シンガポール通信-人工知能は人間の仕事を奪うだろうか?:3

人間の特徴として、大変に柔軟性に富んでいること悪くいうといい加減であることがあるということがある。これを別の言葉で言い表したものとして、よく知られた文豪モームの言葉として「人間は首尾一貫していない」というものがある。この言葉を大学時代に彼の短編で読んだときになるほどなと感心したことがある。

「首尾一貫していない」ということはどういうことだろうか。これは単純に言えば、人間の考え方や行動が論理的でないということを意味している。先に述べたように、論理的な考え方や行動の面においては、チェスのみならず将棋・碁などのボードゲームにおいて、コンピュータソフト言い換えると人工知能が人間のプロやチャンピオンに勝つという事態が生じ始めている。

これはボードゲームのルールが論理的に明確に定義されているからである。そのために勝つためのソフトをデザインし開発することが可能になるのである。ルールが論理的に明確に定義されていれば、深く先読みをすることによって必ず勝つことのできるアルゴリズムを開発することは原理的には可能であるということになる。

問題はこれもすでに述べたけれども、先読みをしていくと可能な局面の数が天文学的なものになり、スパコンといえども扱えなくなることにある。したがって先読みの数を限定して、その中でもっとも有利な局面に至る手を打つということになる。この局面の有利さをいかに評価するかが、開発されるソフトの強さに直接に関わることになる。そこに過去の局面のデータ(ビッグデータ)を用いて学習する(ディープラーニング)という手法を用いることが有効であることがわかり、強いソフトが開発できるようになったというわけである。

人間の通常の行動の多くが論理的ではないということは、それらの考え方や行動のルールが明確になっていないということである。ルールが明確でないとソフトを開発しようにもできないということになる。もっともルールが明確でなくても、人間の頭脳の構造をまねたニューラルネットワークなどの基本的な方法論を用いて、ビッグデータを用いて学習するということができないわけではない。

ということは、人間の通常の行動をシミュレートするコンピュータソフトを開発することが不可能ではないということ示していないだろうか。人間の論理的な考え方や行動のみならず感情や感覚に基づいた考え方や行動においても人工知能が人間を凌駕するというシンギュラリティ(技術的特異点)が2045年が訪れると予測する研究者の多くは多分このような考え方に基づいてそう予測しているのだろう。しかし本当にそうだろうか。

実は「首尾一貫していない」という言葉の別の意味は「予測できない」もしくは「人間は予測を超えた考え方・行動をする」というものである。これは論理的ではないということとは少し意味が違う。私たちが他の人と日常コミュニケーションする場合、人が論理的とは思えないような行動を取る場面に出くわすことがある。

たとえば最近のニュースとして、元プロ野球選手の清原和博氏が覚せい剤を常用していたことが発覚し逮捕された。清原容疑者はかってのプロ野球のヒーローであって、プロ野球ファンのみならず誰でも知っている有名人である。覚せい剤を使用することによって過去の名声を全て失うことの危険性は論理的に考えれば明らかであり、だからこそなぜそのような危険性を犯してまで覚せい剤に手を出すのかと私たちは思うわけである。まさに彼の行動は非論理的である。しかし現実には清原容疑者は覚せい剤に手を出し、それを常用するまでに至っていたといわれている。

もっとも清原容疑者の場合は、すでに過去に暴力団との関係などが取りざたされており、多くの人はさもありなんと思ったのではないだろうか。すなわち彼の場合は、過去の行動の延長として今回の覚せい剤使用がありうると予測できたともいえるかもしれない。事実、清原容疑者と高校時代以来の仲である桑田真澄氏が、過去に清原容疑者の言動に関して「色々と注意してきたが聞いてもらえなかった」ことや「もっと強く言えばよかった」ななどとするコメントを出している。とすれば清原容疑者の場合はビッグデータと学習によって今回の事件が予測できたかもしれないともいえる。

しかしである。世の中で凶悪犯罪などが起こるたびに、容疑者の知り合いやかっての学校時代の同級生や教師などのコメントがマスコミに取り上げられるが、その大半が「おとなしい真面目な子でそんなことをするとはとても信じられない」というものであることに注意する必要がある。これは一体何を意味しているのだろうか。