シンガポール通信-人工知能は人間の仕事を奪うだろうか?:2

さてそれでは、人間の知的能力のうち論理的というよりは感情的・感情的な働きの部分をコンピュータで置き換えることができるだろうか、そしてそれによってコンピュータが人間の仕事を奪う時代が来るのだろうか。

人間が身体を持っているという事実、いわゆる身体性をコンピュータが代行することは当面は不可能であろうから、身体性が重要な意味を持つ領域ではコンピュータが人間の仕事を奪うことはないであろう。つまり夫婦のどちかをコンピュータが代行するとか恋人をコンピュータが代行するとかは、当面は(というよりかなりの将来にわたって)不可能であろう。

この身体性に関しては、一時期人工知能の領域においても人間とコンピュータを隔てるものとして身体性の重要性が色々と論じられたことがあった。その当時は、人間の知能にとって人間が身体を有することこそが決定的に重要であるという議論がされたことがある。そのため、コンピュータが身体を持たないことは致命的であって、そのためコンピュータは人間に取って代わることはできないという意見を述べる研究者が多かった。

しかし現在では、身体性の重要さに関するこのような極端な意見はあまり聞かれない。それはこれまで述べてきたように、知的能力のうち論理的な処理に関わる部分においては身体性はあまり必要ではないことが明らかになったからである。それはチェス・将棋・碁などのボードゲームですでに、コンピュータが人間のチャンピオンを破るという結果を出していることによって証明されている。

また知的能力のうち感情的・感性的な部分に関しても、身体性が必要ない場合も結構多い。例えば雑談をしたり高齢者の話し相手をするなどは、別に身体を持たないコンピュータでもできるわけであり、人工知能で置き換える事は不可能とは言えないだろう。事実、雑談をするコンピュータというのは、従来から人工知能の分野の一つの研究テーマとして研究が行われてきている。

現在でも、短時間であれば雑談に耐えうるソフトというのは存在しているだろう。もっとも長時間の雑談になると、これらのソフトが常識という人間が誰でも持っている知識(実はそれは膨大な量の情報からなっている)を持たないために、徐々に化けの皮が剥げてくるという問題はあるが。

ほかにも感情的・感情的な人間の脳の働きで、かつ身体性に関わらない領域で、コンピュータに置き換え可能なものはないだろうか。一つの典型的な例として漫才を考えてみよう。漫才は通常は二人の漫才師の掛け合いによって聴衆を笑わせようとする芸である。海外では二人の芸人によって聴衆を笑わせようとする芸はあまり見かけないが、一人のトークによって聴衆を笑わせようとする芸は存在している。漫才もトークも同じようなものと考えることができるから、以下では漫才というのはこの一人によるトークも含まれるとしておこう。

さてそれでは問題は、漫才(もしくは一人トーク)で人を笑わせることのできるコンピュータを作ることができるかということになる。少し考えるとわかるが、人を笑わせるためには話の内容と同様さらにはそれ以上に、「話し方」さらにはしゃべりにおける「間」が重要な役割をしているのである。これがうまいかどうかによって、人を笑わせることができたりできなかったりする。

ここで「うまいかどうか」という抽象的な言い方をしたのは、人を笑わせることのできる「話し方」や「間」がまだわかっていないからである。しかしわかっていなくても、将棋や碁のようにビッグデータディープラーニングのような手法を使うことはできないのだろうか。すなわち漫才の名人の話し方のデータを大量に集めておいて(ビッグデータ)、コンピュータに学習させること(ディープラーニング)はできないのだろうか。それができれば漫才名人のコンピュータを作り出せることができることになる。

これは原理的には不可能ではない。問題は将棋や碁のようにルールや局面が明確に定義されているものに対して、落語の場合はそのルールや局面が明確に定義されていないことによる。また「話の内容」と「話し方」や「間」が密接に結びついており、話し方や間というものだけを取り出すのが難しいという問題もある。

とはいいながら研究が進展すればそれが徐々に明らかになり、ビッグデータディープラーニングの手法によって落語名人のコンピュータがいつか実現するということもあながち不可能とは言えないであろう。もっともそれが現在予測されている2045年のシンギュラリティに間に合うかどうかと聞かれれば、首を傾げざるを得ない。それは多くの人工知能研究者も同様の意見なのではあるまいか。

それはなぜかと聞かれると、どうもそこには人間が持つ柔軟性、悪くいうといい加減さ、文豪モームに言わせれば「首尾一貫性のなさ」、が大きく関与しているのではないかと考えられる。これについて次に考えてみよう。