シンガポール通信-国立台北大学での滞在3

国立台北大学(National Taipei University: NTPU)での客員教授としての私の一ヶ月の滞在も、今日を含めて後二日という事になった。シンガポールシンガポール国立大学(National University of Singapore: NUS)での7年間の滞在は私にとって海外での長期間の滞在の初めての経験であったが、一ヶ月とはいえ今回のNTPU客員教授としての海外での滞在は、私にとっては二回目の海外における滞在という事になる。

京都大学の学生の頃やNTT(当時は電電公社)の研究所にいた若い頃には、海外の大学や研究所で短期間でも良いから働きたいと痛切に思ったものであったが、まだその頃は1970年代で海外旅行もまだ身近な時代ではなかった。そのためNTT時代も何度も上司に希望を出したものの、結局海外に滞在するというチャンスは得られなかった。それが60歳を過ぎてから2回も海外に滞在するチャンスが得られるということになった。人生というものは何がおこるかわからないものである。

台湾は過去に何度か観光や国際会議参加で訪問しており、台湾の文化が日本に近い事、人々の考え方や行動パターンが日本人のそれに近い事などを知っていたので、今回の滞在はそれほど事前に心配をする事もなかったが、一ヶ月とはいえ住んでみて台湾の文化や風土をある程度知る事ができると共に、当初期待していたように特に問題もなく台湾での生活を楽しむ事ができた。

もちろんそれは私を招待してくれたDr. Hooman(フーマン博士)や電気工学科の学科長のProf. Chen(チェン教授)がいろいろと面倒を見てくれたおかげである。とくにDr. HoomanはNUS時代に一緒の研究所に勤務していた事もあり、今回私を招聘してくれると共に、今回の滞在に関してはいろいろと面倒を見てくれた。私の台北到着時やNTPUに滞在中に中国への出張および日本への2回の出張の際には空港まで送り迎えしてくれたり、何度も夕食にさそってくれたりした。おかげで全く不便を感じる事なくNTPUでの滞在を楽しむ事ができた。

台湾の学生の考え方や行動様式は前回も書いたけれども、日本と似ていると共にある意味で日本以上にのんびりしていると言ったら良いだろうか。特に将来どのような職業に就くかなどについては日本の学生以上に深く考えていないと言ったらいいすぎだろうか。

その一つの理由として、日本のように大学の卒業生が4月に一斉に企業に就職するという習慣がないことがある。さらにそれに合わせて3年生の秋頃から(大学院生の場合は修士1年の秋頃から)就職活動を開始するという習慣がない事である。

そのために卒業間際の学生のほとんどはまだ就職先は決まっていない。彼らは卒業後ネットなどで企業の応募情報を見て希望の企業に履歴書を送り、就職を決めるのである。私たちから見るとそのようにのんびりしていて大丈夫と思ってしまうが、社会全体がそのような仕組みになっているので、学生は別に焦っている様子は無い。そして実際に卒業してから就職活動を開始しても比較的簡単に就職先は見つかるのである。

そしてまたいったん企業に就職しても、彼らの多くはもっと良いポジションを見つけると簡単にその企業をやめ他の企業に移ってしまう。このように台湾では、人と企業との関係はいわゆる欧米型のシステムになっているわけである。日本と台湾が文化的にもそして人々の行動パターンも良く似ていると書いたけれども、この部分だけは台湾は既に欧米型のシステムになっており、日本が依然として特殊なシステムを採用しているということになる。

そして日本と異なるもう一つの面は、一般の人々の間に「余暇を楽しむ」という文化が行き渡っている事である。大学は週末には閑散としており教員の姿を見る事はない。学生達も卒業研究などで忙しい一部の学生を除くと全く大学には顔を見せない。教員であれば週末を家族と、そして学生であれば週末を友達などと旅行などで過ごすのが習慣になっているようである。

先週末は金曜が休日で台湾では3連休であったが、たまたま木曜に日本に一時帰国する用事ができたため乗った私の関空行きの飛行機は、台湾の若者や家族連れで満席であった。もちろん日本でも余暇を楽しむ文化は浸透してきてはいるが、それが社会的に話題になるのはゴールデンウィークや年末休暇の時であって、3連休程度ではまだまだ海外に行くという人がそれほど多い訳ではない。

休みの日にはプライベートな時間を楽しむという文化は、台湾にもとからあったものというよりは欧米から持ち込まれた文化ではあるまいか。この文化はいつどのようにして浸透したのだろうか。



私の滞在中にオフィスに二人の学生が将来の事を相談したいと言ってやってきた。何でも日本が大好きで卒業後は日本の企業に勤めて日本に住みたいのだが。どうすれば良いのかという相談である。比較的簡単にそれができると考えているらしい。もちろん現時点では日本語は話せない。新卒で日本の企業に勤めようとすると、日本語をある程度話せる事が必須であろう。日本企業の台湾支社などでのポジションを見つけて、将来は日本の本社に移るというのが現実的な解だと説明してやった。



Dr. HoomanとLenisと私。Hoomanと同じくLenisはかってNUS時代に私と同じ研究所に属していた同僚である。デザインの勉強をしており、現在NTPUの博士課程学生である。



Lenisからも、博士号をとった後のデザイナーとしての将来の進路を相談された。彼女はベネズエラ出身でまだ若いが、スペイン、シンガポール、台湾と自分に合った場所を求めていろいろな国を渡り歩いてきた。それだけのバイタリティがあれば将来は自分の好きな進路に進んでもなんの問題も無くやって行けると思われる。