シンガポール通信-舛添氏の辞職に思う

舛添氏が東京都知事の職をついに6月15日に辞職することとなった。東京都民を含め本来都知事を護るべき立場にいる自民党公明党の与党からも、「もっと早く辞めるべきだった」という声が上がるほどなので、遅きに失したということだろう。とはいいながら、かなり早い時点で「いずれ辞めざるを得ないだろう」と誰もが思っていたわけであり、予想通りの結末だといっていいであろう。

ゲスないいかたであるが、名誉も地位もある立場にいた人物が非難され叩かれて転落していく様というのは格好のメディアのニュースの種になるものである。問題が出始めてから舛添氏が辞職に至るまでの数週間の間は、すべてと言っていいメディアが連日舛添氏の問題をおもしろおかしく取り上げ、見ている方も楽しませてもらったのではなかろうか。

いわばその間私たちは舛添劇場をエンタテインメントとして楽しんだわけである。辞職が決まってしまうと、あれだけ騒いだメディアもたちまち舛添劇場熱が冷えてしまい、今日のテレビを見ていてもすでに、舛添氏に関する話題を最新のニュースとして取り上げている局は見当たらなかった。いつものことであるが、日本のマスコミの変わり身の早さは見事といってもいいほどである。

さて冷静になって振り返ってみると、舛添氏が辞職に追い込まれた最大の問題点は何だったのだろうか。これは私見が入っているけれども、やはり正月の家族旅行を自らの政治団体の「会議費」としていわば公費として落としていたということが、最も人々の非難の的になったのではないだろうか。

使った金額からすると大したことはない。3泊でたかだか計37万円である。もちろん一泊10万円以上であるから、家族で食事込みとはいいながら一般庶民であれば国内の家族旅行のしかも宿泊費だけのためにそれだけの金額を支払うのはためらわれるであろう。これが一人当たり一泊2万円程度であれば、正月だからまあそんなもんだというのが庶民感覚であろう。それが正月とはいえ宿泊費だけで一泊10万円以上は、そんな贅沢な、自分で払うのはためらわれるということになるわけである。

そのような金額を公費で落とすことができればいいなというのは、誰でも思うことであろう。とは言いながら公費で落とすというのは、一般の人の倫理観に反することである。そのようなまさに、庶民感覚からするとやりたい気持ちにはなるけれどもやってはいけないでしょうというところを、舛添氏が公費で落としたことが人々の神経をさかなでたのではあるまいか。

しかも公費で落とす理由として事務所関係者とのミーティングをホテルの部屋で行ったことも、人々の神経をさかなでたのではあるまいか。家族旅行という私的な行為を公的な行為にするために、家族旅行の間に会議をもぐりこませるという、誰でも考えそうないかにも「セコイ」やり方をしたこというのも、人々の倫理観にさわったのであろう。多分会議は行われなかったのだろうとは誰でも思うことであり、その点についても都議会で何度もしつこいほど追求がされた。

しかし舛添氏は、最後までミーティングの相手の名前を明かそうとせずしかしミーティングをしたことは最後まで否定はしなかった。そのこと自体が、実際にはミーティングは行われなかっただろうという人々の疑念を裏付けるものであるが、舛添氏はそのようなことに気づかなかったのであろうか。
多額の出費が問題視された外遊に関しては、金額的には上記の家族旅行に比較するととんでもない金額であるが、これも私見だけれども、上記の公費による家族旅行に比較すると倫理的にはまだ問題が少ないのではないだろうか。ファーストクラスが問題になっているが、これは東京都の規定で都知事はファーストクラスが認められているのであれば、特に非難すべきものではない。問題視するとすれば、ビジネスと比較しても倍以上するファーストクラスへの搭乗に関し、規定で認められているからと当然であるかのように問題視しなかった舛添氏の金銭感覚であろう。
舛添氏は庶民派を自負しており、東京オリンピックでも経費削減を大きな目標にあげていた。それならば、自分の海外出張でもファーストクラスをビジネスクラスにグレードダウンすればどの程度航空運賃が浮くかという考えが、頭に浮かんでも良かったのではないだろうか。その辺りが、庶民派を任じながら庶民感覚に欠けているといわれても仕方がない点であろう。