シンガポール通信-アリス・ロバーツ「人類20万年 遥かなる旅路」:7

さてこの著書の感想の最後として、現生人類とネアンデルタール人の関係に関して考えてみよう。

現生人類がアフリカを出たのは約8万年前と言われているが、実はそれよりずっと前に現生人類の祖先はアフリカを出てヨーロッパやアジアに拡散している。

グルジアのドゥマニシで約150万年前の現生人類やネアンデルタール人の共通の祖先であるホモ・エレクトスの化石が見つかっている。このことからホモ・エレクトスは150万年前よりずっと以前にアフリカを出たことがわかる。現生人類がアフリカを出た8万年前に比較するとずいぶんと昔である。

その後、ホモ・エレクトスは東南アジアに移住した。その化石はジャワ原人として残っている。また一部は中国に移住していわゆる北京原人となった。北京原人はかっては現在の中国人の祖先と考えられていたこともあるが、現在では、北京原人は絶滅しその後移住してきた現生人類が現在の中国人の祖先であるということになっている。(もっともナショナリズムに染まっている中国では、現在も中国人は北京原人の子孫であると信じている人たちが多いとのことであるが。)

そしてヨーロッパに広がったホモ・エレクトスはその後ホモ・ハイデルベルゲンシスに進化し、そして約30万年前にはネアンデルタール人に進化した。現生人類がアフリカでその祖先から現在の形に進化したのが約20万年前なので、それより10万年前にネアンデルタール人は生まれたわけである。

現生人類がアフリカにおいてその祖先から進化するずっと前に、ヨーロッパでその祖先であるホモ・ハイデルベルゲンシスから生まれたネアンデルタール人は、当然ではあるがヨーロッパ南部を主たる居住地としてある意味で繁栄していた。現生人類と同じく火を使用しており、現生人類のそれよりは単純とはいえ石器文化を有していた。また埋葬の習慣も有していたと考えられる。

当時のネアンデルタール人の文化はムスティエ文化と呼ばれており、約9万年前〜7万5000年前に始まり約3万年前頃まで続く。ムスティエ文化の遺跡はヨーロッパ南部、中東地域、さらには北アフリカでも発見されている。このことは当時のネアンデルタール人が広く、ヨーロッパ南部、中東、北アフリカにまで広がって暮らしていたことを示していると同時に、それらの異なる地域の間に文化を相互に伝え合うネットワークがあったことを示している。

つまり、ネアンデルタール人は文化を持たない猿に近い野蛮な人類であったというよりは、現生人類に極めて近い生活様式さらには文化を持った人類だったわけである。しかしながら、約4万年前に現生人類がヨーロッパに現れヨーロッパ各地にその居住区域を広げていくに伴い、その居住地域は徐々に狭まっていった。

そして徐々にヨーロッパの南西部に追いやられ最後はジブラルタル海峡沿いに居住していた。その時期は2万8000年前〜2万4000年前であるが、結局最後にネアンデルタール人は絶滅する。

それなりの高度な文化を持っていたネアンデルタール人はなぜ絶滅したのかは大きな謎である。約4万年前に現生人類がヨーロッパに現れてからネアンデルタール人が絶滅する間の約1万数千年の間、ヨーロッパにおいては現生人類とネアンデルタール人は同じ地域に住んでいたわけである。

一つの考え方として、同じような食物を食べ同じような生活様式をしていた二つの人類は、
敵対とは言えないまでも種として競争関係にあったと考えられる。二つの人類の間に戦いがあったという証拠はない。むしろ、親密であったわけではなくても場所や時期によっては共存関係にあったのかもしれない。

最近の研究では現生人類の遺伝子に数%ネアンデルタール人の遺伝子が混入しているとの結果が報告されているものがある。これは二つの人種間で混血があったことを示している。しかしながらそれはそれほど頻繁に起こったことではなく、二つの人類は距離を置きながら共存していたのであろうと考えられる。

そして当時は激しい気候変動があった時代であった。そのため、気候変動に適応できるだけの進んだ文化・技術を持っていた(もしくは適応して新しい文化・技術を作り出せる能力を持っていた)現生人類が生き残り、ネアンデルタール人は徐々に人数を減らしていき最後には絶滅したと考えられている。