シンガポール通信-ポケモンGO狂想曲:2

前回は現在大きな話題になっている「ポケモンGO」の基本コンセプトが、ゲームとしては敵キャラと闘ったりアイテムをゲットするという、ゲームの本流ともいうべきシンプルなものであることを述べた。そしてその大きな特徴が、ゲーム機やスマホなどの中のゲーム空間に閉じているのではなくて、現実空間を歩き回ることによってキャラクタやアイテムと出会うことが可能になるというものであることを述べた。しかしながらこの特徴は新しいものではなくて、「身体的ゲーム」ともいうべきゲームの一種と考えられることを述べた。

その意味では実は、ポケモンGOは新しいゲームではないのである。それがなぜそれほど大きな反響を生んでいるのだろうか。その理由の一つが、身体的ゲームが高度化して一般人にはなかなか面白さを味わえなくなってきたことが挙げられるだろう。

身体的ゲームの最初のものというべきダンスダンスレボリューションDDR)は、一時期は大きな話題を集め、ゲームセンターでも人だかりができるほどの人気であったが、徐々に人気を失いいつの間にか忘れ去られてしまった。その大きな原因として、ダンスステップが高度化しすぎ、一部のDDRオタクしか楽しめないものになってしまったことが挙げられる。

DDRを開発したコナミは、このゲームを家庭に導入しようとしてDDRの家庭版を開発し販売した。これも一時はそこそこ売れたものの、いつの間にか忘れ去られてしまった。これもやはりダンスステップを踏むという動作が、家庭内にはあまりそぐわない動作であり、また子供にとって難しい動作であったことが理由ではなかろうか。

一時期ゲームは、長時間行い熟練することが求められる難しいゲームが流行った時代があった。いわゆるヘビーデューティなゲームの時代である。当然それらのゲームは、ゲーム専用マシンで行われるのが通常であった。全部をクリアするのに数百時間を要すると言われたロールプレイングゲームもそのジャンルに入るだろう。当然それらのゲームを行うのは、ゲームオタクと呼ばれる人たちやその周辺の人たちであった。彼らはそのゲームに熟達し、隅々まで知り尽くしていることを自慢としていた。

しかしそのようなヘビーデューティなゲームの時代は、スマホ上の簡易なゲームが出現し誰もが気軽にゲームをする時代になると廃れていった。いわゆるカジュアルなゲームの時代が到来したのである。これは、ヘビーデューティなゲームやそのためのゲーム機を販売することを主たるビジネスとする、任天堂などのゲーム機器メーカーにとっては大きな打撃である。任天堂の業績が下降傾向になったのは、このカジュアルゲームの普及が大きな理由である。

せっかく精魂込めて開発したゲーム機やゲームソフトが売れないというのは、ゲームをビジネスとする任天堂にとっては深刻な問題である。当時の岩田社長が米国で行われたゲーム展の基調講演で、カジュアルゲームの流行を嘆きヘビーデューティなゲームへの回帰を訴えたことがあったのを覚えておられる方も多いだろう。

しかしながら、誰もが気軽にちょっとした暇な時間を見つけてゲームを楽しめるというのは、ゲーム本来のあり方ではなかろうか。その意味でゲーム専用機を用いて少数のゲームオタクがゲームをやっていた時代に対して、スマホ上のカジュアルゲームを、バスや電車の中でまた歩きながら誰もが気軽に行っているという現在の方が、ゲームの発展にとっては健全な方向であると言える。

そしてゲームがカジュアル化して誰もが気軽に「歩きスマホ」をしながらゲームをするようになった時代が到来したというのが、ポケモンGOが大人気になっているもう一つの大きな理由である。ポケモンGOは、スマホに写った周りの景色を見ながらそこにポケモンやアイテムが出てこないかと探しながら歩き回るゲームである。まさに歩きスマホという現代的な行動パターンにビッタリ合致したゲームなのである。いいかえれば、歩きスマホがごく普通の行為になった時代だからこそ、ポケモンGOが人々に受け入れられそしてこれだけ大ヒットしているといえるのではないか。

前回書いたように、現実の風景の中にゲームキャラが出現するARゲームのアイディアは古くからある。実際にそのようなゲームが開発され販売されたこともあるだろう。しかしながらそれらのゲームは話題になることはなかったため、私たちの記憶にない。つまり時代にそぐわなかったのである。それが歩きスマホがごく普通の行動パターンとなった現在において、ポケモンGOは時代にマッチしたゲームとして人々に受け入れられたのである。

ゲームに限らず製品やソフトが人々に受け入れられるためには、時代にマッチしていることが重要であるというのはよく言われることであるが、まさに今回のポケモンGOの大ヒットはそれのいい例であると言えるだろう。

さてそれではポケモンGOは果たして継続的にヒットするのだろうか。それに追従した多くのARゲームが出現するのだろうか。これに関して詳しくはまた別の機会に論じたいが、私個人の意見としては現在のポケモンGOのブームは一過性のブームで、早晩収まるものと考えている。言って見れば、かっての「たまごっち」の一大ブームのようなものではないだろうかというのが私の意見である。