シンガポール通信-人間の環境への適応能力はどこからくるか?:2

人間が環境の変化に柔軟に対応できる能力を持っていることを述べた。環境の変化が少ない場合、それへの適応は行動様式を変化させることによって行われると考えられる。例えば地球の気温が寒冷化に向かいそれまで収穫できていた農作物の収穫が困難になった場合には、従来と同じような環境を与えてくれる場所に移住したり、寒冷地向けの農作物の栽培に切り替えるなどの方法によって環境の変化に適応できる。

この能力は人間に限らず他の動物も多かれ少なかれ持っていると思われるが、人間において特に顕著に見られるのではないだろうか。環境の変化に適応しながら種を保存しかつ発展させる能力-それは本能と言っていいであろうが-に関して人間という種は極めて優れたものを持っている。

よく知られているように、人類の祖先はゴリラやチンパンジーなどの属する類人猿から分かれてアフリカにおいて生まれた。そして約5万年前〜8万年前にたかだか百人程度の人類の集団がアフリカを離れてアラビア半島に移住し、その後数万年をかけて全地球に広がり現在の世界中に住んでいる私たち人類へとつながっているのである。

このたかだか百人の人間の集団が全世界に広がり、現在の私たちへとつながっているという説には驚かされ感動させられる。なぜアフリカから出て新しい世界へ移住しようと考えたのだろうか。もちろん気候変動によってアフリカが住みにくくなってきていたという理由はあるであろうが、前途に何が待っているかわからない移住の旅に出発するには大きな決断が必要であったであろう。

この時すでに人類は言葉を持っていたと言われているから、集団内での話し合いで移住が決断されたのであろう。もっともその話し合いは論理的な話し合いというよりは、極めて感情的なものであったのであろう。しかしそれにしても、自分たちの命をかけた移住を決断させたものはなにだったのだろう。環境の変化などの原因もあったであろうが、当時の人たちの心の奥底にあった種の保存と発展という本能が彼らを突き動かしたのではないだろうか。この本能こそが、現在地球上ですべての生き物の頂点に立っている現在の人類につながっているのではなかろうか。

それにしても、彼らの移住の過程では随所に大きな困難が待っていたと考えられる。たとえば、東南アジアから島伝いにオーストラリアに移住する際にはどうしたのであろうか。島伝いとは言っても、随所に幅広い海峡が次の島との間を隔てていたであろう。当時の航海技術では狭い海峡といえど船で渡るのは相当の困難を伴ったであろう。命を落とす危険性も多かったであろう。それを乗り越えてまで先の島へと彼らを突き動かして船を漕ぎ出させたのは何かと考えると、それは論理的な考え方ではなくて本能であったとしかいいようがないのではないだろうか。

そしてそれ以上に私たちを感動させるのは、当時の人類がアジアを北上しベーリング海峡(もしくはアリューシャン列島)を渡って北米大陸に到達したことである。人類がアジア大陸からアメリカ大陸に渡った当時は地球の寒冷化に伴い海面が低下し、ベーリング海峡が地続きだった可能性が大きいと言われている。しかしそのことは同時に、当時は現在以上に厳しい寒さであったことを意味している。そのような厳しい寒さの中で、先に何が待っているかわからないにもかかわらず可能性を求めて先へ先へと進んだ人類を突き動かしたもの、それはやはり本能とでもいうものだったのではないだろうか。

そして北米大陸に移り住んだ私たちの祖先の人類は、そこにとどまることなく今度は南下を行い、中米を経て南米に入り更に南下を続けて1万数千年前に南米大陸の最南端にまで達したのである。この壮大な地球をまたにかけた移住の旅へと人類を駆り立てたものは、再度いうけれども単に現在の居住環境よりいい居住環境を求めたというような単純なものではなくて、本能に突き動かされてとしかいいようがないのではないだろうか。

そしてもう一つ人間を環境に適応させるための機能として突然変異がある。突然変異は通常親から子供へとコピーの形で伝えられるDNA情報に突然大きな変化が起こることを意味している。この突然変異がなぜ起こるかはまだよく知られていないようであるが、人間が新しい環境に適応するための全く別のメカニズムを与えてくれていると考えることができる。人間の本能ともいうべき新しい環境への適応能力と突然変異、この二つが相まって地球環境が大きく変化しても人類が生き延びてきてすべての生物のトップに立つことができた理由であろう。