シンガポール通信-2015年世界大学ランキング3

現在韓国で開かれている国際会議に出席している。古くからの知り合いの韓国の先生に、ソウル大学を含め韓国の大学が今年のTHE World University Rankingで大幅に順位が低下したことに対して、韓国でどのような反響が出ているかに関して聞いてみた。それによると一時はこのニュースはマスコミ等に取り上げられたものの、それほど大きな注目も浴びないまま終わってしまったとのことである。

韓国のような教育熱心な国で、これは不思議なことではないだろうか。しかしそれは反面、世界大学ランキングというグローバルレベルでの大学評価が、韓国国内ではそれほど注目をあびていないことを意味しているともいえる。日本でも、THE World University Rankingで東大・京大の順位が大幅に低下しとうとう東大がNUSに抜かれてしまったことは、一時はマスコミに取り上げられたもののそれほど大きな反響を呼ぶこともなく忘れ去られてしまった。

ある意味でそのことこそが、前回述べたように日本や韓国がグローバルになっていないことの反映ではなかろうか。例えばシンガポールであれば、シンガポール国立大学(NUS)や南洋工科大学(NTU)の今年の世界ランキングが何位になったかは極めて大きなニュースである。NTUはここ数年大幅にランクを上げていることで注目されているが、今年何位になったかは大学のWebで大きく取り上げられているし、テレビのコマーシャルを打っているほどである。

世界大学ランキングなどに一喜一憂する必要はないという意見もあるだろうが、大学がグルーバルレベルでどう評価されているかは少なくとも気には留めておくべき事柄ではあるまいか。

さて前回今年のTHE World University Rankingで大幅にランクが下がった東大・京大・ソウル大の評価結果を個別の評価要因ごとに分析した結果、3大学とも国際的知名度がNUSに比較して大幅に低いことを指摘した。

それはそれで問題であるが、今年これら3大学の順位が昨年に比較して大幅に低下したことの十分な説明にはなっていない。それを分析するためにはさらに昨年のランキングにおける個別の評価要因ごとの評価結果と比較してみる必要がある。評価要因ごとの評価結果の昨年のもの(2014/2015)を表1・図1に、今年のもの(2015/2016)を表2・図2に示す。

表1 2014/2015の項目別評価結果


図1 表1をグラフにしたもの


表2 2015/2016の項目別評価結果


図2 表2をグラフにしたもの


これらから次のことがわかる。

まずいえるのは、東大・京大・ソウル大の国際的評価が低いのは大きな問題ではあるが、それは昨年の評価結果でも同じであるということである。この部分の評価結果が今年大幅に低下しているわけではない。したがって、国際的評価の低さが今年の3大学の順位の大幅な低下に直接関係しているわけではないということになる。

それでは東大・京大・ソウル大の3大学の今年の順位が大幅に低下したのは何に原因しているのだろうか。昨年と今年の評価要因ごとの個別の評価結果を詳細に見ると、Research(研究)とCitation(文献引用数)でNUSの値が向上しているのに対して、東大・京大・ソウル大がこれらの値が低下するかもしくは良くても現状維持であることに気づく。特にソウル大はResearchの評価値が大きく低下しており(東大・京大はほぼ横ばい)、他方で東大・京大はCitationの値が大幅に低下している(ソウル大はほぼ横ばい)。

この結果として、総合評価値に関してNUSの値が向上しているのに対して、東大・京大・ソウル大の総合評価値が低下しているのである。他の大学はそれぞれの大学の努力の結果かもしれないが、多くの大学の総合評価値は毎年向上しているようである。NUSの総合評価値が向上したために、他の大学の総合評価値が向上している中でNUSがほぼ同じ順位を維持できたのである。それに対して東大・京大・ソウル大がResearchもしくはCitationの値が低下したために、今年のこれら3大学の順位が大幅に低下したのである。

Researchとは単純に言えば発表論文の数に帰着できると考えられる。またCitationは単純に言えば発表論文の質を反映しているといえる。したがって単純に言えば東大・京大は昨年に比較して論文の質が低下し、ソウル大は論文の数が少なくなっていると推察される。これこそが東大・京大・ソウル大の今年のTHE World University Rankingの順位が大幅に低下した原因なのである。

論文の質や数の低下、これは大学の国際化以上に大学の本質に関わる問題である。このことは明確に指摘されていないことであると私は考えるが、極めて本質的な問題でありもっと真剣に議論されるべきではないだろうか。