シンガポール通信-高畑裕太容疑者の逮捕に思う:犯罪者は異常者か?

俳優の高畑裕太容疑者が、23日未明宿泊している前橋市内のビジネスホテルで女性従業員を部屋に連れ込み性的暴行を加えると共に、被害者に傷を負わせたとして逮捕された事件が報じられている。

かなりの売れっ子である高畑裕太容疑者は、数多くのテレビ番組に出演中であったり出演が決まっていたりして、それらの番組を放映予定であるテレビ局はその対応に追われているという。たとえばNHK大河ドラマ真田丸」への高畑裕太容疑者の出演を予定していたが、急遽代わりの俳優に置き換えることにしたという。

関係するテレビ局にとっては大変迷惑な話であろうが、それと同時にそしてそれ以上に、スキャンダル好きな日本のテレビ局にとっては格好のスキャンダル材料であり、各局とも面白おかしくこの話題を取り上げている。まあいつものことなので、別に眉をひそめることもないのかもしれないが、この手の事件に出会う時にマスコミ特にテレビが事件を扱う扱い方に関していつも気になることがある。

それはこの手の事件が起こった時、マスコミは常に容疑者の動機などをしつこく追求するのであるが、どうもその扱い方が容疑者を「悪い人」というレッテルを貼った上で動機などを追求しているように思えるからである。つまり事件を起こすのは「悪い人」であり、それを報道する側も視聴者も「いい人」に属しており、いい人である報道側や視聴者は悪い人が起こした事件を自分とは関係ない他人事として見ているのである。そして容疑者の動機などを根掘り葉掘り探り、悪い人はなぜそのような行動をするのかを色々と考えて楽しむというのがテレビの報道番組の基本的な姿勢ではないかと感じてしまうのは私だけだろうか。

この手の事件が起こった時に、よく容疑者の近所の人や友人に対して容疑者はどのような人だったかというインタビューをテレビ局がすることがある。その多くの回答は「普段は真面目でいい人でした」とか「とてもこのような事件を起こす人とは思われなかった」というものである。これらの回答をどのような意味に解釈するかであるが、私にはどうも報道する側は、「いい人だと思っていたが実際は悪い人だったのだ、人間はわからないものだ」というように視聴者に理解してもらいたがっているように思われる。

つまりこの社会を構成しているのは大多数のいい人と少数の悪い人であるという考え方が、その根底にあるのではなかろうか。そして少数の悪い人は何かのきっかけで事件を起こすが、それを完全に防ぐのは極めて困難であり、たまたま事件に巻き込まれて被害者になった人は運の悪い人であるという理解で事件を片付けようとするのがいつものことなのではないだろうか。

最近起こった相模原市の障害者施設における無差別殺人事件も、結局は「事件を起こした犯人は精神異常者であり、その精神異常者の犯行の対象になって亡くなった障害者は気の毒だ、また犯人が事件の予告までしていたのにそれを防げなかった施設や警察の関係者にも責任がある」という共通認識で事件が片付いてしまった感がある。これもまた、「犯人は悪い人でありそのような人が起こす事件は自分とは関係ない、事件に巻き込まれなくてよかった」というのが、大半の人の持った感想ではあるまいか。

しかし本当にそうであろうか。この社会を構成している人間が単純にいい人と悪い人に分類できるものだろうか。特に今回の高畑容疑者の起こした事件の場合は、男性にとっては身近な事件ではなかろうか。被害者となった女性従業員は、中年とはいえ美人でスタイルも大変いいとのことである。そのような女性が深夜に自分の部屋に現れたとすると、その場にいたのが自分なら自分も起こした可能性があると、多くの男性は思ったのではあるまいか。ということは、自分がそのような事件を引き起こさなかったのは、自分がたまたま(幸運にも?)そのような機会に巡り合わなかっただけだからではないだろうか。

つまりこのことは社会を構成している人間が単純にいい人と悪い人に分類されるわけではないということを示している。私たちの中にも高畑容疑者のような欲望が眠っているのである。そしてもっというと相模原の障害者施設で起こった無差別殺人事件の犯人と同じような考え方・心理が私たちの心の奥底に存在することを否定することはできないのではあるまいか。

自分の身の回りに両親などの高齢者が寝たきりになっていたり、痴呆症になっていたりしてその介護に時間を取られている人は多いだろう。コミュニケーションができるならまだしも、意識不明となって「医療機器によって生かされている」というような状態の高齢者の介護をしている時に、この人にとっては死んだ方が幸せなのではないかと思わなかった人がいるだろうか。そして実際、介護に疲れて自分の両親を殺してしまうという事件が相次いで起こっている。これらの事件を起こした人を単に悪い人と分類することで高齢者問題が解決するのだろうか。