シンガポール通信—さらばシンガポール

連休は終わったが、この連休を利用してシンガポールに来ている。今回はシンガポールで借りていた家を撤収するためである。シンガポール滞在もいつの間にか7年半になった。7年間勤務したシンガポール国立大学(National University of Singapore: NUS)も昨年末で定年になり退職したので、そろそろ日本に引き上げる頃合いかと考えたためである。

いろいろとシンガポールについて書いて来たし、いろいろと批判もして来た。いわく文化がないとか人々が創造性に欠けるなどである。しかしこれはある意味で、日本が歴史的にも文化的にも世界でも最も豊かな国であることの証でもある。日本と比較すると一部のヨーロッパの国々を除けば日本に比肩出来る国は少ないであろう。

とりわけ、シンガポールはまだ今年で建国50年という新しい国である。文化も歴史も日本に比較して新しく不十分なのは仕方がないともいえる。その点を批判するのは片手落ちという言い方もできる。反面、シンガポールの良さはその新しさに根ざしているのではないだろうか。

このブログでも書いたが、当初シンガポールはマレーシアの一部として英国の植民地から独立を果たした。しかしながら、マレーシアがマレー人を主体としてイスラム教徒が大半を占める国であるのに対して、シンガポールは中華系の人々が多数を占め宗教も仏教が主体であり、イスラム教徒は少数派に過ぎない。また経済的には、シンガポールは当初からアジアと中東・欧州の貿易の中間点として経済的にもマレーシアの他の地方に比較して数段豊かであるため、マレーシア政府からするとシンガポールを含めると国としての統一性を保つのが難しいと判断したのだろう。結局はマレーシアから切り離され小さな独立国として出発するしかならなくなった。

建国の父として人々に慕われ尊敬され先日亡くなったリー・クアンユーも、シンガポールがマレーシアから切り離された独立国として存続出来るかどうかは自信がなかったようである。シンガポールが50年前に独立国として出発した際には、その将来に関しては不安で一杯であり悲壮な覚悟のもとに独立を宣言したといわれている。

それが現在では、経済的には世界でも有数の豊かな国として世界的にも認められている。何よりも政府がそして国民が、自分たちがここまで到達したことに対して自信を持っていることが大きいのではないだろうか。

日本もこのところ、一時の低迷を脱して経済的にも上昇基調にある。株価などをみているとかってのバブル期が再来しつつあるのではと思わせるようなところがある。しかしながらつい数年前までは日本人は自信をなくしており、かっての「ジャパン・アズ・ナンバーワン」といわれたころの勢いがまったくなくなっていた時代があった。そのころは日本とシンガポールを行き来していると、その対比に驚かされることが多かった。

日本に帰国すると街ですれ違う日本人の顔が何となく暗いのである。それに比較してシンガポールでは街を行き来する人々の顔が、自信に満ちているというと言い過ぎかもしれないが妙に明るいのである。 かっては日本でも、いわゆる高度成長時代は経済は右上がりで誰もが明るい将来を確信していた時代であった。その当時の日本人の明るい自信にあふれた顔が現在のシンガポール人の顔に見られるのである。

もっとも日本がそうであったように、将来に対して明るい夢を見られる時代がいつまでも続く訳ではない。日本では低出産率に伴う子供の減少、そしてその反面としての高齢者の増加によって社会が急速に高齢化社会へと変貌しつつある。そしてそれが将来に対する暗い影を投げかけているのである。

実はシンガポールも急速に高齢化社会になろうとしている。すでに出産率(一生の間に助成が生む子供の数に相当する)に関しては日本を下回っている。2012年の統計では日本が1.41人に対してシンガポールが1.29である。この事はシンガポールは日本以上の速度で高齢化が進んでいる事を示している。

実はシンガポールの町を歩いていると明らかにお年寄りと見える人に出会う事が日本に比較すると格段に少ないので、高齢者社会という言葉を実感しにくい。しかしこれはシンガポールの町を歩いている人の多くが観光客である事と共に、高齢者が町を出歩かないからではないかと思われる。

日本の市街地は決して高齢者に優しい街づくりが行われている訳ではない。段差が多いし階段も多い。それでも街で高齢者を多く見かけるのは、何と言っても日本の高齢者が元気であるからであろう。いまや70歳を越えても大半の人は元気で、街で買い物をしたりウオーキングやジョギングに汗を流している高齢者を見かける事は日常である。

それに対してシンガポールでは退職年齢とされる65歳を越えると、「お年寄り」と分類されて家でおとなしくしている事を期待されているようである。期待されるとそうなってしまうもので、シンガポールで出会う65歳以上の人は本当に「お年寄り」という言葉の似合う人が多い。日本ではお年寄りという言葉よりは「シニア」という言葉が適している高齢者がほとんどなのに比較すると、大きな違いである。

日本で高齢者が元気であるという事は、既に日本の社会が高齢化社会に対する準備というか適応力を持っているという事ができる。それに対してシンガポールは、現在は皆元気で自信にあふれ明るい将来を夢見る事ができる国であるが、近い将来高齢化社会に突入する際にはたしてうまくそのような状況に適応できるだろうかという不安を抱えている国だともいえるわけである。

(続く)