シンガポール通信-「京大おもろトーク」

7月下旬の話であるが、第2回「京大おもろトーク:アートな京大を目指して」という鼎談の司会を務めた。この面白そうだけれども、これだけだと何の事かわかりにくいイベントの仕掛人は、京都大学の山極寿一新総長である。

そもそもの発端は、ゴリラ研究で有名な山極寿一先生が京大総長に就任された事から始まる。山極総長は京大で何か新しい事を始めようという事で「アートな京大」を目指すという目標を掲げられた。これもなんだかわかりにくい目標であるが、芸術を京大の先生方や学生の考え方や行動の基本にしようという事だと考えると、理解できるのではないだろうか。

そもそも芸術は、それまでの常識を覆して新しい考え方・物の見方・行動様式などを人々に提示するところに大きな意味があると考えられる。京大はかっては、東大が体制指向・権力志向なのに対して、反体制指向・反権力指向を看板にしていた。つまり世の中の常識とは反対を行こうというのが京大流だった訳である。

もちろん、最近うるさくいわれている世界大学ランキングを上げるための施策などには、全く興味がないというのが京大の基本姿勢であった。他方で、理系では湯川秀樹を始めとして多くのノーベル賞受賞者を輩出してきた。また文系では、人文科学研究所に代表される組織には桑原武夫・梅棹忠雄を始めとして、学術面だけでなくマスコミや一般の人々にも広く知られたそうそうたる先生方を擁していた。これらのことから、別に世界大学ランキングの順位などに関心はなくても、京大の名は広く国内外で知られていたのではあるまいか。

それが最近はごく普通の大学になりつつあるというのが、京大に対する一般の評価ではあるまいか。最近では、京大の卒業生がユニークな考え方をするなどの点が評価され、企業が望む卒業生像のトップになったりしている。これは喜ばしい事であるという考え方もできるが、かっての反体制指向・反権力指向をスローガンに掲げていた京大としては退歩であるという考え方もできる。それに対して私が京大を卒業して企業(NTT)に就職した頃は、京大の卒業生は優秀だが何をしでかすかわからないので注意を要すると社内では言われていたと聞いている。

常識を覆す事が芸術の使命の一つであるとするなら、芸術的考え方・方法論を京大の大学人の考え方・行動様式の基本に持ってきて、かって京大が持っていた強い個性・アイデンティティを取り戻そうというのが「アートな京大」のめざすところと理解していいのではあるまいか。そのようなアートな京大を目指すという京大の姿勢をわかりやすい形で外部に発信しようというのが、「京大おもろトーク」の狙うところである。

京大おもろトークでは、外部から招いた講演者1名と京大内部の講演者2名の3名による鼎談形式で、聴衆にアートな京大を目指す試みをアピールしようとしている。アートな京大を目指すという観点から、外部から招く講演者はアーティストということにしている。第1回は4月に「垣根を越えてみまひょか?」というタイトルで行った。これは、すべてが縦割りとなっている大学内部の仕組み(これは京大だけではなく全ての大学に共通する問題点であるが)を変え、異なった分野間の交流を行う事の必要性を議論したものである。

外部からの講演者としては、狂言師の茂山千三郎氏を招いた。また内部の講演者としては言い出しっぺの山極総長、そして京大の教員でほとんど唯一と言っていいアーティストの土佐尚子教授に参加してもらった。

能はかって猿楽と呼ばれていた。茂山千三郎氏はこれをもじってゴリラ楽という狂言を試みている事で良く知られている。ゴリラの動きなどを狂言に取り入れる事によって、狂言の持つ面白みを増そうという訳である。そしてゴリラの動きを学ぶために、ゴリラ研究の第一人者である山極総長とのコラボレーションを行ってきた。

狂言の世界と研究の世界という異なった世界の垣根を越えたコラボレーションの例を語ってもらう事によって、異なった分野間の垣根を越えた協力の必要性・有効性を聴衆に知ってもらおうというのが、茂山千三郎氏に参加してもらった大きな狙いである。そしてそれに対して、山極総長にはゴリラ研究を通して得た独自の芸術の起原論を語ってもらった。また土佐尚子氏には、芸術において伝統を継承しつつ現代につなげることの意味を語ってもらった。

第1回も私が司会を務めたが、実際の進行は山極総長に主に行って頂いたので、私の役割は最初に各講演者を紹介する事と、最後の聴衆と講演者の質疑応答をとりまとめることだけであった。その意味では楽な司会業であった訳である。

(続く)