シンガポール通信-日本の覇権主義2

領土拡大を目指すことも含めての日本の覇権主義といえば、19世紀末から20世紀半ばまでの日清戦争日露戦争第一次世界大戦第二次世界大戦において、日本が海外において領土拡大を求めて繰り広げた戦争がまず頭に浮かぶ。つまり20世紀前半は日本の覇権主義が露わに出ていた時代であり、世界の各国からもそのように見られていた時代である。

しかし第2次世界大戦の敗戦以降行われた平和教育のために、私たち日本人は日本が平和を好む国家であり、日本人が争いを好まない民族であるかのように思っている節がある。そして20世紀前半の日本が戦争に明け暮れた時代を、なんだか別世界の出来事のように思っている節がある。

もちろんこれは戦争を肯定しているわけではない。世界がネットワークで一体化した現在では、戦争は局部的なものであっても全体に広がる危険性を含んでいる。その意味で現在の戦争は人間の歴史でかってなかったほど深刻な影響を引き起こすわけであり、いかにして戦争を防ぐかは重要な問題である。

いい例がイスラム過激派によるテロであって、容易に国境を越えてフランスのパリという世界文化の中心とも言える場所で大規模なテロを引き起こしている。イスラム過激派が拠って立つイスラム国を殲滅しようとする戦いが、今回のテロの目標となったフランスをはじめ米国・ロシアなどが中心となって行われているが、イスラム国を追い詰めるとその反動としてテロが全世界に広まる可能性もある。私たちは依然として厄介な時代に生きているわけである。

大半の日本人は、イスラム過激派によるテロを対岸の火事のように見ているが、このブログでも書いたように日本がテロの対象とされることも十分ありうると思っている。イスラム原理主義からすると、イスラム教の教えを守り政教一致の原則に基づいて日々の生活を送るべきであって、これはどの宗教でもそうであるべきだというのがイスラム過激派の考え方であろう。

そのような考え方からすると、西洋の科学技術や西洋の文化を全面的に取り入れ、それと日本人の伝統的な精神基盤である仏教・儒教を安易にミックスした文化を作り上げた日本は、西洋文明に安易に屈した精神的に堕落した裏切り者であるというような評価をされる恐れもあるわけである。

イスラム過激派が日本は裏切り者であると言って批判しさらにはテロをしかけてきた場合、私たちはそれに対して説得力のある反論ができるだろうか。大半の日本人はその準備はできていないのではなかろうか。イスラム国やイスラム過激派が、なぜ自爆という命をかけてまでのテロ行為を行うかというその根本的な原因を、私たちはもっと真剣に考える必要があるのではないだろうか。

さて覇権主義から少し話題が逸れたけれども、再度覇権主義の話題について考えてみよう。中国の覇権主義が話題になっているが、これも他国のことのように考えるのではなくて、日本には覇権主義はなかったのか、あったとすれば今後はどのようにコントロールすべきなのかという原点に帰った議論が必要ではなかろうか。

前回も述べたように、覇権主義は特定の民族や特定の国に見られる現象ではない。それは根元にまで戻って考えてみると、人類という種を存続させ発展させるための本能に基づいているわけである。その意味では、すべての民族すべての国家が平和主義と同時に覇権主義という別の面を持っていると考えたほうがいい。問題は覇権主義がいつどのような形で現れやすいか、またそれをどうコントロールすべきかということであろう。

そしてその意味では、日本人もまた日本という国家も覇権主義的な考え方を持っており、何かの折にそれが表に現れるということなのであろう。そして19世紀末から20世紀前半にそれが最も顕著な形で現れた時代なのであろう。したがって、日本の覇権主義を考える際には他にも日本の覇権主義が露わになった時代があったか否かを歴史から学ぶ必要があるだろう。

日本の覇権主義が露わになった時代というのを、日本が国家として領土拡大を求めて海外に武力でもって進出していった時代と定義することができるだろう。それのもっとも顕著な時代が、先に述べたように19世紀末から20世紀前半の日清戦争日露戦争第一次世界大戦第二次世界大戦の時代だったといえよう。

それではそれ以前の日本の歴史にそのような時代はあったのだろうか。日本の歴史をこのような観点から考えてみる機会は少ないが、日本が邪馬台国を含め国として成立してから明治維新に至るまでの約1800年の間に日本の覇権主義が露わになった時代が二度ある。一つは邪馬台国及び大和朝廷による朝鮮進出であり、もう一つは豊臣秀吉による朝鮮出兵である。