シンガポール通信-イスラム過激派のテロにどう対応するか

さてそれでは、イスラム国やイスラム原理主義者(ここではこれらをまとめてイスラム過激派と呼んでおこう)のテロにどう対応すればいいのかということを考えてみよう。

今回のパリのテロに対するオバマ大統領など主要国首脳のコメントは、いずれも「テロは許されない」というものである。安倍首相のコメントも「どんな理由があろうとテロは許されない」であるから同じ内容である。さすがにテロの対象となったフランスのオランド大統領は「これは戦争である」と踏み込んだコメントをしているが、これもなぜこれが戦争なのか、またなぜ戦争を行う必要があるのかという理由を述べていない。イスラム過激派が一方的に戦争を仕掛けてきているので、それに応戦する必要があるという程度の意味しかもっていないのではないだろうか。

フランス空軍・米国空軍がイスラム国に対する空爆を行ったというニュースが入ってきたが、これはテロに対する報復の意味合いが強いと考えられる。やられたからやり返しているということであって、主義主張が希薄である。子供の喧嘩の延長といわれてもしかたがないのではないだろうか。対するイスラム過激派はある意味で明白な主義主張を持っている。前回まで述べてきたことをまとめるとそれは以下のようなものであろう。

「すべての人間は自分が信じる宗教(イスラム過激派にとってはイスラム教)の教義に沿って精神面に価値を置いて日々を過ごすべきである。我々イスラム教徒はそのような生活を長年送ってきた。ところが欧米諸国のキリスト教徒はイスラム教とも共通点を持つキリスト教の本来の教えを忘れ、富と快楽を享受することを良しとする誤った考えを取り入れ、そのような生活様式に染まってしまっている。

しかも欧米諸国はイスラム諸国を植民地化していた時代を通して、イスラム教徒にその主義主張を押し付けてきた。イスラム諸国が独立した現在も、中東の石油資源という利権を得るため欧米の価値観をイスラム諸国に押し付けようとするこの行為は続いている、これはイスラム教を破壊しようとする行いであり、イスラム教徒に対する冒涜である。

われわれはイスラム教本来のムハンマドの教えに基づいた社会を再び実現する必要がある。イスラム国こそがそれを実現しようとしている。さらには誤った教えに毒されている欧米諸国の現在の体制を破壊し、イスラム教の教えに基づいた世界を構築すべきである。

そのためにイスラム教を世界に広げるための聖戦を開始すべきである。欧米諸国におけるテロはその手始めの行為である。」

これはもちろん私がイスラム教の歴史や教えをかじった結果に基づいて勝手に考えた仮説である。しかし当たらずとも遠からずではないかと考えている。このようなイスラム原理主義は、それなりに人々の心に訴える部分があることは認めざるを得ないだろう。特に「聖戦」という言葉は、かってのイスラム教布教時において「片手にコーラン片手に剣」という言葉を叫びながら西欧の騎士達と戦って領土を拡大したイスラム戦士を思い出させる力を持っている。自爆という自らを犠牲にして相手を倒すという行為も、イスラム教の教えからすると聖なる行為であり、それを行った人間は天国に召されるということになるのであろう。

このような主義主張を前面に掲げているからこそ、イスラム国がある程度の人々の共感を得てアラブ地域に一定の領土を確保しているわけである。またこの主義主張の持つアピール力に魅せられて欧米の若者でイスラム国に参加するものが後を絶たない理由になっているわけでもある。

かっての荒唐無稽な教義をかかげたオウム心理教が、一定の数の若者にアピールし彼らを信者として取り込んだのと同じ構図ではないだろうか。そのようなある種のアピール力を持った主義主張を掲げる集団の行うテロ行為に対して「テロは許されない」という程度の反論はあまり力を持たないのではないか。さてそれではどうすればいいのだろうか。

私は、欧米社会はこのようなイスラム教の教義に基づくイスラム過激派の主義主張に反駁する自分たちの主義主張を明確にし、それをイスラム過激派に対して明確に宣言すべきであると考えている。それではその主義主張とはどのようなものであるべきだろうか。

(続く)