シンガポール通信-パリの同時テロはイスラム原理主義者による欧米への戦争である3

イスラム国を中心としたイスラム過激派もしくはイスラム原理主義者から見ると、欧米社会もしくはキリスト教社会はどのように見えるのだろうか。ここに彼らが欧米に対して無差別なテロを仕掛ける原因があると言える。

まず第一に言えるのは、欧米社会が本来の宗教のあり方を冒涜しているということであろう。イスラム原理主義者の政教一致の考え方からすると、宗教は人々の精神面だけではなくて日常のすべての面にかかわるものであり、人々は宗教の教えに従ってすべての行為をすべきであるということになる。その点からすると、政教分離の考え方を取り入れ神への信仰は表面的なものに過ぎず、物質的欲望を追い求めているのが欧米の社会であるということになる。そのことは、西欧社会は基本的な思想においてイスラム教の敵であるということになる。

さらに第二として言えるのは、その政教分離の考え方に基づく欧米文化、特に科学技術を至上のものとする科学技術至上主義、さらには物質的豊かさを追い求める経済至上主義をイスラム社会に押し付けてきたということであろう。

西欧文明とイスラム文明が対等に対峙していた時代は、西欧社会とイスラム社会がそれぞれの主義に基づいて生活していれば良かった。しかしイスラム文明が衰退するとともに西欧列強(特にフランスとイギリス)が中東を植民地化し、イスラム教徒に西欧的価値観・生活様式を押し付けてきたとイスラム原理主義者は考えているのではあるまいか。そして西欧的価値観・生活様式イスラム教の根本原理に反するものであるから、植民地化政策を通してイスラム教を潰す政策を押し付けてきた西欧社会はイスラム社会の敵であるということになる。いやそれ以上に過去の彼らの行いに対して復讐すべきものであるということになるのではあるまいか。

さらにはそこにより長期的な歴史的な考え方も入ってくる。かってイスラム帝国の黄金時代にはイスラム文明は西欧文明を凌いでいたのに、現在では西欧文明の後塵を拝し、ある意味でイスラム文明が西欧文明に破壊されようとしている。このような情勢をテロという手段をもってしてもいいから変えることをイスラム原理主義者は願っているのではあるまいか。

そのような考え方からすると、イスラム原理主義者が西欧の政府というより西欧社会の人々をテロの対象とすることが納得できる。政教一致の原理に基づき宗教の教えに従って日々を送るべき西欧社会の人々が物質的豊かさや快楽を追い求めていること自体が許せないことであり、倒すべき対象となるのではないだろうか。

最新のロック音楽を楽しんでいた人々のいた劇場、食事を楽しんでいた人々のいたレストラン、さらにはサッカーを楽しんでいた人々がいた競技場がテロの対象となったのは上記のことと無関係であるまい。つまり政教分離の考え方に基づいて物質的快楽を追い求める西欧の一般の人々が彼らの過激なイスラム原理主義からすると憎むべき敵なのである。

さてそれでは、イスラム原理主義者は同胞であるイスラム諸国の一般の人々に対してもなぜ無差別テロを行うのだろうか。それは、イスラム諸国の人々の生活様式の変化と深い関係があると思われる。イスラム諸国の一般の人々は、植民地時代の西欧諸国の植民地政策を通して西欧文明を取り入れ西欧社会と同様に物質的豊かさを追い求めるようになってきていると考えられる。

これこそがイスラム原理主義者が許せないところなのではないだろうか。つまり本来は政教一致イスラム教の根本原理に基づいてイスラム教の教えに則って日々の生活を送るべきイスラムの人々が、西欧文明の影響を受けて知らず知らずのうちに政教分離の西欧的価値観を身につけてしまっていることが許せないことなのではあるまいか。

つまりイスラム教の根本的原理からすると、現在のイスラム教徒の多く(特に新しい考えを取り入れるのに比較的寛容なシーア派の人々)は本来の厳格なイスラム教の教えに対する裏切り者なのである。「裏切り者に死を」というのがイスラム原理主義者が同胞であるイスラム教徒に対してもテロを行う理由であろう。

さてこのような論理からすると、日本がそして日本人がテロの対象にはならないというのはあまりにも楽観的な考え方であることがわかる。

日本を始めアジアの諸国の多くは仏教もしくは儒教を基本的な宗教としてきたといえる。それらはイスラム教のように厳格に政教一致を求める宗教ではないが、精神面の向上を第一としているという意味でイスラム教と同じ思想を共有してきたのではあるまいか。またアジアを代表する中国においては、宋・元の時代には西欧をはるかに凌ぐ文明を有しまた世界帝国を建設しておきながら、その後衰退し19世紀頃から西欧列強の植民地政策の的にされてきたという歴史を有する。その意味ではアジア諸国は西欧文明に虐げられてきたという意味でイスラム諸国と似た歴史を有している。

その意味では、イスラム原理主義からすると日本を始めとするアジアの儒教や仏教を信じる国々や人々はかれらの友人、少なくとも敵ではないとみなしてきたのではあるまいか。それが安倍首相の言明にもあるように「テロは許せない、我々は欧米諸国と連携してテロの撲滅をめざす」と西欧側に立つ姿勢を明確にしたことに対し、「日本はそして日本人は裏切り者である」とイスラム原理主義者が考えたとしても不思議ではない。つまり日本はそして日本人はテロの対象になりうるのである。もうフランスのテロを忘れたかのような能天気な日本のテレビ局の番組を見ていると、日本のマスコミの危機意識のなさにあきれてしまう。