シンガポール通信—橋下氏の大阪都構想敗れる

大阪市を5つの特別区に再編成すると共に、大阪市を廃止して大阪府に吸収し新しく「大阪都」とする「大阪都構想」に関する住民投票が昨日17日に行われた。その結果は私も大変興味を持って見守っていたが、賛成が69万4844票、反対が70万5585票という結果であった。僅差ではあったが、維新の会の橋下大阪市長が推進してきた都構想が敗れるという結果になった。

この結果大阪市は存続する事となり、橋下氏が打破しようとしてきた大阪府大阪市の二重行政は今後も存続する事となった。結局のところ橋下氏が5年間にわたって推進してきた構想は挫折して、何も変わらない事になる。いわゆる「大山鳴動して鼠一匹」という結果である。

それでは大阪都構想はそれほど斬新な構想だったのだろうか。大阪市を5つの特別区に再編成するという案はともかくも大、阪市を廃止するという構想は大きな変化を大阪府大阪市に与える構想のように思える。

しかしながら本来は、大阪市の行政は大阪市を対象として行われ大阪府の行政は大阪市を除いた周辺の市町村を対象として行われるものであり、原則として重複はないはずである。重複しているとすればそれは大阪地域全体を見た開発計画・将来計画などの立案・実行などであり、これらは大阪府大阪市が調整しながら進める事になっているはずである。

もっともこれは理想論であり、大阪府大阪市の組織が違う以上それぞれの組織の力学が働いて、組織間の協調というのが難しいというのはこれまでも多くの実例が示すところではある。その意味で橋下氏の掲げてきた大阪都構想が間違っている訳ではない事は、多くの人が認識しているであろう。それではなぜ橋下氏は敗れたのか。

橋下氏は1969年生まれ。早稲田大学を卒業して弁護士となった。同時にその歯に衣を着せない物言いが一般の人々の人気を博しテレビのバラエティ番組にも数多く出演するなどタレントとしても活躍してきた。それが2008年1月の大阪府知事選挙に出馬し勝利し大阪府知事となった事により政治家としての人生を歩む事になった。

大阪府知事になってからの橋下氏もその強いキャラクターと言動で常にニュースの種になってきたが、橋下氏が提案したいくつかの案の中でもっとも話題になってきたのがこの大阪都構想である。その内容の概略は上に述べた通り、大阪府大阪市の二重行政を解消するため大阪市を5つの特別区に再編成すると共に大阪市を廃止し大阪府大阪都に格上げするというものである。

これが第二次世界大戦中の1943年に東京市東京府を廃止して東京都が設置された東京の歴史を参考にしている事は明らかである。どのような理由のもとでこれが行われたかはつまびらかではないが、戦時中でもあり行政を簡素化使用との意図の元に行われたのであろう。

それはともかくとして戦災によって一時は焼け野原となった東京は、戦後急速に復興し日本の高度経済発展を牽引する役割をにない、いまや世界の東京としてニューヨーク、ロンドン、パリなどと並んで世界の代表的な大都市となっている。

それにひきかえ大阪は東京の発展のあおりを受けた形となり、かっては東京に比肩する大都市だったのが、その地位は徐々に低下してきた。それに伴いかっては多くの大企業が大阪に本社を有していたのが、本社を東京へと移転する企業が続出した。もちろん現在もパナソニック、シャープなど日本を代表する多くの企業が大阪地区に本社を置いているとはいえ、東京の反映ぶりに比較すると大阪の言ってしまえば凋落ぶりは明らかであろう。

これを悔しがっている関西市民は多いであろう。それらの人々に橋下氏の「大阪都構想」は夢を与えてくれたのではあるまいか。大阪を都にすれば大阪がかっての輝きを取り戻し、東京に比肩できる世界的な都市になるのではないか。大阪都構想の詳細を知らなくても、この構想はその名前だけで人々を強く引きつける力を持っている。

このようなビジョンを作り上げ人々にアピーする力が橋下氏の能力の源である。そしてそれが橋下氏の都構想が人気を博し、そして彼の設立した維新の会が一時は日本の政治地図を変えるのではないかとまで思わせる人気を博した理由であろう。

その橋下氏の快進撃を止めたのはやはりあの「慰安婦騒動」ではあるまいか。日本が太平洋戦争中に韓国人慰安婦を強制的に徴用したと非難されているのに対し、慰安婦はどの軍隊にもある事であり別に問題とするにはあたらないと大見得を切って世界的に非難されたあの事件である。

橋下氏のこの問題に関しては、このブログでもさんざん取り上げたのでここでは詳細を再度取り上げる事はしない。ただこの事件によって、彼の一見痛快に見える歯に衣着せない言動が極めてローカルなものであり、グローバルな視点からは受け入れられない事が多い事が明らかになってしまったのである。

もちろん彼のこの言動は日本中から大きな非難を浴びる事となった。そしてそれと共に関西の人々からも非難を浴びる事となったのである。関西は元々ローカルな視点に基づく発言などを歓迎する風土を持っている。しかしながらその関西人に対してもグローバルな視点を欠いた橋下氏の言動は違和感を持っていたのである。

これは日本を代表する政治家を目指していた橋下氏にとっては大きな打撃であった。この事件をきっかけに橋下氏の人気がそしてそれに伴う維新の会の人気が急落したのは記憶に新しいところである。もともと「大阪都構想」がそのビジョンを出した橋下氏の持つ魅力によって人々の人気を博してきたのであるから、そのおおもとの橋下氏の人気が下落しては都構想の持つ魅力も失われたのであろう。それが今回の大阪の市民投票で都構想が敗北した真の理由であろう。