シンガポール通信-人工知能は人間の仕事を奪うだろうか?:4

兇悪犯罪の容疑者の周りの人たちが、テレビなどのインタビューに答えて「とてもこんなことをする人とは信じられない」というコメントをするのに出会うことは、多くの人が経験していると思われる。ここに人間の「首尾一貫性のなさ」の一つの面が典型的に現れている。つまりここでいえるのは、人間というのは過去の言動からは全く予測できない言動をする可能性があるということである。これは色々と興味ふかい話題を含んでいる。

一つはまさに言葉の通り、人間は過去のデータからは予測できない言動を行うことがあるという意味である。もしこれが本当なら、現在人工知能の分野でもてはやされている「ビッグデータディープラーニング」という方法論に対する大きな脅威となる。なぜなら、ビッグデータディープラーニングという手法の根底にあるのは、「人の言動は過去の行動の繰り返しである。したがって過去の行動のデータを十分に用意しておけば人の未来の言動は予測できる」という考え方であるからである。

もちろん人間の日常の言動の多くは、過去の言動の繰り返しであるといっていいであろう。コンビニやスーパーなどで、過去の来客者の行動からどのような商品を仕入れて販売すればいいかというような、人間のごく普通の日常活動の予測にはビッグデータは有効であろう。しかしながら、本当に人間らしい言動また創造的な言動というのは、過去の言動からは全く予想できないような言動にあるのではないかと考えられる。そしてここにこそ人間の人間らしさがあるのではなかろうか。

もし本当の意味で人間的な言動というものが過去の言動からは予測できないものだとするならば、そのような言動の予測にはビッグデータディープラーニングという方法論は有効ではないということになる。発明・発見などはその典型であろう。またアートにおける創造活動もそれに当たるだろう。とするならば、ビッグデータディープラーニングという現在の人工知能で中心的な役割を果たしている方法論では、発明・発見やアートの創作はできないということになる。

人工知能が近い将来人間の知能を超えるという予測に対して強く反発する人たちが多いが(その多くは人文系の研究者だと考えられるが)、それらに人たちの根底にはこのような考え方があるのだと考えられる。

もう一つの考え方として、次のような考え方もある。それは人がそれまでの言動からは予測もできない言動をする時、実はその人の内面ではそれ以前にそのような言動へ向けた準備が開始されており、その準備がある閾値を越えたときに突然そのような言動をおこすのではないかという考え方である。とするならば、準備段階でもなんらかの形でその兆候は外に現れていたのに、周囲の人が気づかなかっただけであるということもあるかもしれない。しかしながら、周囲が気づかなかったということ自体が、そのような兆候をビッグデータとして記録しておくことが困難であるということを意味しているではないか。

これは以前にもこのブログで書いたことかもしれないが、この点にビッグデータディープラーニングの弱点というか限界があると私は思っている。つまりこの方法論では現状の環境の中で人がもっとも起こしやすい言動は何かという質問に対する回答は与えることができるが、それ以上のことはできないのである。たとえば環境が変わった時には人はそれに応じて言動を変えるが、この方法論はそれには対処することができない。たとえば端的な例で言うと、スマートホンが出現する以前の人の携帯電話の使い方のデータをいかに集め分析してみても、次世代の携帯電話としてのスマートホンのコンセプトをビッグデータディープラーニングという方法論は与えてくれないのである。

ところで人間はなぜそれまで全く予想もつかなかった言動ができる能力を有しているのだろう。それは人間がこれまで生きてきた環境が変動しても、それに適応する能力を有しているからだということができる。人間という種にとって最も重要なのは、変動する周囲の環境に素早く適応することによって種を存続させ発展させることであろう。したがって人間は周囲環境が変動してもそれに適応した言動を行う能力を有しているのだといえる。

つまりビッグデータが教えてくれるのは、あくまでも現在の環境の中で人間がどのような言動をとるかという過去のデータであって、環境の変化をも含めた未来の言動に関するデータは含まれていないのである。いいかえれば、ビッグデータに収められているのは環境が固定した閉鎖系環境における言動に関するデータなのである。それに対して人間の本来の言動は、環境が変化してもそれに対応しうる能力を有するという意味で開放系環境における言動なのである。

再度いうけれども、ビッグデータは人間の過去の言動に関するデータであって、環境が変化した場合人間がどう行動するかという未来の言動に対する予測は与えてくれない。これが、ビッグデータディープラーニングという方法論では、人間の発明・発見の能力さらにはアートなどの創造を行う能力をシミュレートすることはできないとする理由である。したがってこの分野で人工知能が人間に取って代わることはないと断言できるだろう。