シンガポール通信-エンタテインメントに関するハンドブックの編集

ほぼ3年近くかかったHandbook on Digital Games and Entertainment Technologies(デジタルゲームとエンタテインメント技術に関するハンドブック)という本の編集が、なんとかおわってほっとしている。

ハンドブックは「便覧」などと訳されることが多いが、要は百科事典の簡易版であり、特定のトピックに関する種々の網羅的な説明をまとめたものである。この本は、サイエンスやテクノロジーに関する本を専門に出版しているこの分野ではよく知られたシュプリンガー社から英文で出版された。

ちなみにシュプリンガー社は、これもまた最先端のサイエンスの成果を掲載することでよく知られている「ネイチャー」の出版社と昨年合併し、正式にはシュプリンガー・ネイチャー社という社名になっている。

シュプリンガー社は、私が関わっているエンタテインメントに関する国際会議の論文集などの出版で従来からお付き合いのある会社である。「デジタルゲームとエンタテインメント技術」というのは私が近年専門としてきた分野なので、そのこともあって約3年前にこれをタイトルとしたハンドブックを出版してもらえないかという私宛の依頼があったのが、事の発端である。

一応引き受けはしたものの、実際に出版にまでこぎつけることができるかどうかに関しては、当初は自信がなかった。というのも、ハンドブックは百科事典とは違って取り扱うトピックが限定されているとはいえ、「デジタルゲームとエンタテインメント技術」は極めて広い範囲にわたる領域である。この分野の最新の動向をまとめるのは簡単な仕事ではない。
もちろん私一人で書くのは手にあまるので、まずはそれを10個ほどの項目に分け、さらに各項目毎に5〜10個のトピックに分けるという作業を行う。次にそれぞれのトピックに関する最新の動向を論文として書いてくれる著者の候補を挙げ、さらにそれぞれの候補となる著者に依頼して論文を書いてもらうという手続きが必要である。しかも英文なので大半の著者は欧米人ということになる。

通常このような複雑な過程をまとめるためには、まずは全体をまとめる主編集者(Editor-in-Chiefと呼ばれる)を決めるとともに、それぞれの項目ごとにその項目をまとめる助編集者(Associate Editorと呼ばれる)を決める。主編集者の役割は主として、適切な10個程度の項目を決めることとと、各項目の助編集者を決めることである。各項目の助編集者が決まれば、それぞれの項目におけるトピックの選定、トピックごとの候補著者の選定、さらにはそれぞれの候補著者への論文作成の依頼と進捗状況の管理などは、助編集者が行うこととなる。

こう書いてしまうと、主編集者の仕事は約10個の項目とそれぞれの項目の助編集者を決めればそれでいいのではないかと思われるかもしれないが、なかなかこれが一筋縄ではいかない。というのも10個程度の項目を決めるのも私の独断というわけにはいかない。この研究分野は新しい分野ではあるが、それでも世界にはこの分野を専門としている大学の先生や研究者が数多くいる。それらの人たちの納得のいく項目選びをする必要がある。

というわけで主編集者も私一人ではなくて、この分野の代表的な研究者にあと2人入ってもらって3人の主編集者体制で行う事とした。こうなるとどうしても、これまでお付き合いのある海外の研究者の中から、信頼のおける研究者にお願いする事になる。幸い私が候補として考えた他の2人の主編集者に関しては、いずれも快く引き受けてもらえたのであるが、やはり普段からの研究者仲間のお付き合いというのは大切だと感じた次第である。

この3人でまずは約10個の項目とそれぞれの項目の助編集者を決めるわけである。これはメールやSkypeなどを用いて行うわけであるが、この段階でも1年近くを要した。というのも項目とそれぞれの項目の助編集者をリストアップするだけでも数ヶ月かかったのであるが、実際に助編集者を決めるのがそれ以上に大変な事であるということがやり始めてわかったのである。

というのも、助編集者の仕事がかなり大変であることはだれでもすぐにわかるので、適任と思われる人に依頼してもなかなか助編集者の仕事を引き受けてもらえないのである。しかも主編集者はこのハンドブックの編者ということで表紙にも名前が載るのであるが、主編集者に比較すると助編集者は表に出ないため、「苦労の多い割には見返りが少ない」というように受け取られるのだろう。

アカデミックな分野における活動は、純粋にボランティア的なものが多い。論文の査読、国際会議の開催、今回のようなハンドブックの編集などがそれにあたる。これを嫌がる研究者も多いが、研究というものの性格がすぐにはリターンの得られないものに対して政府などが予算をつけてくれるというものである以上は、ボランティア的活動は研究者の活動の本質的なものと考えるべきなのではないだろうか。