シンガポール通信-パリの同時テロはイスラム原理主義者による欧米への戦争である2

13日のパリ市内のテロ事件からまだ数日しか経っていないというのに、国内のテレビはもうほとんどテロに関するニュースは報じていなくて、いつものバラエティ中心の番組になっている。あたかも、この世界規模で報じられているニュースがなかったかのような様子である。悲惨なテロの報道ばかりではつらいということもあるかもしれないが、この日本は関係ないという態度でいいのだろうか。この問題はまた後で議論することにしよう。

このパリにおけるテロの問題は、一部のイスラム過激派によるテロであるというのが現時点で共有されている理解ではあるまいか。そのような理解のもとでは、この問題は国内でも時に生じるような社会に対して不満を持っている人間が無差別な殺人を犯したりする事件と同列に扱うことになる。このように理解してしまうと、それはこの事件を矮小化してしまうことになる。イスラム国を中心としたイスラム過激派によるテロ事件はもっと複雑な背景を持った事件である。

前回も述べたように大げさな言い方かもしれないが、これはイスラム文化と欧米文化いいかえるとイスラム教とキリスト教の間の戦いなのである。その意味では「戦争」というフランスのオランド大統領の指摘は正しいことになる。

イスラム教とキリスト教の根本的な違いは、キリスト教が宗教を人間の精神面のみに関わるとした「政教分離」の原則を受け入れているのに対し、イスラム教の根本的な教えはイスラム教が信者の生活のすべての面に関わりすべての面をコントロールするという「政教一致」を原則としていることである。

キリスト教における政教分離の原則のおかげで、西欧社会では人間の物質的な欲望が宗教に縛られることがなくなり、人々は物質的な欲求を満たすことを追求できる。そしてそのことは西欧社会における科学技術の発展へとつながってきた。そして現在ヨーロッパと米国を含んだ欧米の科学技術は世界の他の科学技術を圧倒しており、いわば欧米が世界を支配しているという構図を作り出している。

しかしこの構図はそれほど古くからのものではないことに注意する必要がある。5世紀の東ローマ帝国滅亡から14世紀〜15世紀におけるルネッサンスさらには大航海時代の始まりにより西欧文明が他の文明を凌駕し始めるまで、西欧はいわゆる「暗黒の中世」といわれるようにキリスト教の支配のもとに人々の自由な考え方・行為が抑圧された時代におかれていた。

一方中東では、7世紀のムハンマドによるイスラム教の始まりとイスラム教に基づいたイスラム帝国が、ローマ帝国に代わって13世紀にモンゴル帝国に滅ぼされるまで世界最大の帝国として君臨した。イスラム帝国の内部ではギリシャ哲学を引き継いだ哲学が栄え、また天文学・数学などの科学も発展し、明らかに科学技術の面でも、哲学でもさらには経済的にもイスラム文明が西欧文明を凌駕していたのである。

一方アジアでも10世紀から13世紀の宋の時代は、中国におけるルネッサンスと言われるように芸術が栄えまた経済の面でも石炭の生産や鉄の精錬の工業化が進み、ここでも中国文明は西欧文明を凌駕していた。さらに宋を滅ぼしたモンゴル帝国ローマ帝国イスラム帝国を凌ぐ世界最大の帝国を樹立した。

それが先に述べた西欧におけるルネッサンスさらには大航海時代の始まりとともに、西欧文明がイスラム文明・中国文明を凌駕し始めた。しかしここで注意しなければならないのは、ルネッサンスにおける哲学・科学技術の大きな飛躍は、実はイスラム文化全盛の時代にイスラム帝国内部に蓄積されていたギリシャ文明を引き継いだ哲学・科学技術の成果が西欧に広まったものが基本となっているということである。

いわば西欧文明の急速な発展はイスラム文明におっているわけである。しかしながら西欧文明の急激は発展に反比例してイスラム文明は衰退の途を歩み始める。イスラム帝国を引き継ぎかつ西欧の文明を取り入れることに抵抗の少なかったオスマントルコ帝国が一時は中東を支配するが、そのオスマントルコ帝国も徐々に衰退への道を歩む。

そして20世紀に入り中東は完全に西欧諸国(イギリスとフランス)の植民地となり、西欧の支配下になりそれが第2次世界大戦終了まで続くのである。中国も似たような状況にあったと言っていいだろう。

いわばイスラム諸国は、イスラム帝国の時代はかっては西欧文化を凌駕する黄金時代を経験していながら、20世紀には完全に西欧文化支配下に入れられたという経験を持っている。西欧文化支配下にあった間、本来のイスラム教の教義とは相反する西欧の科学技術やさらには生活様式を押し付けられてきたといえるのではないだろうか。

つまり政教一致というイスラム教の根本教義に対立するキリスト教政教分離の教義とそれに基づく西欧文化を押し付けられてきたというのが近年のイスラム諸国の歴史ではあるまいか。イスラム過激派のテロはこのような西欧のイスラム支配の構図に対する彼らからの復讐であると理解できるのではあるまいか。