シンガポール通信-人間の環境への適応能力はどこからくるか?

人間が周りの環境が変わっても、それに柔軟に適応できる能力を有していることを述べた。それこそが、人間がすべての動物の頂点に立つこととなった大きな理由の一つであろう。しかしながら同時にこの能力は、現在人工知能研究で主流となっている「多くのデータを収集し(ビッグデータ)、それをコンピュータに学習させる(ディープラーニング)」という手法と相容れないのではないかという事も述べた。

現在人工知能研究の急速な進歩により、人工知能が人間の知能をすべての分野で凌駕するシンギュラリティ(技術的特異点)が2045年に来るという予想が、多くの人工知能研究者にされている。しかしながら、人工知能研究がビッグデータディープラーニングという方法論に依存している限り、それは困難だろうと私は考えている。ビッグデータというのはあくまでも過去のデータであって、環境が変わった場合に人の言動がどのように変わるかという将来を予測することはできないからである。

それでは将棋や碁にこれを当てはめて考えるとどうなるだろうか。将棋や碁の名人は、過去の対局の記録を勉強するだけではなくて、常に新しい手を生み出すことを考えているのではないか。また新しい手が出ると、それを超える新しい手を見出そうとするのではないか。将棋や碁のコンピュータソフトが強くなったのは、過去の対局の莫大な記録を学習させることによって、高段者や名人の差し手をいわば記憶させることによってではないだろうか。

とするならば、例え名人を破るコンピュータソフトが出現したとしても、棋士や碁士の高段者はそれを用いて研究することにより、さらにそれを超える手を編み出すことができるのではないだろうか。事実、コンピュータソフトと対局する棋士に事前にそのソフトを貸し出して研究させることによって、棋士がソフトに勝てる確率が上がったことなどが報告されている。
したがって、将棋や碁のコンピュータソフトが高段者を破ったからといって、名人と言われるトップクラスの人と対局した場合どうなるかは、まだ明らかになっていないのではないかと思われる。さらにはコンピュータソフトを研究の道具として使うことによって、将棋や碁の名人の能力がさらに向上するということも考えられる。

しかしさずがに現在の将棋や碁のトップの人たちがコンピュータと対局するというのは、将棋や碁の世界でも反発があるらしくて実現していない。そうこうしているうちに、情報処理学会が「研究としての将棋ソフトは当初の目的を達成した」として将棋ソフト開発プロジェクトの終了宣言をしてしまったので、将棋の名人とコンピュータの対局というのはしばらくの間は実現しそうにないのは残念である。

ともかくも、人間が周囲の状況・環境がが変われば、それに柔軟に対応して言動を変えていく能力を有しているということは明らかである。それではこの能力はどこからきているのだろうか。まずなぜこの能力が必要かを考えてみよう。少し考えると明らかなように、人間という生物にとっては、種を保存し発展させていくことが最も重要なことであるというのは明らかであろう。もちろんこれは人間に限ったことではなくてすべての生命体が有している能力であるが、人間の場合その能力が極めて発達しているのではないだろうか。

それがなぜかを問われるならば、過去人間が生存してきた自分たちをとりまく地球環境が大きく変動してきたことがあげられる。したがって環境を固定と考えるのではなくて環境は常に変動しうると考え、それにいかにして適応していくかという基本的な能力が人間のDNAの中には秘められているのではないだろうか。

事実生命が地球上に生まれてきてから今日まで、地球の環境は寒冷期と温暖期が交互に訪れるなど大きく変動してきている。そのために滅んでしまった種も多い。しかしながら人類は気候の大きな変動にも耐えながら、アフリカを発祥地として全世界に拡がるという発展をしてきた。これこそが主としての人間の強さであろう。

別の言い方をするならば、現状に安住せず常に現状を変えていこうとする人間の基本的な衝動も同じように人間の基本的能力であろう。現在でも既存の産業に対して新しい産業を起こそうとするベンチャー精神(しかもそのほとんどは失敗するにもかかわらず)は、このような人間の基本的な能力からきているといっていいであろう。

環境の変化に対する適応能力は、よく知られているように「突然変異」からきている。これは、通常DNAは親から子へとコピーされて伝わるがその過程で、DNAに突然大きな変化が生じることをさしている。