シンガポール通信-イスラム過激派のテロにどう対応するか2

前回、テロを受けたフランスも含め欧米社会はイスラム過激派の主義主張に反駁する自分たちの主義主張を明確にし、それをイスラム過激派に対して明確に宣言すべきであると書いた。それではその主義主張とはどのようなものであるべきだろうか。
それは一言で言えば、イスラム原理主義が掲げる政教一致を理想とするイスラム教の本来の教えに戻るという考えが現代社会では受け入れられない、いやもっというと時代錯誤の古い考え方であるという主張である。

前にも書いたように,キリスト教は古くから政教分離の考え方を受け入れてきた。これは宗教は人間の生活の精神面にのみ関わるべきであり、人間の生活の物質面での行為には関与しないという考え方である。この考え方こそが、人々が富や便利さ・効率を享受することを可能にした。またそれは、新しい技術を生み出すことにより人々の生活に便利さ・効率を提供することを目的とする科学技術の方向性と一致するため、種々のテクノロジーで溢れる現代社会の実現を可能にしたと言っていい。

科学技術の発展の根底にあるのは西洋二元論であることはよく知られている。それは物事を理解しようとする場合に、すべての物事は複数の基本的な要素の融合から構成されていると考え、それを要素に分けていくことによって対象を理解しようとする考え方である。この思想こそが近代科学技術の発展の基礎にある。そして政教分離の考え方もその根底は二元論に発しており、その意味ではそれは西欧の基本的な思想なのである。

それに対して東洋では一元論を基本的な思想としてきた。それは融合・統一を至上のものとする考え方であり、宗教などの精神的な思想においては有効であるが、科学技術のように対象を分析しようとする方向に向かう考え方とは相容れない。

イスラム教も政教一致を掲げるからには一元論がその考え方の基本にあるといっていい。文明の発展のある段階(西欧では中世の終わり)までは一元論と二元論の優劣はつけにくい。しかしながらルネッサンス以降さらには産業革命を経て西欧そして欧米における科学技術の急速な発展を見ると、近代社会には二元論が有利なことを示している。まさに二元論の優位性こそがルネッサンス大航海時代産業革命などを経て欧米が東洋をはるかに凌駕することを可能にし、そして現代において欧米の文化・科学技術が世界を支配するに至っている理由なのである。

イスラム教に基礎をおくイスラム社会が世界の科学技術の進歩に取り残されているのは、この政教分離の考え方を取り入れていないからであるともいえる。いや実はオスマントルコ帝国を引き継いだトルコやイスラム諸国はすでにこの政教分離の考え方を(彼らが明白にそれを認めるか否かは別にして)取り入れているのである。

そして日本も明治維新を経てそれまでの鎖国の考え方を捨て、積極的に欧米の基本的思想・文化さらには科学技術を取り入れてきた。それが明治維新以降の日本の急速な発展に繋がっているのである。つまり日本は基本的な思想として東洋一元論を捨てて西洋二元論を取り入れたのである。そして日本に限らず中国も含め東洋の国々も事情は同じである。

イスラム教がそしてイムラム社会が現代において生き残ろうとするならば、政教分離の考え方を取り入れることは必然である。政教一致の考え方に固執するイスラム原理主義は、イスラム帝国が大きな勢力を持っていた時代はともかくとして、残念ながら現代においては時代遅れてあると言っていい。

もしイスラム原理主義政教一致イスラム教の教えに忠実であろうとするならば、政教分離さらには二元論に基づく欧米の科学技術の成果を取り入れることを拒否すべきである。そして欧米社会に背を向け、イスラム原理主義者だけで構成された自分たちのグループもしくは国家の中で旧来からの生活様式に従って静かに暮らすべきなのである。

実は彼らはすでに自己矛盾的な行為をしている。彼らはすでに欧米の科学技術をとり入れている。何よりもテロなどに用いている最新の武器は欧米の科学技術の成果ではないか。欧米の政教分離の考え方を否定しながらその成果である欧米の最新の科学技術を取り入れるというのは、自己矛盾以外の何物でもない。

もちろんイスラム原理主義に基づくイスラム過激派はそれを自覚していると思われる。だからこそその自己矛盾に苦しみ、それをも欧米の責任として欧米に対してテロを仕掛けているのではあるまいか。そしてさらにいうと、イスラム過激派自身もイスラム原理主義が現代の社会においてはすでに時代遅れになっていることを自覚しているのではあるまいか。

自分たちが理想として掲げる原理がすでに現代においては受け入れられないこと、しかもそれにもかかわらず自分たちの掲げる原理の正しさを自分自身が否定できないこと、このようなことを彼ら自身が自覚しているのであるまいか。そしてそのことこそが彼らのテロが過激になってきている理由ではないだろうか。

映画「ラストサムライ」を覚えておられる方は多いであろう。あの映画で描かれたのは、時代遅れとなっていることを自覚しつつも自分達のこれまでの生き方に忠実であろうとしたサムライである。そこには人々の心情に訴えるものがあることは誰も否定できないであろう。このことがイスラム過激派に同調する若者が後を絶たない理由ではあるまいか。