする儒教もしくは儒学の解説書とは全く異なっている。通常の孔子儒学の解説書であれば、まず孔子の生涯を概説したのちに、彼や弟子の言葉をまとめた「論語」の中から代表劇な文章を取り出してその解説を行うというのが通常であろう。

そうではなくて和辻哲郎は、なぜその生涯もそれほど定かでない孔子の言葉がその後儒学という哲学へさらには儒教という宗教にまで高められたのか、そしてまた孔子の教えは現在残されている著書のいずれに正しく表現されているのかという疑問から出発する。

そのために、孔子を含めてソクラテス・釈迦・イエスのいわゆる世界の四大聖人と呼ばれる人たちに共通する物を見出そうとする。ソクラテス孔子・釈迦・イエスを世界の四聖人とするみかたは明治時代に誰かがいいだしたことのようである。ソクラテスを除けばいずれも宗教の創始者なので、現在ではソクラテスの代わりにイスラム教の創始者であるムハンマド(モハメッド)を入れることも行われているようである。

しかしながらその生きていた時期を見ると、ソクラテスが紀元前5世紀、釈迦が紀元前5世紀、孔子が紀元前6世紀〜紀元前5世紀、イエスが紀元0年前後に対してムハンマドは6世紀から7世紀にかけての人間でありかなり時代が下ることになる。その意味ではソクラテス孔子・釈迦・イエスを世界の四大聖人とする見方はそれなりの妥当性をもつのかもしれない。

これらの世界四大聖人に共通しているのは、生存していた時代がかなり古いこともあり、その生涯が完全な形では知られていないということであり、彼ら自身が著した彼らの教えを著書の形で著してはいないということである。それではどのようにして彼らの教えが後世に伝えられ、しかもその多くが宗教の形にまで高められたのか。それは基本的には弟子たちが偉大な師の教えを書物の形でまとめ、さらには孫弟子たちがそれを整理し注釈を付けるなどの形で一つの教えとしてまとめ上げるというプロセスが継続して行われたからである。

世界の四大聖人から直接教えを受けた弟子の場合は優れた師の記憶も鮮明であり、その教えを受け継ぎ書にまとめるという行為は行いやすいだろう。しかし孫弟子になると師から直接教えを受けたわけではない。弟子から師についてそしてその教えについて聞くことによって、師の教えを守り引き継ごうという気持ちになったわけである。

これが可能であるためには四大聖人の教え、そして彼らの言動そのものも極めて強い魅力・牽引力・説得力などを持つ必要がある。彼らの言動や教えがそれを持っていたからこそ、次々の世代の弟子達に師の教えが引き継がれるとともに、師のイメージが徐々に理想化されそして神格化されていったのである。これをもって和辻哲郎はこの世界の四大聖人を「人類の教師」と彼の著書の中で呼んでいる。

さてそれで孔子に話を戻して、直接の弟子達やそのまた弟子達がまとめた孔子の言動の中でどれがもっとも孔子本来の言動を表現しているのであろうか。