シンガポール通信-2015年世界大学ランキング5:ランキングを上げるには物まね研究が有効?

さて、世界大学ランキングにおけるランクアップに有効なもう一つの指標値は、「論文の被引用数」である。これが評価尺度全体に占める割合はなんと30%と最大であって、ほぼ評価尺度の三分の一を占めている。このことは、この指標値が極めて重要と見なされている事を示している。

論文の被引用数とは、それぞれの研究者が書いた論文が他の研究者からどの程度引用されているかを示す数値である。論文を書く際にはその最後に、参考にしたもしくは引用した他の研究者の論文を引用論文としてあげておく。そこに例えば自分の論文が含まれていれば、その論文の被引用論文数を1つとして数える訳である。

ある論文が他の研究者によってどの程度引用されているかを示す被引用論文数は、その研究が他の研究者からどの程度参考にされまた注目されているかを示す尺度であると考えられる。したがって被引用数は、すなわちその論文の重要度を示す尺度になるというのが、論文の被引用数が重要な指標値として用いられる理由である。

重要な論文を多く生産する大学は良い研究が行われている大学であり、そしてそのような大学は高く評価されるべきであるというのが、論文の被引用数が大学の評価尺度の30%もの割合を占めている理由であろう。これは一面で真理である。しかし実はこれは大きな問題を二つ含んでいる。

問題の一つは、日本の大学がそして日本の大学の教員や研究者が、被引用数をあまり重要な項目としてあげてこなかったというところにある。かっては、日本の大学に限らず世界の大学や研究機関では論文数を最重要評価指標値として用いており、論文の被引用数を問題にする事は少なかった。

そのことが、どのような論文誌や国際会議でも良いからできるだけ多く論文を投稿してできるだけ多く採用される事を目指すという、悪く言うと論文の粗製濫造の風潮を後押しした事は確かである。

そのため、最近では欧米特に米国では論文誌や国際会議を格付けし、論文数に加えその論文がどのような格付けの論文誌や国際会議に掲載され発表されたかを問題にするようになってきた。しかし、論文誌や国際会議の格付けを行うのはそう簡単な作業ではない。それぞれの論文誌や国際会議に関わっている研究者達の利害関係も絡んでくるために、論文誌や国際会議に関する確立された格付けというものはまだ存在していない。

そこに論文の被引用数が、論文の重要性を示す尺度として注目されるようになった原因があるのだろう。大学や研究所の採用の際提出する履歴書では、申請者に重要な論文と考える論文を5つ程度指定させると共に、それらの論文に関しては被引用数を示す事を要求するのが、最近では米国の大学・研究機関では常識になりつつある。

日本でも最近では、論文の被引用数の重要性が徐々に認識されるようになってきた。しかしながら、研究者の採用や評価の際に論文の被引用数を用いるというのはまだまだ少数派である。このことが、日本の大学教員・研究者が論文の被引用数にあまり関心を示さず、そのために日本から出る論文の被引用数が比較的低水準にとどまっている理由である。そしてそれが、世界大学ランキングで日本の大学が上位になかなか来れない大きな理由である。文科省の「スーパーグローバル大学構想」にも、論文の被引用数を増やすための施策をとることの必要性は何一つ書いてない。まだまだ文科省のそして日本の大学の意識は遅れているのである。

ところでここにもう一つ大きな問題がある。それは、「論文の被引用数は万能だろうか?」という問題である。実はここにも大きな落とし穴があるのである。ある論文の被引用数を増加するためには、すなわち他の研究者から引用してもらうためには、まず第一にその論文の研究領域で多くの研究者が研究を行っている必要がある。そして引用してもらうためには似たようなテーマで行われている研究が多い方が有利である。

ある論文に関する研究領域で多くの研究者が研究を行っているという事は、その領域が注目を集める領域であり別の言い方で言うと流行の研究領域だという事である。それは基本的には間違っている訳ではないが、皆が流行の研究領域に群がれば、これまでなかった新しい研究領域の開拓が進まなくなるという問題が生じる。

さらに論文の被引用数に関してはそれを増やすために有効な手法がある。例えばAさんが書いた論文をBさんが参考にして(引用して)それを少し改良した論文を書いたとしたらAさんは悪い気はしないだろう。そしてAさんがさらにそれを改良した研究を行い論文を発表する際には、Bさんの論文を引用するだろう。このように相互に引用し合う事が論文の被引用数増加には大変効果的なのである。

という事は何を意味しているか。つまり現在流行して皆が研究している領域を見いだし、その領域で他の論文の後追い研究やそれを少し改良した悪く行くと物まね研究を行う事が、論文の被引用数増加に有効だという事になる。これが、世界大学ランキングのランクアップには物まね研究が有効だという理由である。

つまり論文の被引用数とその論文がこれまでなかったオリジナリティに富んだ論文かどうかということの間には基本的には関係がないのである。これまで誰も行わなかった研究領域を開拓しようとする論文はなかなか引用してもらえない事になる。論文の被引用数を極めて重要視する風潮の元では、誰も新しい研究領域を開拓しようという気にならないのである。これは極めて大きな問題ではあるまいか。