シンガポール通信-日本の覇権主義

スペイン・ポルトガルに代表される欧州の各国が15世紀に始まる大航海時代の幕開けとともに、アメリカ大陸に、東南アジアに、アフリカに進出し、これらの国々を植民地化し、いわゆる西洋優位の世界を築いてきたことはよく知られている。このブログでもそのことに関しては何度も論じてきた。

スペインはともかく、ヨーロッパの片隅の小国でニュースになることも少ないポルトガルがかっては大航海時代を先導し、一時はスペインとともに世界を二分する植民地化を押し進めた国であるというのは興味深い。

だいぶ昔になるが、国際会議でポルトガルの首都リスボンを訪れたことがある。港に面して有名な「発見のモニュメント」がある。これはアフリカ大陸を経由してインドに至る航路の発見を主導し、大航海時代のパイオニアと呼ばれているエンリケ航海王子を先頭にそれに続く航海者達を示した像である。

当時は全く歴史に興味がなかったので、この像が何を示すのかにも関心がなかった。しかしこれこそが長い暗黒の中世が終わり、ヨーロッパが世界へ乗り出していき一時は世界を植民地化し、そして現在の欧米優位の世界を作り出したきっかけとなった時代を示した像なのである。



リスボンの「発見のモニュメント」


世界をポルトガルとスペインで二分することは、1494年のトルデシリヤス条約と1529年のサラゴサ条約で定められた。トルデシリヤス条約では大西洋の西経46度を境として東をポルトガルが植民地とすべき地域、西をスペインが植民地とすべき地域と定められた。またサラゴサ条約では、ニューギニアの中央部に当たる東経144度を境として東がスペインの西がポルトガルの領土とすることが決定された。

トルデシリヤス条約もサラゴサ条約も、当時のローマ法王の主導でもしくはローマ法王の承認を経て結ばれたというのは興味深い。すなわちこのことは、ポルトガルとスペインが先頭となって推進した世界の植民地化はキリスト教の公認のもとに行われたということを示している。

その後の欧州諸国による世界の植民地化の先頭に、軍隊とともにキリスト教の宣教師が同行していたことはよく知られている。さらには軍隊に先行して、キリスト教の宣教師がアメリカ大陸やアフリカ大陸の内陸に入り宣教活動を開始したことがしばしばあったこともよく知られている。

もちろんこれはキリスト教を広めたいという宣教師たちの熱意に基づくものではあるが、彼らの活動が植民地化の先兵となったことは間違いない。純粋な宗教的熱意による活動がその後の西洋による世界の植民地化へと道を開きそして現在の西洋優位の世界の基となっているというのは大変興味深い。これはキリスト教覇権主義とでも呼ばれるものではないだろうか。

このブログでも西洋の覇権主義、中国の覇権主義などに関して論じてきたが、領土拡大主義を含めて覇権主義というのはどうも人間の本性に基づいたものではないかという気がしてくる。そしてそれはもっというと、種としての人類を存続させ発展させるため人間のDNAに刻み込まれている人間の本能ではないだろうか。

現在の人類の祖先が、5万年〜7万年前にアフリカ大陸を出てその後数万年をかけて全世界に広がったことは、現在では定説として認められている。アフリカから欧州やアジアに到達したのはともかくとして、アジアに到達した人類の祖先はその後北上をし、ベーリング海峡を越えてアメリカ大陸に渡り、今度は南下を続けて南アメリカの最南端にまで到達した。

当時はベーリング海峡は地続きであったといわれているが、それにしても極寒の地を先に何があるかわからないのに進んでいったという人類のエネルギーには感嘆せざるを得ない。このような種の保存と発展のための本能が、自国の権力を高め領土を広げようとする現在の覇権主義につながっているのであろう。

さてそれでは、次なる疑問として日本という国はそして日本人は覇権主義を持っているのだろうか。