シンガポール通信-人工知能は人間の仕事を奪うだろうか?

ここまでコンピュータが、人間の知的能力のうち論理的な思考の部分では人間にかなり迫ってきていることを述べた。特に論理的な思考の典型例であるチェス・将棋・碁などのボードゲームでは、予想を覆して人工知能が急速な進歩を遂げ、ついにグーグルの碁ソフトが碁の欧州チャンピオンを破るまでになったことを述べた。またその進歩には、人間の碁士の打ち方の膨大なデータを用意しておき(ビッグデータ)、それをコンピュータに学習させる(ディープラーニング)という手法が大きな威力を発揮してきたことを述べた。

これをもって、近い将来現在人間が行っている仕事(論理的な頭脳労働)の大部分を人工知能で置き換えることが可能になり、それらの仕事に従事している人たちが失職する恐れがあるという予測がされている。さらにその先には、論理的な働きをも含めて全ての人間の頭脳の働きの領域で人工知能が人間を凌駕する、いわゆるシンギュラリティ(技術的特異点)が2045年に訪れると予測する人たちがいる。これは果たして本当だろうか。

まず、人間が行っている頭脳労働の多くの部分が人工知能で置き換えられる時代というのは、予測通り近い将来に訪れると思われる。よく言われることであるが、これと同じことが産業革命の結果生まれた機械が社会に入ってきた時代に起こった。機械が容易に人間の身体能力を超えることができるため、それまで人間によって行われていた単純な肉体労働の多くが機械によって置き換えられ、失業した労働者がしばしば機械の打毀しを行ったというのは、よく知られた歴史的事実である。

それが人工知能の進化により人間の頭脳労働の場面でも起ころうとしているのである。たしかにコンピュータや機械で置き換え可能な単純頭脳労働は多いし、それらはこれまでも時代とともにコンピュータで置き換えられてきた。例えば駅の切符の販売や改札の切符のもぎりなどがその典型例であって、今や近距離の切符の販売は全て自動販売機で置き換えられているし、切符のもぎりは自動改札機で置き換えられている。

さらにはかっては店頭で対面型で行われた商品の販売のかなりの部分がネットでのショッピングに置き換えられている。またホテルの予約・航空券の予約などの多くも、かっては電話や対面型で旅行会社などに依頼していたのが、ネット上の予約システムで置き換えられている。

すなわち単純な頭脳労働がコンピュータで置き換えられるというのはすでに起こっていることなのである。近い将来に現在人間が行っている頭脳労働のどの部分が次にコンピュータで置き換え可能かと考えてみると、実は人間が行っている知的活動のかなりの部分がコンピュータ上の人工知能で置き換え可能であることがわかる。

多分最後まで残るのは芸術創作活動であったり発明・発見につながる科学技術の分野の活動であったりするであろう。第一これらの分野の人間の頭脳活動は純粋に論理的な活動とはいえない。それを頭脳の活動の感情的な面と言っていいかどうかはともかくとして、芸術創作活動や科学技術活動などにおいて極めて重要と言われる直感・ひらめきなどは人工知能では置き換えは困難であろう。それは直感・ひらめき等に関わる人間の頭脳の働きがまだわかっていない都いうことと深く関わっている。

しかしながらそれ以外の部分では、人間に特有と考えられている活動の多くが実は人工知能によって置き換えられることが可能である。帳簿をつけるという作業はまさに単純作業であって問題なく人工知能で置き換え可能である。さらには人間のかなり高度な頭脳労働とされている法律問題を扱う弁護士の仕事でさえ、そのかなりの部分は過去の事例をコンピュータに学習させるという、先に述べたビッグデータディープラーニングの手法で置き換えられるのではないかと予測される。

それではこれらの仕事はいつごろ人工知能によって置き換えられるのであろうか。じつはこれは人工知能の技術の発展の問題以上に社会システムがどうなるかという問題なのである。たとえば、先に述べたホテル予約や旅行予約がコンピュータで置き換えられたという件についていうと、これらの業務自身は比較的単純である。しかしながらそれらの業務がコンピュータによって置き換えられたのは、それらの業務がネットと結びつくことによって初めて可能になったのである。すなわち世界のホテルのシステムや航空会社のシステムがネットと結びついてこそ、ホテル予約システム・旅行予約システムが現実のものとなって私たちの前に現れたのである。

弁護士の行っている業務の中核部分、特に訴訟問題の取り扱いをコンピュータで置き換えることは理論的にはできないと私は考えている。しかしながらそのためには、現在は全てが人間の仕事、人間の判断によって進められている司法制度そのものがコンピュータ化されることが必要なのである。これはまだまだ時間がかかると思われる。