シンガポール通信-スターウォーズ・フォースの覚醒2

さて前回はスターウォーズ・フォースの覚醒が持つ魅力を述べたが、今回は残念であった点、不満足であった点を考えてみよう。

さて何が不満足であったかというと、物語の世界観、物語の設定、ストーリーの進行、そして出てくる武器などがスターウオーズシリーズの第1作であるエピソード4:新たなる希望とほとんど変わっていないということである。

エピソード1からエピソード6までを通して本スターウオーズシリーズの中心的な武器であるライトセーバーは、本作でもやはり中心的な武器でとなっている。さらにライトセーバーを使った決闘が物語の中でクライマックスを形作っている点も、これまでのスターウオーズシリーズと全く同様である。

ライトセーバーは、いわばスターウオーズシリーズの象徴的な武器であるからまあそれがシリーズを通して用いられ、かつそれを用いた決闘がそれぞれの物語のクライマックスを形作っているのはいいとしよう。しかしそれにしてもエピソード4と比較してみても新しい武器、乗り物、もっというと新しい技術がほとんどないのはどうしたことか。

反乱軍(もしくは共和国軍)の主力戦闘艇はあいかわらずXウイングである。エピソード4からすでに40年近く経過しているのに、同じ戦闘艇であるXウイングを主力戦闘艇として使っているというのは納得がいかないではないか。現実世界を見れば、その間に米軍の主力戦闘機は様変わりしており性能も大幅に向上している。さらにはステルス型の戦闘機というのも現れている。

現実の空間で大きな変化があったのに、想像力を自由に駆使できる映画という空間で全く主力戦闘艇が変わっていないというのはどういうことだろうか。そしてそれは反乱軍だけではない。帝国軍の主力戦闘艇もTIEファイターというメインキャビンの両側に突き出した2枚のソーラーパネルから構成されるという相変わらずの形状である。

そしてXウイングとTIEファイターの間で繰り広げられる戦闘も以前と全く同じ形式のものであって、何も新しいものはない。この2種類の戦闘艇の戦いを見ていると、エピソード4を見ているのかと錯覚してしまいそうである。

そういえばフォースの覚醒のストーリーも、エピソード4のストーリーとよく似ているではないか。もちろん帝国軍と反乱軍の戦争であるというのはいずれのエピソードを通しても同じなのであるが、フォースの覚醒のストーリーはことさらエピソード4のストーリーとよく似ている。

エピソード4で出てきたデススターは、今回はさらに大型化されたスター・キラーへと進化しているが、結局のところスター・キラーはデススターを大型化したものに過ぎない。そしてスター・キラーの防御兵器もデススターとほぼ同じである。さらにはデススターは排気口という唯一の弱点から魚雷を打ち込むというXウイングの戦闘機隊の戦略によって破壊されるが、スター・キラーも同様にXウイングの戦闘機隊によって破壊されてしまう。この破壊に至るXウイングの戦闘のプロセスもフォースの覚醒とエピソード4はよく似ている。

もちろんよく似ているということは反面、かってみた懐かしい場面を再び目の当たりにすることができるという意味でファンを喜ばせるという力を持っていることはたしかである。しかもエピソード4の公開が1977年であるから、スターウオーズファンはほぼ40年ぶりにオリジナルのスターウオーズの世界に触れることができることになる。熱狂的なファンであればあるほど、ある意味でフォースの覚醒においてエピソード4の世界観を忠実になぞり、全く同じ出演人物に(もちろん数十年分年をとってはいるが)出会えるというのは、懐かしい知り合いに出会ったような気持ちにさせてくれるのであろう。

しかしである、やはり何かしら新しいもの、特に新しい技術や新しい武器、戦闘艇などを期待していた私としてはなんだか騙されたような気持ちにさせられてしまった。もちろん本当のファンでないからそう感じるのだと言われればそれまでであるが。

そういえばエピソード4〜6から数十年遡ったエピソード1〜3の方が、ある意味で斬新な技術や武器が出てきたのではなかろうか。エピソード1〜3ではCGキャラクターが重要な役割を演じたり、帝国軍が繰り出すロボット(ドロイド)の戦隊などの新しい技術が使われていた。このことは時間を遡った時代の方が優れた技術を持っていたかのように見える。ところがエピソード4以降ではドロイドの軍団は姿を消し、帝国軍においてはストーム・トルーパーと呼ばれる人間によって構成された軍団がその戦力の中心的役割を果たしている。

もちろんこれは、監督であるジョージ・ルーカスが意図的にそのような世界観を構築したのであろう。とするならば、今回監督が変わったことが次作以降にスターウオーズの世界にどのような変化をもたらせてくれるのであろうか。