シンガポール通信-男子バトミントン桃田選手の勘違い

男子バトミントンの日本の新旧のエースである桃田賢斗選手と田児賢一選手が、違法な裏カジノ店に常習的に出入りしていたことが判明して大きな話題になっている。特に桃田選手は世界ランキング2位まで登詰めたこともあり、今年のリオデジャネイロオリンピックでメダルを取ることが期待されていただけに、バトミントン会はもとより日本全体に大きな衝撃を与えている。

日本バトミントン協会は、既に決定していた日本代表選手指定を外すとともに、無期限の競技出場停止処分を桃田選手に課した。これで桃田選手はリオデジャネイロオリンピックに出場できないことになったわけである。また桃田選手が属するNTT東日本も、男子バトミントン部の当面の活動を自粛すると共に、桃田選手に30日の出勤停止処分を課した。

少し前には、プロ野球の巨人の選手が何人か野球賭博にかかわっていたというニュースがあった。野球賭博とはプロ野球の特定の試合の勝ち負けに対して賭けるというものであるから、八百長に通じる可能性もあるわけである。

今回の桃田選手の賭博は、いわゆる純粋のカジノにおけるギャンブルであるから八百長に通じる可能性はないが、違法な裏カジノということで法律には違反していると共に、賭けた金が暴力団などの裏社会に流れるため、暴力団撲滅運動にも反するという意味で反社会的な行動であることは間違いない。

したがって、決定していたリオデジャネイロオリンピックの出場の取り消し処分、無期限の競技出場停止処分、さらにはNTTの出勤停止処分というのはいずれも社会常識から考えて妥当なものである。

それにしてもなぜスポーツの選手が、それも一流の選手がギャンブルに関わるのだろう。スポーツとギャンブルには似た性格があるのだろうか。これを考えるのに興味深いものとして、桃田選手が謝罪会見を行った際の彼のコメントがある。桃田選手はなぜギャンブルに関わりそれを止められなかったのかと問われ「スポーツマンとして勝負の世界で生きている以上、ギャンブルというものに興味があり、抜けられない自分がいた」と答えている。

本人はスポーツとギャンブルを似たものと理解しているようである。ある意味少しわかるような気がするコメントでもあり、これを聞いた多くの人はスポーツとギャンブルを似たものと勘違いしてしまうのではないだろうか。

しかしスポーツとギャンブルは全く異なるものである。スポーツやギャンブルはまとめて「遊び」というジャンルに属する。スポーツやギャンブルがなぜ「遊び」なのかを論じ始めると長くなるので省略するが、人間の行為を「仕事」と「遊び」に分割するとするとスポーツもギャンブルも遊びに属することは直感的にわかるのではないだろうか。

遊びに関しては昔から哲学者も含めて種々の考察が行われてきた。その中で興味深いものであり広く受け入れられているものとして、ロジェ・カイヨワによる「遊びと人間」がよく知られている。「遊びと人間」の中でロジェ・カイヨワは遊びを4つに分類しており、大変優れた分類学として有名である。

彼は遊びをアゴーン(競争に基づく遊び)、アレア(運に基づく遊び)、ミミクリ(自分以外の誰かになる遊び)、イリンクス(めまいを伴う遊び)の4つに分類している。

アゴーンは、自分の身体的能力を高めることにより他人を打ち負かすことを目指すものである。ランニング・野球・サッカーなどのスポーツはここに属する。もちろん単純に楽しむだけのアマチュアスポーツと、それを他人に見せて楽しませることを職業とするプロスポーツはある程度性格が異なるが、その根底にはそれぞれのスポーツ競技によってルールは異なるけれどもルールに従って相手を打ち負かそうとする意思が存在しており、それと同時に相手に勝った時の快感を伴うことが特徴である。

もちろんスポーツのような身体的な力で相手に勝とうとするスポーツと共に、頭を使って相手に勝とうとする遊びもこの分類に属する。チェスや将棋・碁などのボードゲームがそれに属するし、いわゆるデジタルゲームもこれに属する。スポーツのように体力を使った遊びとは異なるが、自分の頭いいかえれば知力を用いて相手に勝とうとするという意味では同じ分類に属すると考えていいだろう。

それに対してアレアとは、自分の力を使って相手に勝とうとするものではなくて、運によって相手に勝とうとする遊びである。サイコロなどの不確定な結果を出す道具を用いた遊びがここに属する。アレアの中でお金を賭けるもの、いわゆるギャンブルもここに属するわけである。

(続く)