シンガポール通信-台湾観光:九份を訪れる

国立台北大学に客員教授として滞在中には忙しい事もあってほとんど観光を楽しむ事ができなかった。大学がある三峡には古い町並みが保存されている事で有名な三峡老街があるが、これも夜にディナーを食べるために訪れただけでゆっくり街並みを楽しむ時間はなかった。

そのような状況の中で唯一観光したといえるのは週末の一日を利用して、私を大学に招聘してくれたDr. Hooman(フーマン博士)が九份(ジォウフェン)に連れて行ってくれた事である。

九份は台北の街から東に行った山中に位置する観光地である。大学のある三峡が台北の街の西に位置しているので三峡から九份に行くには台北を横切って行く必要があるが、台北の付近は高速道路が良く整備されており、台北を取り巻く環状の高速道路を使えば比較的短時間で着く事ができる。

九份は清の時代からあった町であるが、最初は寒村に過ぎなかった。それが19世紀末に金鉱が発見された事から繁栄し始めて、第二次大戦中の日本の統治時代にその最盛期を迎えた。しかし第二次世界大戦が終了するとともに、金の採掘量が減り、金鉱が閉山されるに伴い再びかっての寒村に逆戻りしてしまった。

それが、台湾における本省人(もとから台湾に住んでいた人たち)と外省人(中国が共産化されるに伴い中国から移ってきた人たち)の間の抗争である1947年の二・二八事件をとりあげ1989年に映画化された「非情都市」のロケ地となった事から、再び有名となり、現在は観光地として特に週末は多くの観光客が訪れるようになっている。



出発前にまずは台湾料理の朝ご飯で腹ごしらえ。左からHooman、私、そしてHoomanの友人。



九份観光地として有名な九份の基山街。延々と続く狭い路地の両側に土産物屋や食堂・カフェなどが並んでいる。日曜なので道一杯の人出である。台湾の雰囲気と共にどこか日本的な雰囲気も感じられる。これは日本統治時代にこの街が栄えた事の反映であろう。



宮崎駿監督のアニメ「千と千尋の神隠し」に出て来る街並と似ていることから、「千と千尋の神隠し」に出て来る街並はここをモデルにしたのではといわれている。もっともスタジオジブリはそれを否定しているようであるが。私にとってははむしろ観光客でごったがえす京都の先斗町を思い出させた。どことなく感じられる日本的な雰囲気がそうされるのだろうか。



狭い街並の両側にはぎっしりと土産物屋などが軒を接して並んでおり、観光客が立ち止まってそれを眺めているので、路地が狭い事もあってなかなか先へ進めない。これは乾物を売っている土産物屋。



途中で雨が降り出したので茶を飲ませてくれるティールームで休憩。伝統的な台湾茶をお菓子と共に提供してくれる。これはティールームから外を眺めたところ。いかにも台湾的なそして同時に日本の雰囲気も感じさせてくれる風景である。



そして基山街を抜けたところから見た眼下の風景。遠くに海(太平洋)とこれから向かう基隆(キールン)の街が見える。



九份から基隆へ向かう際に出会った台湾寺院。基本的な造りは日本の寺院と似ているが、その装飾性には驚かされる。日本の寺院が簡素を旨としているのに対して中国・台湾の寺院はいずれもその偉容を誇るような造りになっている。この辺りが日本文化と中国文化の違いか。もっとも日本でも東照宮のように装飾性を前面に出した建築もあるので一概にはいえないが。



基隆はかって第二次大戦中には日本軍の軍港があった街である。わたしもなぜかキールンという名前は記憶に残っている。その名残が見られるかと思ったが、何の事はない普通の地方都市である。そのため写真を撮るのも忘れてしまった。もっとも基隆の港は貿易港としては有名で、貨物の取り扱い量では世界でも有数との事である。これは基隆の港の近くの魚市場に隣接しているシーフードレストランで食べたシャコの揚げ物。大変美味しかった。